アメノウズメ2
オフィスを飛び出した佐藤とウズメが辿り着いたのは、街外れにあるコンビニ『サイレント・マート』だった。
この街のコンビニは、入店チャイムの音量さえ条例で制限されている。自動ドアが開いても「ピンポーン」と気の抜けた音が微かに鳴るだけで、店内に一歩足を踏み入れれば、そこは冷蔵ケースのコンプレッサー音だけが響く静寂の墓場だった。
「ひどいねぇ、ここは。まるで賞味期限切れの魂を陳列してるみたいじゃない」
ウズメが、鼻に貼り付いた『バグ修正』の付箋をふっと吹き飛ばしながら言った。
佐藤は、その後ろで頭を抱えていた。
「ウズメさん、本当にお願いですから。ここは公共の場です。僕の社会的な死をこれ以上早めないでください」
「何言ってんの。死にたての魂に、新鮮な笑いの酸素を注入してあげるのが神の仕事よ!」
レジには、大学生らしきアルバイト店員が立っていた。
名は名札によると『田中』。
彼の目は完全に光を失い、まるで深海魚のような虚無を湛えていた。彼は一時間に一度、自分が生きていることを確認するために指先を動かすだけの機械と化している。
佐藤は、ウズメが何かをしでかす前に買い物を済ませようと、棚からおにぎりと、自分用の新しいコーヒー、そしてウズメが欲しがった「さらに大袋の柿の種」を手に取り、レジへ運んだ。
田中(店員)は、佐藤の顔も見ずにバーコードを読み取り始める。
「……いらっしゃい……ませ……」
その声は、墓石の裏から漏れ出す風の音よりも弱々しい。
その時だった。
ウズメが、レジカウンターに身を乗り出した。
「ねえ、田中くん。知ってた? 知ってた? コンビニのおにぎりって、実は三角形の形をした『宇宙船』なんだよ? 食べると胃の中でワープが起きるんだから!」
田中はピクリとも反応せず、死んだ目で柿の種の袋にスキャナーを当てた。
「……袋……お入れしますか……」
「入れなさい! あと、我のこの『付箋まみれの神々しい顔』にレビューを書きなさい!」
ウズメがレジカウンターを太鼓のように叩き始めると、突然、店内の異変が始まった。
セルフレジの音声ガイドが、本来の事務的な女性の声から、なぜか「ウズメの爆笑ボイス」に書き換わったのだ。
『ガハハハ! 500円のお買い上げだ! 貴様、さては相当な空腹だな! 腹の虫が太鼓を叩いてるぞ! イェイ!』
店内に響き渡る野太い神の笑い声。
その瞬間、死んでいた田中の指が止まった。彼はゆっくりと、機械的な動きでセルフレジの方を向く。
さらに、ウズメがカウンターの下に手を突っ込んで何かを「捏ねる」ような仕草をすると、自動ドアの開閉チャイムが暴走した。
「ププッ!」「アハハ!」「ウケるー!」
客が出入りするわけでもないのに、チャイムが様々な種類の笑い声を奏で始める。
静寂を美徳としてきた『サイレント・マート』が、一瞬にして「笑いの見本市」へと変貌した。
「な、何なんだ……これ……」
田中の喉から、久々の「言葉」が漏れた。
佐藤は、顔を真っ赤にして叫んだ。
「すみません! この人、ちょっと……ええと、神様なんです! 設定なんです! 全部僕が、明日謝りに来ますから!」
「謝る暇があるなら、共鳴しなさい!」
ウズメはそう言うと、レジの横にあるホットスナックのケースを開け、中のコロッケに向かって「笑え!」と念じた。
すると、どういうわけか、コロッケに「ソース」で絶妙な笑顔が描き込まれ、ケースの中でコロッケたちが小刻みにダンスを始めたのだ。
ポテトサラダを選んでいた、今にも泣き出しそうな疲れた様子のOLが、その光景を見て足を止めた。
彼女の視線の先では、コロッケがタップダンスを踊り、セルフレジが「お釣りは100円! 明日の宝くじに期待しろよな!」と高らかに叫んでいる。
「……ふ。ふふっ……」
OLの口から、小さな、しかし確実な「共振」が生まれた。
それは連鎖した。
田中の虚無だった瞳に、微かな光が戻った。彼は自分の手元のスキャナーが、バーコードを読むたびに「アヒョッ!」という間抜けな声を出すことに気づいた。
「アヒョッ。……アヒョッ。……ふふ、あはははは!」
ついに、店員の田中が爆発した。
彼はレジカウンターに突っ伏して、腹を抱えて笑い出した。
