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  作者: しゅう


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69/116

アメノウズメ1

佐藤正一さとう・しょういちが勤務する、ブラック一歩手前のIT企業「沈黙システムズ」のオフィスである。

佐藤は一人、青白いモニターの光に照らされていた。

カチ、カチ、カチ……。

マウスのクリック音だけが、虚しく室内に響く。時刻は午前零時を回り、日付が変わったばかりの深夜。

「……終わらん。何が『働き方改革』だ。俺の人生が改革される前に、寿命が完済されちまうよ……」

佐藤は力なく呟き、猫背をさらに丸めた。胃のあたりが空腹とストレスでキリキリと痛む。彼はふぅと溜息をつき、腹をさすりながら、お腹に当たる部分の平たい引き出しに手をかけた。そこには、唯一の癒やしである、非常食の「柿の種」が入っているはずだった。


その時だった。

ガコンッ!!

物理法則を無視したような、暴力的な音が響いた。

佐藤が引くよりも早く、デスクの引き出しが内側から猛烈な勢いで突き飛ばされたのだ。


「うわあああかっ!?」

腹部を直撃した引き出しの勢いに押され、佐藤は事務椅子ごと後ろへひっくり返った。バターン!と派手な音を立てて床に転がり、天井を仰ぐ。


「……な、なんだ? 爆発か? 備品の反乱か?」

佐藤が混乱しながら、ひっくり返った椅子の脚の間からデスクを覗き込むと、そこには異様な光景が広がっていた。

 

開いたままの引き出しから、もくもくとピンク色の煙が立ち昇っている。

そして、その煙の中から、一人の「女」が這い出してきたのだ。

彼女は、勾玉まがたまをジャラジャラと首から下げ、派手な原色の衣をまとい、頭にはなぜか笹の葉を刺していた。

女はデスクの上にどっかと腰を下ろすと、呆然としている佐藤を見下ろして、不敵な笑みを浮かべた。


「……未来からきた青色の猫型ロボットじゃなくて残念でしたー!」

佐藤は口をパクパクさせた。「は……?」

「期待した? 今、のび太みたいな顔して期待したでしょ? でも残念! タイムマシンは故障中につき、神界直行便でお届けに参りました!」

女は立ち上がり、デスクの上でポーズを決めた。


「聞けい! 我こそは、神の人柱……アメノウズメで〜す! イェイ!」

彼女は自ら「イェイ!」と言いながら、空中でピースサインを作った。


「か、神……? アメノウズメ……? なんで俺のデスクの引き出しから?」

佐藤の問いに、ウズメはデスクを蹴って床に着地すると、佐藤の顔の数センチ先まで顔を近づけてきた。大きな瞳が、ギラギラとした生命力で輝いている。


「知ってた? 知ってた? 実はあんたの会社、暗すぎて不気味だったんだよ。このままじゃあんた、カピカピの干物になっちゃうよ? だから、このワレが、最高の景気付けをしに来てあげたってわけ!」

ウズメは佐藤の肩をバシバシと叩いた。神とは思えないほど手が痛い。


「さあ、佐藤くん! 我を敬え〜! 崇め奉れ〜! そして、まずは我にお供え物を出すのだ! 柿の種、入ってたでしょ? あの醤油の香ばしいやつ!」

佐藤は、呆然としたまま、床に散らばった「柿の種」の袋を差し出した。

ウズメはそれをひったくるように受け取ると、袋を豪快に歯で食い破り、中身を口に放り込んだ。

「んむっ! ぬふっ! ……これよ、これ! この小気味良い食感! 脳に響くじゃないの!」


これは夢なんだろうな。

とうとう自分は壊れたのかな?

