イマ、イマ、イマ3
大会当日の朝、会場となる都心の公園は、数万人の熱気と興奮、そして吐き気をもよおすほどの濃密な緊張感に包まれていた。
色とりどりの最新ウェアに身を包んだランナーたち、談笑しながら自撮りに興じるグループ、鋭い眼光で精神を研ぎ澄ますシリアスランナー。半年弱前の私なら、その華やかな光景の一部になれたことに浮き足立ち、何度もスマートフォンのカメラを自分に向けて、自身の「特別な一日」を必死に切り取ろうとしていただろう。
けれど、今の私は違った。
手首のスマートウォッチは、ただの無機質な時計としてそこに巻かれている。通知は切ったままだ。心拍数の数字も、推定される消費カロリーも、今の私には不要でしかなかった。私はただ、喧騒の中に身を置きながら、自分の内側に深く意識の杭を打ち込んでいた。
号砲が鳴り、巨大な人の波がゆっくりと、地鳴りのような足音を立てて動き出した。
スタートゲートを潜り抜けるとき、沿道からは途切れることのない声援が、物理的な圧力を持って雨のように降り注ぐ。
「頑張れ!」「自分を信じて!」「ここまでの努力をぶつけろ!」
その熱烈な「外側の声」を聞きながら、私の耳の奥では、それよりもずっと静かで、けれど揺るぎないリズムが、宇宙の鼓動のように一定の間隔で刻まれていた。
(イマ、イマ、イマ……)
最初の一〇キロは、驚くほど静かな、内省的な時間だった。
雨の日も風の日も、膝を突き、泥に汚れながら繰り返した孤独な練習の成果だろうか。足取りは驚くほど軽く、周囲のランナーと無意識に呼吸を合わせるようにして距離を消化していく。かつては敵だと思っていたアスファルトの硬さや、行く手を阻む冬の北風が、今は私という生命を前へと運んでくれる協力者のように感じられた。
二〇キロを過ぎ、コースは街中から海沿いの単調な直線へと入っていく。
このあたりから、周囲の空気が一変した。それまで時折聞こえていたランナー同士の会話や冗談が完全に途絶え、ただ荒い呼吸音と、アスファルトを叩く乾いた靴音だけが、不気味なほどの純粋さを持って風に混じる。
私もまた、肉体の「終わり」が、確実に、そして一歩ごとに、死神の足音のように近づいていることを本能で察知していた。
三〇キロ地点。マラソンという競技において、多くの走者が「壁」と呼び、絶望の入り口とする場所。
そこで私は、人生で初めて、本当の意味での「恐怖」を味わった。
体内に蓄えてきたエネルギーが完全に枯渇し、脳が肉体に対して、生存本能としての緊急停止命令を出し始めたのだ。一歩踏み出すたびに、両足の太ももは巨大な針を千本突き立てられたように熱く、足の裏は焼けた鉄板の上を素足で歩いているような激痛に襲われた。
視界が白く濁り、沿道の景色が、まるで古いフィルム映画のように歪んで見える。
(もういいだろう。十分頑張ったじゃないか。あそこで立ち止まれば、この地獄のような苦しみから一瞬で解放されるんだぞ)
甘い、けれど泥のように粘りつく誘惑が、頭の中で何度も繰り返される。
元々は、くだらない見栄のために始めた挑戦だ。ここでリタイアしても、誰かが私を責めるわけではない。怪我をしたと言えば、職場の同僚も「無理しちゃって」と、理解ある顔で頷いてくれるだろう。これ以上走れば、本当に壊れてしまう。
けれど、その泥のような思考を切り裂き、意識の底の底から響き渡る音があった。
(イマ、イマ、イマ……)
それは最早、私を励ますためのリズムではなかった。
ただ、残酷なまでに、冷徹なまでに、「今この一瞬、お前は本当にここに存在しているか」と問いかけてくる、生命の根源的な響き。
私は、渇ききってひび割れた唇を戦慄かせ、その音をなぞった。
「……イマ、……イマ……」
思考を捨てた。未来のゴールという概念も、過去に流した汗の記憶も、すべてを削ぎ落とした。
今の私にあるのは、地面を叩くこの一瞬の衝撃と、肺の奥を焼くように吸い込まれる一欠片の空気、ただそれだけだ。その最小単位の「今」を、一歩ごとにこの大地へ、祈りのように定着させていく。
