アメノウズメ3
嵐のようなコンビニ騒動から逃げ出すように、佐藤はウズメを引き連れて会社へと戻ってきた。
深夜二時。オフィスビルを包む静寂は、数時間前とはどこか違って感じられた。佐藤の耳の奥には、まだ巡回隊長の靴が奏でた「ピコピコ音」と、ちくわの熱唱がこびりついている。
「……はぁ、はぁ。もう、一生分の笑いと冷や汗を使い果たした気がしますよ」
佐藤は、コンビニで買い込んだ特大袋の柿の種をデスクに置いた。
ウズメはと言えば、疲れの色など微塵も見せず、既に一袋目を開けてポリポリと軽快な音を立てている。
「いいじゃないの。あんた、さっき笑いながら『もうどうにでもなれ!』って言った時の顔、最高に輝いてたわよ? 宇宙のスター誕生かと思ったわ」
「それは、単なる自暴自棄という名前の絶望ですよ。さあ、僕はもう、このまま仕事に戻ります。バグを直さないと、明日の朝には笑えない現実が待ってるんです」
佐藤は乱れた髪をかき上げ、再びモニターの前に座った。
壊れた部長のマグカップの破片が視界に入るが、今は見ないことにする。
深呼吸を一つ。カタカタとキーボードを叩き始め、冷え切ったシステムの世界へ戻ろうとした、その時だった。
ガコォォォォォンッ!!!!!
数時間前に聞いたものとは比較にならない、雷鳴のような轟音がオフィスに響き渡った。
「ぎゃあああああああっ!?」
佐藤は反射的に叫び声を上げ、事務椅子ごと後方へ三回転半ほど吹っ飛んだ。床を転がり、コピー機の脚に後頭部をぶつけて星を見る。
「……い、今度は何だ!? 建物が崩落したのか!?」
チカチカする視界を凝らしながらデスクを見ると、そこには引き出しから溢れ出した、直視できないほど眩しい「黄金の光」が満ち溢れていた。
もくもくと立ち昇る、今度はキンモクセイのような高貴な香りのする金色の煙。
その光のカーテンを割って、ゆっくりと、しかし圧倒的な威厳をもって一人の女性が姿を現した。
純白の衣に、八咫鏡を背負い、その背後には小さな太陽が浮かんでいる。彼女が引き出しから一歩踏み出すたびに、オフィスのカーペットに一瞬で瑞々しい稲穂が実り、枯れかけていたデスクの観葉植物が爆発的に成長した。
佐藤は口をアングリと開け、床に這いつくばったまま固まった。
これまでのウズメの騒動が「台風」だとしたら、目の前の存在は「宇宙そのもの」だった。
黄金の光に包まれたその女性――アマテラスは、ゆっくりと瞬きをし、佐藤を見下ろすと、どこか誇らしげに、そしてあまりにも堂々とこう言い放った。
「……神界からきた青色の猫型ロボットです!」
オフィスに、凍りついたような沈黙が流れた。
数秒後、横で柿の種を食べていたウズメが、盛大に吹き出した。
「ぶっふぉぉぉっ! アマ姉さま! それ、さっき私がやったネタの二番煎じじゃない! しかも全然青くないし! 猫の要素、鏡の耳くらいじゃない!」
アマテラスは、ぴくりと眉を動かしたが、ポーカーフェイスを崩さない。
「うるさいわね、ウズメ。神界の最新トレンドでは、この挨拶がもっとも『徳が高い』とされているのよ。……それで、あなたが佐藤くん? 引き出しから失礼します。高天原のCEO、アマテラスです」
「……C……E……O……?」
佐藤の処理能力は、ついに限界を突破した。
引き出しから次々と神様が湧いてくる。一人は柿の種狂いのダンサーで、もう一人は猫型ロボットを自称する太陽神だ。
「あの……アマテラス様。すみませんが、今、仕事中なんです。猫型だとかCEOだとかはいいので、とりあえずその眩しすぎる光を抑えていただけませんか? 液晶モニターが反射して何も見えないんです」
佐藤のあまりにも現実的すぎるツッコミに、アマテラスは驚いたように目を見開いた。
「……何という事でしょう。私の御神徳を『光害』扱いするなんて。佐藤くん、あなた、さては相当心がカピカピに乾燥しているわね?」
「乾燥どころか、砂漠化して砂嵐が吹いてますよ! だから、お願いですから帰ってください!」
「残念ながら、そうはいかないわ。ウズメがこの街で始めた『笑いの連鎖』。あれを完成させるには、私の『照らし』が必要なのよ。……ところで佐藤くん、あなたのデスク、ちょっと暗くない? 私が太陽の力で、このフロアを常夏のリゾート地にしてあげましょうか?」