とりあえず聞いてみよう。


「……あの、あなたは本当に……」

佐藤がようやく立ち上がると、ウズメはポリポリと音を立てながら頷いた。

「そうだよ。あんた、さっきまで死んだ魚みたいな目してたでしょ? 今から我のステップで、このクソ真面目な街ごと、ひっくり返してあげるから!」

ウズメは食べかけの柿の種を握りしめたまま、オフィスのど真ん中で踊り始めた。

それは厳かな舞ではない。

深夜番組の罰ゲームで見せるような、キレッキレだがどうしようもなくバカバカしい、魂のステップだった。

「ほら、佐藤くんも笑いなさい! 腹の底から声を出すのよ! アメノウズメ・ライブ、開演で〜す!」


「んむっ! ぬふっ! ……これよ、これ! この小気味良い食感! 脳に響くじゃないの!」

佐藤は、呆然と立ち尽くしながらその光景を眺めていた。

視界の端では、液晶モニターが「メモリ不足です」という警告を無情に点滅させている。だが、今の佐藤の脳内メモリは、目の前の「柿の種を頬張る自称・女神」の情報処理だけで完全にパンクしていた。

(これは夢なんだろうな。とうとう自分は壊れたのかな?)

佐藤はそっと目を閉じ、心の中でカウントダウンを始めた。三、二、一……よし、目を開けたら、そこには静まり返ったオフィスと、キーボードの上に突っ伏して寝ていた自分だけがいるはずだ。


意を決して、瞼を見開く。

「……あの、あなたは本当に……」

佐藤が恐る恐る声をかけると、ウズメは指についた醤油パウダーを豪快に舐め取りながら、ポリポリと景気のいい音を立てて頷いた。


「そうだよ。疑い深いねぇ、佐藤くん。あんた、さっきまで死んだ魚がさらに三日三晩徹夜したような目してたでしょ? 今から我のステップで、このクソ真面目な街ごと、ひっくり返してあげるから!」

ウズメは残りの柿の種を口の中に流し込むと、空になった袋をパンパンに膨らませ、それを両手で叩き潰した。


パーン!


静かなオフィスに、乾いた爆音が響き渡る。

それを合図に、彼女はオフィスのど真ん中で踊り始めた。

それは歴史教科書に載っているような厳かな舞ではない。

腰を激しく振り、手足を奇妙な角度で突き出し、時折「ホォウ!」という謎の裏声を上げる。深夜番組の罰ゲームで、若手芸人が必死に振り切って見せるような、キレッキレだがどうしようもなくバカバカしい、魂のステップだった。


「ほら、佐藤くんも笑いなさい! 腹の底から声を出すのよ! アメノウズメ・ライブ、開演で〜す!」

「すみません。仕事中なので、さっさと夢から目覚めて作業を再開したいと思います。納期が死神の足音みたいに聞こえてるんですよ」


佐藤はウズメの脇をすり抜け、事務椅子を直そうとした。

どうやってこの悪夢(あるいは幻覚)から目覚めようか。コーヒーを頭から被ればいいのか、それとも壁に頭をぶつけるのが正解か。

しかし、そんな佐藤の背中に、ウズメはデスクを太鼓のように叩きながら言葉を投げた。


「佐藤くん。残念ながら、これ夢じゃないよ。現実だよ。触ってみる? 我のこの、神々しい二の腕、プルプルしてて現実感すごいよ?」

「……現実なら、さっさと引き出しに戻ってください。今日中にこのプログラムを終わらせないと、明日の朝、部長が阿修羅像みたいな顔で僕を睨むんです」


佐藤は必死にモニターへ向かい、震える指でキーボードを叩こうとした。

だが、ウズメはそれを許さない。彼女は佐藤の椅子をクルリと回転させると、彼の鼻の先に人差し指を突きつけた。


「知ってた? 知ってた? 『今日中に終わらせる』なんて言葉、宇宙の辞書には載ってないんだよ。それより、ほら! 見て、我のこの顔! この変顔を見て笑わない奴は、神罰として一生、靴下の中に小石が入ってる呪いをかけるわよ!」

