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『戦闘力ゼロの【救助隊長】、最強の村で人命救助を始めます~元消防士の俺、神話級の問題児たちを率いて大陸の英雄になる~』   作者: 月神世一


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EP 8

「逃げることも立派な仕事です」

 ポポロ村自警団詰所の奥、木造の看板に『臨時救助班準備室』と墨で書かれた一室に、香ばしい紫煙が漂っていた。

 相澤直樹が机の上に広げた峡谷周辺の地形図から顔を上げると、丸椅子に腰掛けて気だるげにポポロ・シガレットを燻らせている銀髪の青年――フェイト・ラックと目が合った。全身を包むミスリルアーマーは鏡のように磨き上げられ、腰の両手剣も完璧に手入れされているが、その目元には隠しきれないバツの悪さが滲み出ている。

「……体調は、もうよろしいんですか? フェイトさん」

「お、おう、隊長。なんとか奇跡的に一命を取り留めたぜ。いやぁ、親友の従兄弟の隣のおばさんの飼い犬の四十九日ってのは、精神的にも魔力循環的にも堪えるもんだな」

「犬の四十九日に参列した人間を、私は前世を含めて三十四年間で初めて見ましたよ」

 直樹が冷ややかな目を向けると、背後からドスドスと重厚な蹄の音が迫ってきた。

「フェイト。室内禁煙の規則を忘れたわけではありますまいね?」

 現れたのは、ケンタウロスの自警団最高責任者マンミアだった。

 その左腕に装着された刺突型大型シールド『アグニ』の鋼鉄面が、窓から差し込む朝陽を反射して鋭く輝く。マンミアが琥珀色の瞳をスッと細めた瞬間、フェイトは慌てて灰皿代わりの空き缶へシガレットの火を押し消した。

「へいへい、冗談だよマンミア団長。……で、隊長。俺が仮病でサボってた間に、イグニスのトカゲ野郎が訓練資材をブレスで全焼させて減給処分になったって本当か?」

「本当です。本人は現在、自警団の畑でタローソンのおにぎりを賭けて開墾作業の真っ最中ですよ」

 直樹が苦笑いした、その時だった。

 ジリリリリリリッ! ジリリリリリリッ!

 部屋の隅に据え付けられた魔導通信石が、けたたましい警告音を鳴り響かせた。

 マンミアが即座に受話器代わりの水晶を手に取る。

「こちら自警団詰所、マンミアだ。……何!? 場所はどこだ!」

 緊迫した声で作戦室の空気が一変した。直樹の背筋が、消防署の指令ベルを聞いた時と同じ反射速度でピンと張り詰める。

「南西の『赤土の鳴き峡谷』です! 哨戒班からの急報!」

 マンミアが水晶を置き、地図の一点を手甲で指し示した。

「近隣の冒険者パーティ四名が、鉱物採取中に魔物の群れに襲撃されたとのこと! 一名が脚部を負傷して行動不能、残る三名が迎撃を試みるも、峡谷の隘路に追い詰められて包囲されている模様です!」

「魔物の種類は!?」

「岩甲猪(ロックボア)の群れ、およそ十頭! 外殻は硬質な岩盤並み、体重は一頭あたり一トンを超えます! 突進を受ければ並の防具など紙同然に粉砕される!」

 直樹が状況を反芻するよりも早く、詰所のドアが勢いよく蹴り開けられた。

「大変! 峡谷で冒険者さんが襲われてるって聞いたよ!」

 飛び込んできたのは、村長キャルル・ムーンハートだった。

 動きやすいオーバーサイズの白いパーカーに身を包み、長い白銀の兎耳を緊張でピンと尖らせている。足元には、ミスリルの鉄板が仕込まれたタローマン特注安全靴。

「マンミア、直樹さん、すぐ行こう! あたしが現場へ突っ込んで、邪魔なイノシシどもを片っ端から蹴り砕いて吹き飛ばしてあげるから!」

「待ちなさい、村長! 貴女自ら前線に――」

「出動です!」

 直樹は机の上の救助バッグを引っ掴み、凛とした号令を飛ばした。

「キャルル村長、マンミアさん、フェイトさん! 救助班、現着を最優先! 装備を持って私に続いてください!」

「「了解!」」

     *

 ポポロ村の南西に位置する『赤土の鳴き峡谷』は、赤褐色の切り立った崖が両側に迫る天然の巨大迷路だった。風が吹き抜けるたびに崖の裂け目が笛のように鳴り響くこの隘路の奥深くから、獣の猛々しい咆哮と金属の激突音が轟いていた。

 グオオオオオッッ!!

