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『戦闘力ゼロの【救助隊長】、最強の村で人命救助を始めます~元消防士の俺、神話級の問題児たちを率いて大陸の英雄になる~』   作者: 月神世一


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EP 9

「救助隊の予算が足りません!」

 ポポロ村自警団詰所の奥、『臨時救助班準備室』の古びた白樺の長机の上に、白黒の数字がびっしりと書き込まれた羊皮紙が叩きつけられた。

 純金メッキの魔導金算盤『十露盤』をパチリと小気味よく弾き、真鍮のキセルから細く紫煙を吐き出したニャングルが、細い猫目をさらに冷ややかに細めて直樹を見据える。

「見ぃや、直樹はん。これが本日、アンタらが『華麗に誰も死なせずにやり遂げた』人命救助の、生々しい通信簿や」

 相澤直樹は、手元の収支計算書に視線を落とした。

 ――出動経費内訳――

 ・応急処置用包帯および木製副木:銀貨二枚(二千円)

 ・マンミア用『アグニ』炸薬機構の点検・高圧蒸気清掃費:銀貨八枚(八千円)

 ・フェイトのミスリル大剣、刃こぼれ修繕研磨代:銀貨五枚(五千円)

 ・緊急通信石の魔力チャージ消耗分:銀貨三枚(三千円)

 ・隊員四名の緊急出動危険手当(村規定最低保証):銀貨二十枚(二万円)

 ・帰還後の補給食(タローソンの見切り品おにぎり・麦茶):銀貨二枚(二千円)

 ――――――――――――――――――――――――――

 支出合計:銀貨四十枚(約四万円)

 回収できた救助謝礼金(金欠冒険者四名の手持ち全額):銀貨四枚(約四千円)

 差引純損失:銀貨三十六枚(マイナス約三万六千円)

「……見事な大赤字ですね」

「大赤字どころの騒ぎちゃうわ! 回収率ジャスト一割やぞ!」

 ニャングルがキセルを机に叩きつけ、怒気を含んだ声を張り上げた。三角の猫耳がピクピクと逆立ち、金無垢のチェーンが首元でチャラリと揺れる。

「出動一回につき三万六千円の赤字垂れ流しや! このペースで月に十回も出動してみぃ、三十六万円の純損失! 年間にしたら四百万円以上の大穴や! アンタらのその尊い善意を維持するために、なんでウチの銀行が身銭切って補填せなアカンねん! ウチは慈善事業団体やなくて、営利を追求する銀行の支店長やっちゅうねん!」

「うぅ……でもニャングル、あの子たち本当にお金持ってなかったんだよ?」

 隣で縮こまっていた村長キャルルが、手縫いの人参柄刺繍ハンカチを両手で握りしめ、長い兎耳をへにゃりと垂らして口を挟んだ。

「駆け出しの冒険者さんたちで、装備を揃えるだけで借金まみれだったみたいだし……あそこで『金を出さないなら岩穴から引きずり出してイノシシに食わせるぞ』なんて言えないよぉ」

「当たり前や! 誰がそんな山賊みたいな真似しろ言うた!」

 ニャングルはキャルルを一喝した。

「問題はそこやない! 『金を持ってへん奴を助けるな』とは一言も言うとらん! 『金を持ってへん奴を助けた時のコストを、どこから回収するシステムになっとるんや』と聞いとるんや!」

 ぐうの音も出ない正論に、準備室の空気がシンと静まり返った。

 部屋の壁際に控えていた自警団長マンミアが、四肢の蹄を小さく踏み鳴らし、重苦しい口調で口を開いた。

「……ニャングルの指摘はもっともです、直樹殿。自警団の予算も無尽蔵ではありません。前村長ロップが村の公金を持って逃亡して以来、当村の防衛予算は常にカツカツなのです。アグニの整備部品も、本来なら帝都からの配給を待たねばならぬ貴重品。救助班が動くたびに資材が摩耗し、補填がつかなければ……いずれ自警団本体の防衛網に穴が空きます」

「マンミアさんまで……」

 直樹は己の両手を見つめ、静かに息を吸い込んだ。

 前世の日本であれば、こんな議論をする必要は一切なかった。

 救助工作車が一台動けば燃料代がかかり、油圧スプレッダーを使えば作動油が減り、ロープを一本廃棄すれば数万円が消える。だがそれらはすべて、住民が納めた地方税という巨大な公的インフラによって支えられていた。消防士は「命を救うこと」だけに集中でき、財布の残高を気にしてアクセルを踏み留まるような真似は許されなかった。

