イベリアの赤き大地2
一度でもその不毛の色彩に目を灼かれた者は、二度と通常の緑豊かな世界の平穏に戻ることはできない。ヴィリアトゥス・バエナが、自分がなぜ周囲の人間たちのように洗練されたマドリードの近代建築や、富と名声が約束された法学や経済学の道を選ばず、このどこまでも乾ききった考古学という名の底なし沼に足を踏み入れることになったのかを振り返るとき、脳裏に浮かび上がるのは常に一枚の圧倒的な静止画だった。それは、アンダルシアの最果て、シエラ・モレナ山脈の南麓に広がる、植物の生存を頑なに拒むかのような赤茶けた荒野の風景である。水分という水分を太陽によって極限まで絞り取られ、ただ酸化した鉄の成分だけが不気味に自己主張を続けるその大地は、見る者に地球以外の天体の地表を幻視させるに十分な異形さを誇っていた。見渡す限りの赤。視界の全てを埋め尽くすその無機質な地平線に一人で立たされたとき、幼い日のヴィリアトゥスが抱いたのは、恐怖というよりも、まるで火星の荒涼たる大地にただ一人、何の装備もなく大地に立つような、宇宙的とも言える感覚だった。耳を澄ましても風が砂礫を削る乾いた摩擦音しか聞こえず、鳥の羽ばたきも虫の羽音すらも存在しないその空間は、生命という現象そのものを根底から否定しているかのようだった。
通常の子供であれば、そのような生命の気配を感じられない空間からは一刻も早く逃げ出し、親の温もりや都市の喧騒の中に身を隠そうとするだろう。しかし、ヴィリアトゥスの中にあった感覚は、全く異なる方向へと収斂していった。彼はその火星のような荒野のただ中にしゃがみ込み、乾燥してひび割れた赤土の表面に小さな掌を直接押し当てた。その瞬間に彼を襲ったのは、奇妙なまでの過敏さと熱感だった。それは太陽の熱が土壌に蓄積されたという物理的な現象を遥かに超えて、地表のはるか下層、何十メートルもの堆積物の底に眠る「巨大な質量」が放つ不可視の波動が、彼の肉体という伝導体を媒介にして地上へと噴出してきたかのような感覚だった。その熱は、彼の脳裏に文字を持たない超古代の巨石構造物や、地殻の底で焼き固められた金属の塊のイメージを強制的に結像させた。それは、本を読んで得た知識や、過去の歴史に対するロマンチックな憧憬などという精神活動ではなかった。言葉になる以前の、大地の断層そのものと自らの神経系が直接接続されてしまうような、恐ろしいほどの身体的な偏りであり、抗いようのない資質そのものだったのである。
彼は成長するにつれて、この自身の感覚に怯え同時に魅了されていった。周囲の子供たちがサッカーボールを追いかけ、流行の音楽に興じている間も、ヴィリアトゥスはただ独り、地面の底から押し寄せる不可視の情報量に圧倒され、耐え続けていた。彼にとって考古学とは、過去への純粋な興味から選択した学問ではなく、この自らの肉体を絶えず苛み続ける大地の過敏な声を、何とかして言語化し、制御するための唯一の防壁であり、治療行為でもあったのだ。もしこの学問という名の形式的な枠組みがなければ、自分は足元の赤土の質量に精神を完全に呑み込まれ、発狂してしまうだろうという切実な恐怖が、常に彼の背中を押し続けていた。
だからこそ、大学の講義で、アルヴァレス教授が「考古学とは、過去の人類が残した物質的資料を手がかりに、客観的な事実を再構成する学問である」と定義したとき、ヴィリアトゥスは教室の最後列で、その言葉の持つ浅薄さに密かな冷笑を禁じ得なかった。教授たちの言う考古学は、死んだ記号をピンセットで分類し、現代の都合の良い歴史のタイムラインに並べ替えるだけの、安全で清潔な知的遊戯に過ぎない。彼らは遺物の寸法を測り、化学組成を分析してグラフ化することに汲々としているが、その遺物が引きずってきた時間の濁流や、それが埋もれていた土壌の底の狂気的な沈黙には、完全に耳を塞いでいる。彼らにとって歴史とは、学会の承認を得て教科書に印刷されるための、綺麗に乾燥された標本のようなものである。しかし、ヴィリアトゥスが幼少期から感じてきたものは、もっと泥臭く、血生臭く、臨場感に満ちた地層への直接的な同調だった。彼が土を掘り進め、地下の遺構に肉体が近づいていくとき、彼の皮膚の過敏さは極限にまで達する。地層が年代ごとに重ねてきた重圧が、そのまま彼の筋肉の緊張となり、微細な砂粒の摩擦音が、彼の耳の奥で未知の言語のざわめきとなって響くのだ。
