Scene-5 大叔父さん
『行ってきます』
母が亡くなったあの日の朝は、いつもと変わらない、日常的な朝だった。
その日貴志は、いつものように朝食を作り、母とそれを食べ、母を見送った。
―――お母さんが亡くなりました。
貴志がその連絡を受け、指定された場所に赴いた時は、既に母は棺桶の中だった。母の同僚と言う人曰く、「交通事故だった。会社の方で既に葬儀の準備は出来ている」ということだった。
それが何だ。母の顔をもう一度見せてくれ。
それは叶わなかった。断固として会社の人たちは認めず、母の棺桶が開かれることは無かった。
* * * * *
貴志は、無駄に広い寮の部屋でベッドに腰掛けながら一人、あれこれと考えていた。いや、厳密に言えばこの部屋にはもう一匹、黒い猫がいるのだが、一人で猫に話しかけるというのも妙な気分なので放っておいた。
こんこん、と、突然部屋の玄関扉が叩かれた。
「どちら様ですか?」
貴志はベッドに腰掛けたまま言ったが、扉の外から返事は帰ってこなかった。
貴志は仕方なく、少し怪しがりながらも立ち上がって、扉を開けた。
「こんばんわ、貴志君」
そこにはグレーのスーツに身を包み、白い猫を抱いている三十歳…くらいの男が立っていた。
男は白い猫を撫でながら、貴志をじっと見つめていた。居心地悪く貴志が身じろぎすると、男はクスリと笑いながら言った。
「あぁ、やはり。君は更紗の息子のようですね」
紫色の瞳が―――人間ではなさそうな色だが―――細められその唇が歪められる。
「えっと、どちら様ですか?」
見覚えのない男を前にして、貴志は一瞬ひるんだ。それくらい、男の威圧感は半端無かった。
ひるんで後ろに下がった貴志を見て、男は仰々しそうに頭を下げた。
「どうも、初めまして。私の名前は一条カイリです」
「一条? ってつまり……」
「はい。君の親戚、ということです。正確に言えば、私は君の大叔父に当たりますね」
大叔父……ということは祖父の兄弟ということだが、目の前の男―――一条カイリは明らかに若く見える。
「えっと、失礼ですが……年齢は?」
「六十三です。ちなみに君のおじいさんも健在で、私より五つ年上の六十八歳ですよ」
どこから見ても実年齢より若く見えるが、それ以上突っ込むと厄介な説明を受けそうなので、あとで他の人に訊こう、と決めてそこはスルーした。
「あ、中入りますか?」
貴志はここでずっと部屋の外だったことに気付いて、部屋の中に招こうとしたが、カイリはそれを丁寧に断った。
「結構です。私は君にこれを渡しに来ただけですから」
カイリはいつの間にか手に持っていた赤い、ワインレッドの封筒を貴志に手渡して、白い猫を撫でながら去って行った。
去っていく後姿だけを見送った貴志には、カイリがどんな顔をしていたのか知る由もなかった。
* * * * *
「あの子には、おかしな術がかかっていましたよ。弱まってはいましたがね」
もう窓の外は暗く、足元すらおぼつかない部屋には、灯りもつけず二つの影があった。一つは闇の中に紫色の瞳を、もう一つは真紅の瞳を輝かせて。
「どうせ更紗がかけた術だろう。そんなことはどうでも良いが……適性はあったかね?」
しわがれた老人の声がそう問うた。紫の瞳は揶揄するように細められ、男が答えた。
「言ったじゃないですか、術がかかっていたと。適性判断はしかねますね」
「……まあ、いい。直に分かることだ。それよりも―――」
闇の中の密談は、真夜中まで続いた。