 崖の上部に駆け上がった直樹は、即座に身を伏せて眼下を見下ろした。

『状況把握(サイズアップ)』

 幅わずか六メートルほどの袋小路状の峡谷。

 要救助者は、軽装の革鎧を身につけた冒険者四名。

 若い男性魔術師が瓦礫に足を挟まれて倒れ込んでおり、激痛に顔を歪めている。その周囲を、盾を持った戦士と二名の短剣使いが必死に守りを固めていた。だが、彼らの防具は既にボロボロで、吐く息は白い。

 彼らを半包囲しているのは、全身をごつごつとした茶褐色の鉱石質の甲殻で覆った巨大な猪――ロックボアの群れ、計八頭。

 鋭利な岩石の牙を地面に擦り付け、今にも一斉突進で冒険者たちを押し潰さんとしている。

「よし、あたしの出番だね!」

 キャルルがピンクがかった濃密な闘気を全身に立ち上らせ、崖の縁に足をかけた。

「上からあの広場の中央に飛び降りて、闘気波でイノシシどもをミンチにして――」

「止まれ、村長!!」

 直樹は鋭くキャルルの腕を掴んで引き戻した。

「な、なんで止めるの直樹さん!? 早くしないとあいつらがやられちゃうよ!」

「よく見ろ! あの峡谷の地盤は、長年の風化で脆くなった赤色砂岩だ! そんな狭い場所でお前がド派手に闘気波をぶっ放したらどうなる!? 両側の崖が連鎖崩落を起こして、魔物ごと冒険者たちを生き埋めにするぞ!!」

「あ……っ!」

 キャルルは真紅の瞳を見開き、崖の断面を凝視した。直樹の言う通り、崖の随所に不吉なクラック(亀裂)が縦横に走っている。

「討伐が目的じゃない! 我々の任務は、あの四人を全員無傷で連れて帰ることだ! 魔物とまともに戦う必要はない!」

「へっ……なら、俺の華麗な剣技で一頭ずつ確実に首を刎ねてやるぜ」

 背後から、フェイトが不敵な笑みを浮かべながら歩み出てきた。

 その右手の指先には、煌めく一枚の金貨が挟まれている。

「スキル発動――【コイントス】! 表が出れば能力二倍、俺様が救助隊を導く無敵の英雄に――」

 ガギィィィィンッッ!!

 凄まじい金属打撃音とともに、弾き上げられかけた金貨が空中で粉々に叩き落とされた。

 見れば、マンミアの巨大シールド『アグニ』の先端が、フェイトの鼻先数ミリでピタリと静止していた。

「ひっ……!?」

「フェイト。現場で二度とその下らぬ博打に手を伸ばしてみなさい」

 マンミアの冷徹な琥珀色の瞳が、フェイトの喉元を射抜いていた。

「貴様がまた裏を引いてその場で泡を吹いて倒れれば、我々は要救助者四名に加え、貴様という百キロ近い穀潰しを余計に搬送する羽目になる! 救助隊の足を引っ張るつもりなら、今ここで私のパイルバンカーで気絶させて置いていきますよ」

「じょ、冗談だよマンミア団長! ちょっと運気を試そうとしただけで……!」

 青ざめて両手を挙げるフェイトを尻目に、直樹は崖下の状況へ全神経を集中させた。

 ――カチリ。

 脳の奥底で、冷徹な歯車が噛み合う。

 直樹の視界から余計なノイズが消え去り、淡く、だが力強いエメラルドグリーンの光筋が立ち上った。

『ユニークスキル【避難経路(エスケープ・ルート)】――起動』

 光は、負傷した魔術師を抱える冒険者四人の足元から伸びていた。

 だが、その光の帯は、前方を塞ぐロックボアの巨体の手前でチリチリと激しく明滅し、途切れかけている。

 敵がいる場所は「通行不能」。

 しかし――光の矢印は、ロックボアをすり抜けた先の、崖の側面にぽっかりと口を開けた「狭い風穴(洞窟)」を明確に指し示していた。

(あの穴か……! 幅一メートル足らずの縦穴。人間なら一人ずつ滑り込めるが、全幅二メートルを超えるロックボアは物理的に進入できない安全地帯だ!)