「なんすかこれ……意味わかんねぇ……俺、何真面目にレジ打ってたんだろう……アヒョッ、て! はははは!」
店内は、もう収拾がつかなかった。
付箋まみれの女神がレジの上で踊り、吹っ切れた店員が爆笑し、佐藤が「もう勝手にしろ!」とおにぎりを頬張りながら、自分も笑い声を上げている。
それは、コンビニの中で動き始めた瞬間だった。
笑いすぎて膝をついた店員の田中くんをよそに、ウズメの暴走は止まらない。
彼女は今度は、レジ横で静かに湯気を立てていた「おでんコーナー」に目をつけた。
「佐藤くん、見てなさい。おでんっていうのはね、出汁の中で具材たちが会議をしてるのよ。でも、この街のおでんは会議が真面目すぎるわ。もっと『無礼講』にさせなきゃ!」
ウズメが割り箸を指揮棒のように振ると、信じられないことが起きた。
出汁の中で沈黙を守っていた「ちくわ」が、水面にひょいと顔を出し、その穴を口に見立てて歌い始めたのだ。
『おっ、でっ、んっ、は、最高〜! 餅巾着の〜、中身は〜、夢が詰まって〜、るぅ〜!』
野太いオペラ歌手のような声でちくわが熱唱し、それに合わせて「はんぺん」がシンバルのように水面を叩く。
「……おでんが歌ってる。……おでんが合唱してるよ、ウズメさん!」
佐藤はもう、止めるのを諦めた。代わりに、近くにあったスマホを取り出し、この世のものとは思えない「おでん歌劇団」を動画に収めようとした。だが、笑いすぎて手が震えてピントが全く合わない。
その時、コンビニの自動ドアが勢いよく開いた。
「チャイム」が『ウケるー!』と大音量で叫ぶ中、入ってきたのは、この街の風紀を守る『深夜特別巡回隊』の二人組だった。
彼らは深夜の風紀を厳しく取り締まる準公務員だ。
「静粛に! そこで何が行われている! 」
隊長らしき大柄な男が、威厳たっぷりに手帳を掲げた。
しかし、彼の言葉は最後まで続かなかった。
「おっ、新しい観客の登場ね! 知ってた? 隊長さん。その制服、実はボタンを押し間違えると『マヌケな音』が出る仕様になってるのよ?」
ウズメがパチンと指を鳴らす。
隊長が「馬鹿なことを言うな!」と一歩踏み出した瞬間、彼の重厚なブーツの底から、子供の靴のような「ピコッ!」という気の抜けた音が響いた。
ピコッ。ピコッ。ピコッ。
一歩歩くたびに、深夜の静寂に響き渡る高音のピコ音。
「な、なんだこれは! 私の靴が……ピコッ! 貴様、何をした……ピコッ!」
怒鳴ろうとするたびに、彼の鼻の穴がなぜか左右交互に激しく膨らみ、その動きに合わせて「ブブゼラ」のような低い音が鳴り響く。
「……ぷっ、あはははは! 隊長、鼻が! 鼻が楽器になってますよ!」
後ろに控えていた若手の隊員が、ついにこらえきれずに吹き出した。
「笑うな! ピコッ! 私は真面目に……(ブォォー!)……真面目に職務を……(ブォォー!)」
威厳を保とうとすればするほど、足元からは「ピコッ」、鼻からは「ブォォー」という不協和音が鳴り響く。そのシュールなリズムに合わせて、おでんのちくわがさらにテンポを上げて歌い狂う。
「隊長さん、もっと腰を使いなさい! ほら、そのピコ音に合わせてステップよ!」
ウズメが彼らの周りを回転しながら、手に持っていた付箋を隊長の額に貼り付けた。そこには『本日、特売品』という文字。
「……はは、はははは! もうダメだ、これ、無理だ!」
ついに隊長も崩壊した。
彼はピコピコと靴を鳴らしながら、自暴自棄になったように奇妙なダンスを踊り始めた。
「おでんが歌ってるんだから、俺が踊ったっていいじゃないか! ピコッ! ブォォー! アハハハハ!」
深夜のコンビニは、今やディスコと化していた。
店員の田中くん、疲れたOL、踊る巡回隊長、そして付箋まみれの女神と、もう後のことなど何も考えていない佐藤。
その共鳴は、コンビニの壁を突き抜け、配線を通じて街の街灯へと伝わっていった。
街灯がリズムに合わせて明滅し、静まり返っていた住宅街の窓が、一つ、また一つと明かりを灯し始める。
人々は、不審な音に眉をひそめて窓を開けるが、そこから聞こえてくるのは、恐ろしい騒音ではなく、自分たちの心の奥底に眠っていた「何か」を呼び覚ます、圧倒的に明るい笑い声だった。
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