今回の発掘調査においても、現場の掘削区画がさらに深く穿たれるにつれ、周囲の学生たちが「これ以上掘っても、どうせカルタゴの交易品を証明するような分かりやすい陶片は出ない」「ただの不毛な粘土層が続くだけだ」と愚痴をこぼし、作業の効率を露骨に落とし始めていた。彼らの目には、地層の色彩の変化や、土の硬度の微妙な差異などは単なる作業の障害としか映らない。彼らは、あらかじめ決められた学術的な正解という名の補助線がなければ、大地の声を聞くことができない盲人たちだった。論文の構成をどうするか、誰の名前を連名にするかといった世俗的な計算にのみに費やしている彼らは、すぐ足元で地層が発している劇的な変化の予兆に全く気づいていない。しかしヴィリアトゥスにとっては、この深く穿たれた溝の底こそが、自らの肉体が最も正常に機能する空間だった。地表から3メートル、4メートルと垂直に下降していくにつれ、彼の呼吸は驚くほど深く、静かになっていく。周囲の人間たちがアンダルシアの熱気と埃に喘ぎ、早くマドリードの冷房の効いた部屋に帰りたいと願う中で、ヴィリアトゥスの指先は、金網の篩の上で転がる石の一粒一粒から、まるで点字を読み取るかのように、文字以前の超古代の論理を正確に抽出していた。
なぜ自分は、これほどまでに目に見えない過去に固執するのか。その問いに対する答えは、彼の血脈の中に最初から組み込まれていた。ヴィリアトゥス・バエナという己の名に含まれる「バエナ」の響きは、このアンダルシアの赤土から抽出された酸化鉄の色そのものである。彼の一族は、ローマがこの半島を征服するよりも遥か昔、カルタゴが地中海の覇権を唱えるよりもさらに前の時代から、このグアダルキビル川の流域にへばりつき、大地の底の記憶を守るための無言の楔として存在してきたのではないか。近代的な戸籍や教会の記録によって、彼らの家系は現代のスペイン人として記録されている。しかし、その肉体の奥底に眠る遺伝子の螺旋には、タルテッソス文明の、いや、それすらも超越した太古の文明の知恵と血脈が受け継がれているのではないか、その確信は、地下の遺構へと近づくにつれて、彼の全身を焦がすような過敏な熱感となって現れる。周囲の人間たちがどれほど彼を「教科書から這い出てきた迷子」と笑おうとも、ヴィリアトゥスにとっては、スマートフォンに映し出される現代のニュースや、学会の予算獲得に躍起になる教授たちの姿の方が、よほど現実味のない、薄っぺらな陽炎のように見えていた。
ヴィリアトゥスは再び、篩の上の土砂に視線を落とした。細かな赤い塵が舞い上がり、彼の視界を一時的に奪うが、その奥にある地層の気配は、彼の網膜ではなく皮膚の感覚を通じて、より鮮明にその輪郭を現し始めていた。彼の掌の皮膚は、スコップの柄を通じて地層の僅かな密度の変化を敏感に察知していた。砂礫の層から、粘土質の強い層へと刃先が移行する際の、あの独特の、大地の奥歯を噛み締めるような抵抗感。それこそが、彼が求めていた「扉」が近いことを示す何よりの物証だった。教授たちが大真面目に議論している「歴史の真実」がいかに浅薄で、人間の都合に合わせて捏造されたものであるか。それを指摘する言葉を、ヴィリアトゥスは持たなかったし、持つ必要性すら感じていなかった。ただ、自らの肉体が、足元の土壌の底から発せられる微かな振動を、静かに、しかし確実に受信し始めているという事実だけが、彼の世界を支配していた。
太陽が天頂を過ぎ、発掘現場の周囲にわずかな影が伸び始める時間帯になっても、赤茶けた大地の熱気は一向に衰える気配を見せなかった。むしろ、地表に蓄積された熱が、じわじわと這い上がるようにして作業者たちの体力を削り取っていく。アルヴァレス教授はすでにテントの奥でパイプに火をつけ、地元の名士からの寄付金に関する書類に目を通し始めていた。セバスティアンたち院生も、暑さに耐えかねて作業の効率を落とし、いかにして今日の作業を早めに切り上げるかの言い訳を話し合っている。そんな俗世の停滞と弛緩のただ中にあって、ヴィリアトゥス・バエナのスコップだけが、冷徹なメトロノームのように正確なリズムで動き続けていた。彼が掘り起こし、篩にかけている土砂の量は、他のメンバーの数倍に達していたが、その呼吸が乱れることはついになかった。周囲の人間たちに対する冷ややかな軽蔑すら、今の彼の心の中には残っていなかった。彼はただ、この大地の皮膚を一枚ずつ剥ぎ取っていく作業のその先に、誰も見たことのない、しかし自分がずっと待ち望んでいたはずの「何か」が、圧倒的な質量を持って横たわっていることを確信していた。火星の地表のような圧倒的な孤独の中で、足元から伝わる大地の微かな脈動にその全存在を同調させ、彼は静かに、しかし冷徹に、スコップの刃を次の深淵へと突き立てていった。自らの皮膚が完全に焦げ付き、大地と同化して消え去るその瞬間まで、この掘削を止めることはできないという、甘美なまでの強迫観念が、彼の肉体を冷たく突き動かしていた。
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