 道はある。

 だが、その穴へ至る直線ルート上には、三頭のロックボアが立ち塞がっている。

(倒す必要はない。敵をあの通路から『どかす』だけでいいんだ!)

 直樹の頭の中で、前世の救助戦術が目まぐるしく組み上がっていく。

 暴走する車両の軌道を逸らす誘導ブロック、突進する危険物の運動エネルギーの分散。

「全員、よく聞け! 作戦を伝える!」

 直樹の研ぎ澄まされた指示が飛んだ。

「フェイト! お前は元A級冒険者の地力を見せろ! コインなど使わなくても、お前の剣技と身のこなしなら魔物の視線を引きつけるくらい造作もないはずだ!」

「……っ!」

「左側の崖の斜面を滑り降り、威嚇で手前の二頭の注意を引け! 絶対に深追いするな、攻撃を受け流して崖沿いに誘導しろ!」

「へっ……言ってくれるじゃねぇか隊長! 任せな!」

 フェイトの瞳に、博打打ちではない、本物の戦士の鋭い光が宿った。

「マンミアさんは崖下へ突入し、冒険者たちの前方にアグニを斜めに構えて防壁を形成! 正面からの突進を右側の岩壁へ弾き流してください!」

「承知!」

「そして村長! お前のその爆発的な脚力は、攻撃ではなく『風圧と目くらまし』に使う! 地面を蹴って大量の赤土を巻き上げ、敵の視界を奪え! その後、負傷者を抱えてあの岩穴へ飛び込むんだ!」

「了解っ! 壊さないように、走るね!」

「よし――突入開始!!」

 ドォォッ!

 号令と同時に、三人の精鋭が崖から飛び出した。

 最初に動いたのはフェイトだった。

 身軽な体術で斜面を滑り降りると、ミスリルの大剣を一閃。岩甲猪の分厚い甲殻の表面をあえて浅く撫で斬り、甲高い金属摩擦音を鳴り響かせた。

「オラァッ! どこ見てんだデカブツ! 相手はこっちだぜぇッ!!」

 ブモオオオッ!

 激怒した二頭が鼻息を荒らげ、フェイトめがけて一斉に方向転換する。フェイトは紙一重のステップで突進をかわし、誘導ラインに沿って崖際へと疾走した。完璧な陽動。

 間髪を入れず、広場の中央にマンミアの巨体が着地した。

 カッカッ! と四肢で大地を踏みしめ、刺突盾アグニを斜め三十度の角度で地面に突き立てる。

 そこへ、正面から突進してきた一頭のロックボアが激突した。

 ガガガガギィィィンッッ!!

 正面衝突ではない。直樹が指示した絶妙な角度により、一トンの突進力はアグニの傾斜面を滑るように受け流され、右側の硬質な岩壁へと激しく誘導された。

 ドガァァァンッ!

 自らの突進の勢いを殺せなかったロックボアは岩壁に頭から激突し、自爆するように脳震盪を起こして白目を剥いて横転した。

「中央、クリア! 村長、今です!」

「いっけえぇぇぇぇッ!!」

 キャルルが地面を横薙ぎに低空キックで薙ぎ払った。

 怪力によって巻き上げられた大量の赤土が、爆発的な粉塵のカーテンとなって峡谷全体を満たす。

 視界を奪われたロックボアたちが混乱して互いに激突し、咆哮を上げる。

 その粉塵の向こう側から、直樹の怒声が響き渡った。

「冒険者たち、聞こえるか! 武器を収めて、私の指示通りに走れ!!」

「えっ……だ、誰だ!?」

「戦うな! その魔物はお前たちが倒す必要はない! 右手の崖の裂け目を見ろ! 緑の光が見えるはずだ、そこへ一直線に飛び込め!!」

 直樹の視界に走るエメラルドグリーンの光筋が、粉塵の中を鮮やかに導いていた。

 キャルルが電光石火の早業で負傷した魔術師を軽々と小脇に抱え上げ、残る三人の背中をポンと押す。

「ほら、走って走って! あそこなら絶対に入ってこれないから!」

 パニックから我に返った冒険者たちは、泥と埃にまみれながら、狭い岩穴の開口部へと転がり込んだ。

 全員が滑り込んだコンマ数秒後、正気を取り戻したロックボアの巨体が岩穴の入り口へ激突する。

 ドォンッ!