 しかし――ここは異世界だ。

 社会保障制度もなければ、広域行政による消防庁も存在しない。

 あるのは、重武装で自活するポポロ村という一つの自治共同体と、資本の論理で動くメガコングロマリット『ゴルド商会』だけだ。

「ニャングルさんの言う通りです」

 直樹は顔を上げ、しっかりと猫耳の商人の目を射抜いた。

「私が現場の救助手順ばかりに気を取られ、活動の『兵站(ロジスティクス)』と『財務基盤』の設計を後回しにしていました。助ける人間が飢え、装備が尽きれば、救助隊そのものが消滅する。それではプロの仕事とは呼べません」

「……ほう」

 反発するどころか、即座に組織の構造的欠陥として受け止めた直樹に、ニャングルは面白そうに眉をピクリと持ち上げた。

「話が早くて助かるわ。で、具体的にどないする気や? 救助を続けるには、今ある装備の維持費だけやないぞ。直樹はん、アンタが昨日作っとった『配備希望リスト』……あれ、全部揃えたらナンボかかるか分かっとるんか?」

 ニャングルは手元のもう一枚のメモをペラリと裏返した。

 そこには、直樹が前世の記憶を頼りに書き出した、救助活動に不可欠な装備が並んでいた。

 ・高所降下・引き上げ用耐荷重ミスリルワイヤーロープ(五十メートル×三本)

 ・要救助者固定用バスケット型担架

 ・夜間・粉塵用魔導サーチライト

 ・有毒ガス検知用の魔導式カナリア石

 ・隊員用防護ヘルメットおよび難燃性耐熱ジャケット

 ・イグニスの過剰火力を抑制する冷却拘束具

「ざっと見積もって、初期導入費用だけで金貨二百枚(約二百万円)。さらに毎月の消耗品補充と隊員の基本給を合わせたら、ランニングコストは月あたり金貨五十枚(約五十万円)は下らへん。……直樹はん、今の救助班の金庫、いくら入っとるか知っとるか? さっきの銀貨四枚だけやぞ」

「二百万に……月五十万……!」

 キャルルが目を回しそうになって自分の兎耳を引っ張った。

「む、村長のお給料から出そうか!? あたし、年収六百万円くらいあるし!」

「アホ言え!」

 ニャングルが即座に叩き潰す。

「お前の給料は満月カチコミの示談金と、タローソンの見切り品買い食いで半分消えとるやろが! それに個人のポケットマネーで回す組織なんぞ、その個人が倒れた瞬間に連鎖倒産や! 『持続可能な善意』やなくなったら意味があらへん言うとるんじゃ!」

 正論の雨あられ。

 だが、直樹の瞳は死んでいなかった。

 地方公務員として、予算折衝や通信指令室での費用対効果の算出を幾度となく経験してきた三十四歳の男の頭脳が、猛烈な勢いで回転を始めていた。

「……ニャングルさん。人命救助をビジネスとして成立させる方法は、本当に『現場で助けた相手からその場で金を巻き上げる』ことだけですか?」

「あん? どういうことや」

「救助が必要になるのは、いつだって『事故が起きた後』です。そして事故に遭った人間は、その時点で財産を失い、怪我を負い、支払い能力が最も低下している。そんな相手から事後に満額を回収しようとするから、破綻するんじゃないですか?」

 ニャングルのキセルをくゆらす手が、スッと止まった。

「続けてみぃや」

「事故が起きる前に、広く、薄く集めるんです」

 直樹は長机の上に身を乗り出した。

「例えば――近隣の冒険者ギルドや、街道を行き交う大商会との『包括救援契約』です」

「包括契約……?」

「ええ。冒険者ギルドに登録している冒険者たちから、登録料や依頼仲介料に上乗せする形で、毎月ごく少額の『共済掛金』を集めてもらうんです。銀貨一枚……いや、銅貨数枚でもいい。その代わり、万が一ダンジョンや峡谷で遭難した際、ポポロ救助隊が優先的に出動し、無償または格安で救出活動を行う」

「……遭難保険(共済)のシステムか!」

 ニャングルの猫目が、カッと見開かれた。

 商人としての鋭利な嗅覚が、直樹の言葉の背後にある天文学的な数字の可能性を一瞬で嗅ぎつけたのだ。

「さらに商会連合です」

 直樹は澱みなく言葉を重ねる。

「ポポロ村の周辺街道は、魔物や崖崩れの多発地帯だ。商隊が一つ壊滅すれば、数千万円単位の積み荷が失われる。商会連合に対して『街道安全保障契約』を結び、年間の定期維持費を支払ってもらう。その対価として、救助隊が定期的に街道の危険箇所を巡回し、土砂崩落の兆候を調査して安全マップを提供する。さらに事故発生時には即座に駆けつける」

「事故が起きてからの救助やなくて……『事故の予防と、起きた時の補償』をセットにして売るっちゅうわけか……!」

 ジャギィィィィンッ!