「やめてください!! オフィスで日光浴なんてしたら、精密機器が全滅します!!」
「いいわ、佐藤くん。そんなに困っているなら、この高天原の主である私が、あなたの『おしごと』とやらを手伝ってあげましょう。感謝しなさい」
アマテラスは優雅に袖をまくると、佐藤のキーボードの前に進み出た。
「……アマテラス様、これ、プログラミングですよ? 神様の魔法……じゃなくて、御神徳でどうにかなるものじゃないんです」
「フン、宇宙の理に比べれば、こんな文字列の羅列など、赤子の手をひねるようなものよ」
彼女は自信満々に人差し指を立てると、キーボードに向けて黄金の光を放った。
「神光・一括コンパイル!!」
ピカァァァ! とオフィスが真昼のような輝きに包まれる。
佐藤は期待半分、恐怖半分でモニターを覗き込んだ。
「……アマテラス様。バグは消えましたが、すべてのプログラムコードが『天晴』という漢字二文字に書き換わっています。これでは何も動きません」
「あら、景気がいいじゃない」
「景気の問題じゃないんです! そもそも、サーバーの冷却ファンがあなたの熱気で溶け始めてます! 暑い! オフィスが今、熱帯雨林並みの気温になってますよ!」
佐藤はついにキレた。
「もういいです! そこでウズメさんと一緒に柿の種でも食べててください! 邪魔です! 帰ってください!」
「……邪魔、ですって?」
アマテラスが凍りついた。太陽の光が、ショックで一瞬だけ紫色に淀む。
天岩戸に引きこもった時以来の拒絶を受けた彼女は、唇を震わせ、トボトボとウズメが座る床の方へ歩いていった。
「……ねえ、ウズメ。一粒ちょうだい」
「いいわよ、アマ姉さま。はい、あーん」
床に座り込み、神界の最高神二人が、コンビニ袋から直接「柿の種」を貪るという、歴史上類を見ないシュールな光景が完成した。
アマテラスは「ポリッ……ポリポリッ……」と、どこか物悲しい音を立てて柿の種を噛み砕く。
「……美味しいわね、これ。醤油の香ばしさと、唐辛子の刺激。そして、この絶妙なピーナッツの介入。……まるで私の心に刺さった佐藤くんの暴言を癒やしてくれるようだわ」
「でしょ? 結局これが一番なのよ」
ウズメはニヤニヤしながら、姉の横顔を覗き込んだ。
「ところでアマ姉さま。さっき『照らしが必要』なんて格好いいこと言ってたけど、本当は何しに来たの? ぶっちゃけ、高天原で退屈してただけでしょ?」
アマテラスの手が止まった。
彼女はドギマギしながら、視線を泳がせる。
「な、何を言うの。私は常に下界の秩序を……」
「嘘おっしゃい。その顔、隠し事が下手な時の顔よ」
「……うっ。……それは……」
アマテラスは最後のピーナッツを口に放り込むと、膝を抱えて小さくなった。
そして、パソコンに向かって必死にタイピングを続ける佐藤の背中を、少しだけ羨ましそうに見つめて、ポツリと漏らした。
「……だって。ウズメが、何だかとても楽しそうなことをしそうだったから……。私だけ、あの暗い岩戸……じゃなくて、神殿に置いてけぼりにされるのは、寂しかったのよ」
その言葉に、ウズメは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにガハハと笑って姉の背中をバンバン叩いた。
「なーんだ! やっぱり寂しかったんじゃん! だったらそう言えばいいのに! 猫型ロボットとか無理しちゃって!」
「うるさいわね! あれは私の精一杯のユーモアよ!」
背後で繰り広げられる神々の痴話喧嘩を聞きながら、佐藤は思わず吹き出した。
「……はは、ははははは!」
必死に直していたコードの手を止め、佐藤は椅子を回転させて二人の神様に向き合った。
「……最高神が『寂しかったから来た』ですか。もう、バグ修正なんてどうでもいい気がしてきましたよ。アマテラス様、そんなに暇なら、その太陽の光で、明日の朝までにこの街中の人を笑わせてくれますか? 僕のクビが飛ぶ前に」
アマテラスの瞳に、再び黄金の炎が宿った。
「……任せなさい。太陽の光を浴びて、笑わない者などこの世にはいないわ!」
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