三五キロ。
意識はもはや混濁し、自分がどこを走っているのか、なぜ足が動いているのかさえ判然としなかった。
一歩ごとに、膝が砕け散るような衝撃が全身を貫く。沿道の声援は遠ざかり、深い水中に沈み込んだような重苦しい静寂が私を包み込んだ。
けれど、その極限の不自由、一切の飾りが消え去った精神の荒野で、私はついに「それ」に触れたのだ。
ふと、視界が開けた。
苦しみが、もはや苦しみではなくなった。
痛みが、もはや痛みではなくなった。
自分という「個」を囲っていた頑丈な殻が、まるで朝霧が晴れるように溶け出し、走っている自分と、踏みしめている大地と、降り注ぐ冬の太陽の光、そして隣で悶絶しながら走る見知らぬ老ランナーの命さえもが、一つの大きな、巨大な生命のうねりとして統合されていくのを感じた。
私は独りで走っているのではない。
私は、宇宙という巨大な拍動の一部として、今、この瞬間を「生かされ、表現されている」だけなのだ。
その宇宙の中心にある、揺るぎない一点。あらゆる生命が湧き出し、還っていく場所。
その名の響きが、私の意識の最深部から、マグマのようにせり上がってきた。
あの暗い雨の中で「祈りの種」として芽生えたあの言葉が、今、不純物を一切含まないダイヤモンドのような純粋さを持って、私の喉を、魂を震わせた。
「……神様、お助けいただきましてありがとうございます」
自分でも驚くほど、透き通った、凛とした声だった。
それは、神に奇跡を乞うための憐れな叫びではない。ましてや、何かを得るための取引でもない。
この極限の苦しみ、肉体の崩壊すらも、私という存在を真実の「今」へと繋ぎ止めるための恩寵であると、細胞の一つ一つが理解した。この一瞬の生を、文字通り全宇宙の力を挙げて支えてくれている「根源」に対する、むき出しの、圧倒的な、すでに完了した感謝。
「神様、お助けいただきましてありがとうございます」
もう一度、今度ははっきりとした「声」として、天へと放った。
その瞬間、私の視界は白銀の光に包まれ、世界が劇的に反転した。
足の痛みは消えてはいなかったが、それが「生きている幸福」の証として、この上なく愛おしく、輝かしいものに感じられた。
私は笑っていた。
ボロボロの体で、汗と泥と涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、私はこれまでの人生で一度も経験したことのない、深い安らぎの中にいた。
「今ココ」に、私は生きている。
その事実だけで、この四十二・一九五キロの道のりは、私のこれまでの空虚な三十数年間は、すべて黄金色に報われたのだ。
四〇キロ。ゴールまであとわずか。
周囲では、力尽きて膝を突く者や、嗚咽しながら歩を進める者が続出していた。
けれど私は、かつてないほど軽やかに、かつてないほど力強く地面を蹴り、宙を舞っていた。
私が走っているのではない。宇宙の中心から湧き出し続けるあの「今」のリズムが、私の肉体を媒介にして、地上に歓喜を刻んでいるのだ。私はただ、その大いなる力に身を委ね、運ばれているだけだった。
沿道の誰かが、驚いたような顔をして叫んだ。
「あと少し! 笑顔だ、最高の笑顔だぞ!」
私は深く、深く頷いた。
もう、自分を飾るための高価なギアもいらない。他人の賞賛を求める空虚な承認欲求もいらない。
私の内側には、宇宙の主と、その中心と繋がった、決して揺らぐことのない不動の「声」がある。
一歩、また一歩。
(イマ、イマ、イマ……)
その一定のリズムとともに、私は最後の直線を駆け抜けていく。
神様への感謝を、呼吸の数だけ心の中で繰り返し、私はついに、光り輝くゴールテープの向こう側へと足を踏み出した。
その瞬間、私という小さな「個」は消え去り、ただ輝かしい「今」という永遠だけが、世界に、そして私の魂に、深く定着した。
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