 ニャングルの指先が、目にも留まらぬ速さで金算盤を弾き始めた。

 珠が激しくぶつかり合い、乾いた金属音が部屋を満たす。

「……帝都の冒険者登録数は約三千人。一人頭、月あたり銀貨一枚(千円)の共済費を徴収できたとして……それだけで月三百万円の固定プール金ができる! 街道を通るゴルド商会傘下のキャラバンは月間五十本。一本あたり金貨一枚の安全協定費を上乗せすれば、さらに五十万円……!」

「それだけじゃありません」

 直樹は畳み掛けた。

「救助隊の技術は、売れます。自警団や一般の冒険者向けに『搬送技術講習』『止血・応急手当セミナー』を有料で開催する。自力で生き残れる人間が増えれば、私たちの無駄な出動も減り、経費削減にも繋がる」

「直樹はん……!」

 ニャングルは算盤を抱え直し、身震いするように息を呑んだ。

 その顔には、先ほどまでの怒りは微塵もなかった。

 あるのは、見たこともない新しいビジネスモデルを前にして、魂を熱狂させる怪物の笑顔だった。

「……恐ろしいオッサンやな、アンタは。『人命救助は商売やない』言うてた口で、まさか金融工学とリスクヘッジを組み合わせた巨大サブスクリプションを提案してくるとは思わんかったわ! 脳がバグるどころか、久しぶりに商売人としての血が沸騰してきたでぇッ!」

「えへへ……なんかよく分かんないけど、直樹さんが凄いのだけは分かったよ!」

 キャルルが嬉しそうに長い耳をピコピコと跳ねさせ、直樹の背中をバシバシと叩いた。

 マンミアもまた、驚嘆を隠せない様子で腕を組んでいた。

「素晴らしい着眼点です、直樹殿。事故を防ぐための巡回と講習……それならば自警団の『治安維持活動』とも完全に合致する。ギルドや商会への防衛協力という名目で、我が隊の装備や人員を公式に貸し出す大義名分が立ちます」

「よし、話は決まりや!」

 ニャングルはキセルを仕舞い、懐から万年筆と上質な羊皮紙を取り出した。

「契約書の草案はワシが引いたる。ギルドの強欲な支部長連中と、商会の狸オヤジどもを丸め込む交渉はウチの仕事や。……ただし直樹はん」

「はい?」

「この美味い話を呑ませるには、一つだけ決定的なもんが足らん。何やと思う?」

 ニャングルの鋭利な問いに、直樹はわずかに間を置き、静かに頷いた。

「『実績』ですね」

「その通りや」

 ニャングルは指を一本立てた。

「どこの馬の骨とも知れん臨時救助班に、誰が金を払って包括契約を結ぶ? 『ポポロ救助隊に頼めば、どんな絶望的な現場からでも生きて帰れる』――そう大陸中に認めさせるだけの、圧倒的で、公的な救助実績が要るんや」

 実績。

 自分たちはまだ、街道の崖崩れと、峡谷で猪に追われた駆け出し冒険者を助けただけの、非公式な急造チームに過ぎない。

 社会を動かし、持続可能な組織を作るためには、誰もが息を呑むような本物の試練を乗り越えなければならないのだ。

「分かっています。日々の訓練を重ね、来るべき時に備えます」

「頼むで、隊長はん。……おっと、そうと決まればまずは初期投資の回収や! おいイグニス! フェイト! サボっとらんと入ってこんかい!」

 ニャングルが準備室の引き戸をガラリと開けると、廊下で聞き耳を立てていた二人が雪崩のように倒れ込んできた。

 土まみれの作業着を着た竜人のイグニスと、相変わらずミスリルアーマー姿のフェイトだ。

「ひ、ひぃっ! ニャングルさん、俺様はちゃんと畑を耕してきたぜ!?」

「お、俺も従兄弟の犬の法要が終わって、今まさに訓練に合流しようと……」

「やかましい! 救助隊の初期備品を買うための軍資金を稼ぐぞ! イグニス、お前は村の裏山の巨岩破砕作業で土木手当を全額供出! フェイト、お前はゴルド商会の長距離馬車の護衛任務に一週間タダ働きでサインせぇ! コイン投げたらその場で即刻解雇やからな!」

「「ぎゃああああああっ!?」」

 二人の悲鳴が準備室に木霊し、キャルルが「あはは、みんなで働けば怖くないよ!」と呑気に笑い飛ばす。

 直樹は苦笑しながら、手元の収支計算書を丁寧に折りたたんだ。

 理想を語るだけでは、命は救えない。

 飯を食い、装備を整え、人を雇い、社会と契約を結ぶ。

 元消防士の男が目指す「人命救助」は、今、異世界の厳しい現実と手を取り合い、確かな『仕事』としての産声を上げようとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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