ウズメはそう言うと、手で自分の顔を一度隠し、パッと離した。

そこには、人間には不可能な角度まで口角を引き上げ、寄り目どころか白目になり、鼻の穴を極限まで広げた、破壊的な形相があった。


「……ふ、ふふっ」


佐藤の理性が、微かに音を立てて軋んだ。

不気味なはずなのに、あまりの潔すぎる醜さに、喉の奥から変な笑いが漏れそうになる。

「おっ、いい感じじゃない? もっと出しなさいよ、そのお腹の下の方に溜まってるドロドロしたものを全部、笑いに変えて出しちゃいなさい!」


ウズメはそう言うと、佐藤のデスクにあった「付箋ふせん」の束をひったくった。そして、一枚一枚に素早くマジックで何かを書き込むと、それを自分の顔中に貼り付け始めたのだ。

「な、何を……」


「これぞ、現代版・耳なし芳一スタイル! 命名、『付箋まみれのウズメ様』よ!」

振り返った彼女の顔には、蛍光イエローの付箋がびっしりと貼られ、そこには『締切厳守』『要再起動』『バグ修正』といった、佐藤が最も見たくない単語が殴り書きされていた。それが彼女の変顔に合わせて、ひらひらと蝶のように舞う。


「……っ、ふふ、ははっ! やめてください、不謹慎すぎる!」

佐藤はついに噴き出した。自分の恐怖の対象である『締切』が、神様の顔でマヌケに踊っている。その光景は、あまりにもシュールで、脳の防衛本能が「もう笑うしかない」と判断を下したようだった。


「よしよし、もっと笑え! もっと共鳴しろ!」

ウズメは調子に乗って、今度はオフィスにある「バランスボール」に飛び乗った。

「見てなさい、佐藤くん! これが神に伝わる『バランスの舞』よ!」

ドヨヨーン、ドヨヨーンと、深夜のオフィスにゴムまりが跳ねる不気味な音が響く。彼女はボールの上で見事な倒立を披露したが、案の定、そのまま勢い余って給湯室の方向に転がっていった。

ガシャーン!! と、マグカップが割れる派手な音が聞こえる。


「……ああっ! 部長のお気に入りの『世界一のパパ』って書かれたマグカップが!」

佐藤は血の気が引くのを感じた。これは夢ではない。確実に、明日の朝、始末書を書かされるタイプの「現実」だ。


「ウズメさん! 何してくれてるんですか! 現実なら、なおさら帰ってください! 神様なら、指先一つでこのプログラムをバグなしで完成させるとか、そういう奇跡を見せてくださいよ!」

佐藤の必死の訴えに、給湯室から這い出してきたウズメは、頭にティーバッグを乗せたまま、ケロッとした顔で言った。


「奇跡ぃ? そんな地味なことしてどうすんの。あんたね、プログラムが動くより、あんたの心のエンジンが動く方が、宇宙にとってはよっぽど大きなニュースなんだよ。ほら、見て。このティーバッグ、いい匂いするよ?」

彼女は佐藤の鼻先に、使用済みの紅茶のティーバッグを突き出した。

佐藤は、呆れを通り越して、なんだかすべてがどうでも良くなってきた。

 

目の前には、付箋まみれでティーバッグを頭に乗せた、柿の種好きの女神。

壊れたマウス。割れた部長のカップ。

そして、なぜか先ほどまで自分を締め付けていた「重圧」が、霧が晴れるように消えていることに気づく。


「……はは、ははははは! もういいや、どうにでもなれ!」


佐藤は天を仰いで笑った。その笑い声は、深夜のオフィスビルを震わせ、警備員の詰め所のモニターを微かに揺らした。

「そうこなくっちゃ! さあ佐藤くん、次は街に繰り出すわよ。この静かすぎる街に、我らの『笑いの渦』を叩き込んでやるんだから!」

読んでいただきありがとうございます。

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