 だが、頑丈な岩壁に阻まれ、巨体は穴の奥へ一ミリも進入できない。

 牙を虚しくガチガチと鳴らす魔獣をよそに、岩穴の奥深くに避難した四人の冒険者は、荒い息を吐きながらへたり込んだ。

「た、助かった……? 俺たち、生き残ったのか……?」

「あぁ……一人も、死んでねぇ……!」

 救助完了。

 直樹の視界から、エメラルドグリーンの光が静かに溶けて消え去った。

     *

 峡谷の出口、安全な木陰。

 魔物の追撃を完全に振り切った救助班と冒険者たちは、冷たい湧き水で喉を潤していた。

 負傷していた魔術師の足には、直樹が救助バッグから取り出した添え木と包帯が手際よく巻かれ、応急処置が完了していた。

「……信じられない」

 冒険者パーティのリーダーである大柄な戦士が、呆然と自らの無傷の手のひらを見つめていた。

「あんな凶暴なロックボアの群れに包囲されて……魔物を一頭も倒さずに、全員無傷で逃げ切れるなんて……」

「俺たち冒険者は、魔物に出遭ったら『倒すか、全滅するか』の二択しか頭にありませんでした。逃げるなんて、みっともない敗北だと思ってた……」

 戦士の言葉に、直樹は穏やかに首を横に振った。

「違いますよ。逃げることは、敗北ではありません」

「え……?」

「目的が『大切な仲間を生きて連れて帰ること』なら、敵を倒す必要なんてどこにもないんです。無駄な戦いを避け、命を確実に持ち帰る――逃げることも、立派な仕事なんですよ」

 直樹の静かで力強い言葉が、若い冒険者たちの胸に深く突き刺さった。

 戦士は目頭を熱くし、直樹に向かって深々と頭を下げた。

「ありがとうございました……! 本当に、ありがとうございました!」

 深々と礼を述べて立ち去っていく冒険者たちの背中を、キャルルが長い兎耳を嬉しそうにパタパタと揺らしながら見送っていた。

「『戦わない勝ち方』かぁ……! 直樹さん、すっごく格好良かったよ!」

「いえ、私は安全なルートを指示しただけです。実際に体を張って誘導してくれたフェイトさんとマンミアさんのおかげですよ」

 直樹が視線を向けると、フェイトは両手剣を背負い直し、照れ隠しのように鼻の頭を掻いた。

「へっ……コインを投げなくても、身体は動くもんだな。元A級の看板も、伊達じゃねぇってことだ」

「ええ、今日の貴方の太刀筋は見事でしたよ、フェイト。常にその真面目さがあれば、自警団の模範になれるのですが」

「おいおいマンミア、褒めた直後にチクリと刺すなよな」

 軽口を叩き合う仲間たちの姿に、直樹は安堵の息を漏らした。

 圧倒的な力を持つ仲間たちが、自分の指示を通して「命を救うための最小限の力」を使いこなせるようになってきている。救助組織としての確かな前進だった。

 ――しかし。

 ポポロ村の詰所へ戻ってきた直樹たちを待ち受けていたのは、温かい労いではなかった。

 チャリ……チャリチャリチャリ……ジャギィィィンッ!

 準備室の長机の真ん中で、高級和装スーツに身を包んだ猫耳の青年――ニャングルが、般若のような形相で純金メッキの魔導金算盤『十露盤』を弾き鳴らしていた。

 紫煙を吐き出す真鍮のキセルが、直樹の鼻先へピタリと突きつけられる。

「……お帰り、直樹はん。無傷の救出劇、ご苦労なこっちゃったな」

「あ、ニャングルさん。ええ、なんとか全員無事に――」

「――で? 今回使った添え木と包帯の原価、フェイトの剣の研ぎ直し代、マンミアの盾の点検費、往復の消耗品費……これ、誰の財布から出ることになっとるんや?」

「…………え?」

 直樹の思考がピシリと凍りついた。

「救助対象は、駆け出しの金欠冒険者四人や。あいつらに請求できる手持ちなんぞ、銀貨数枚が関の山やろ。直樹はん、言いたいことは分かるな?」

 ニャングルは金算盤を机にドンと叩きつけ、冷酷な収支計算書を突きつけてきた。

「臨時救助班の活動収支――本日時点で、完全な大赤字やぞボケェ!!」

 人命を救う喜びの余韻を容赦なく打ち砕く、冷徹な「現実」の叫びが部屋中に木霊した。

読んでいただきありがとうございます。

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