EP 4
「救助報酬ゼロ、村長は最強」
深い森の木立を抜けた先、視界が開けた瞬間に直樹の目に飛び込んできたのは、彼が想像していた「異世界の農村」の光景とはあまりにかけ離れた異様なパノラマだった。
青々とした田畑が広がり、遠くには美しい山並みが連なっている。そこまでは、長閑な田園地帯そのものだった。
だが、その田畑の畦道を行き交う光景が、直樹の常識を片っ端から粉砕していった。
「……な、なんだあれは……?」
「ん? ああ、あれは南の麦畑だよ! そろそろ収穫の時期なんだー」
隣を歩く自称・村長の少女、キャルルが呑気に手を振る。
その指さす先では、麦わら帽子を被った素朴な農民が、肩に担いだ鍬――ではなく、分厚い鋼鉄の砲身を持つ『魔導中型戦車』の装甲板を、手ぬぐいでキュッキュと念入りに磨き上げていた。
さらに目を凝らせば、畑の隅には九九式魔導ライフルや魔導誘導バズーカが無造作に立てかけられ、頭上には村全体を覆うように薄青いドーム状の魔導防壁が淡く脈打っている。極めつけに、街道の合流地点には、どこか日本の見慣れた大手チェーンを彷彿とさせる『タローソン』『タローマート』『タローマン』という看板が堂々と居並んでいた。
(重武装にもほどがあるだろ……! ここ、本当にただの農村なのか!?)
三十四年の消防士人生で、危険物火災やテロ対策訓練など数多くの現場を想定してきた直樹だったが、これほど物騒と長閑が完璧に同居した空間は見たことがなかった。
呆然と立ち尽くす直樹の背後から、リズミカルで力強い蹄の音が響いてきた。
カッカッ、カッカッ。
「村長! 街道方面で大規模な土砂崩落の振動を検知しましたが、ご無事ですか!」
凛とした声とともに駆け寄ってきたのは、直樹の背丈を遥かに超える堂々たる体躯の女性だった。
上半身は引き締まった浅黒い肌の女騎士、そして下半身は筋肉質な駿馬の四肢。ケンタウロス族だ。
その左腕には、削岩機のような巨大な杭が仕込まれた分厚い刺突型大型シールド『アグニ』が装着されており、全身から放たれる歴戦の威圧感に直樹は思わず息を呑んだ。
「あ、マンミア! 平気平気、ちょっと落石があったけど、このおじさんと一緒にぜーんぶ片付けてきたよ!」
「村長自らまた無茶を……! 貴女に万一のことがあれば、この村の防衛体制はどうなるのですか!」
マンミアと呼ばれたケンタウロスの女性は、ため息をつきながらキャルルを叱責した。どうやら村の治安を一手に担う自警団の責任者らしい。
マンミアの鋭利な視線が、煤と泥に汚れた麻シャツ姿の直樹へとスッと向けられた。
「……そこの貴方。旅人とお見受けしますが、村長に巻き込まれて怪我はありませんでしたか? 見たところ闘気も魔力もほとんど感じられませんが……」
「あ、いえ、私は大丈夫です。怪我人は全員、彼女が安全な場所まで運んでくれましたから」
「えへへー、でもねマンミア! このおじさん、凄かったんだよ!」
キャルルが長い兎耳をピコピコと弾ませながら、興奮気味に身振手振りを交えて語り出す。
「崩れた崖の上の巨岩が落ちるタイミングを完璧に読んでさ! あたしが力任せに蹴り砕こうとしたのを止めて、誰からどう逃がすか、ミリ単位で指示を出してくれたの! 怪我人を背負って走るルートまで全部見えてるみたいで、行商人七人、かすり傷一つなく助かっちゃった!」
「……何ですと?」
マンミアの琥珀色の瞳が見開かれた。
彼女はもう一度、直樹の立ち姿、重心の位置、擦り切れた作業着の汚れ方を値踏みするように観察した。
「落石の軌道を見切り、現場の優先順位を判断したと……? 戦闘訓練も受けていない生身の人間が、パニックの現場でそこまでの統御を行えるものなのか……?」
「ただの、染み付いた習慣ですよ。以前いた場所で、そういう災害対応の現場に長く立っていただけです」
直樹が控えめに答えると、マンミアは生真面目に居住まいを正し、右手を胸に当てて深く頭を下げた。
「失礼いたしました。私はポポロ村自警団の最高責任者、マンミアと申します。村長の軽挙妄動を制止し、民間人を無事に導いてくださったこと、村の防衛を預かる身として深く感謝いたします」
「い、いえ、頭を上げてください。私は当然のことをしたまでで……」
その謙虚な態度にマンミアが感心したように頷いた、まさにその時だった。
「――ホンマに当然のことやったんか? それ」
冷ややかで、ねっとりとした関西弁が、背後の木漏れ日の中から割り込んできた。
パチ、パチパチパチ……。
小気味よい金属の打撃音が、乾いた空気の中に響く。
直樹が振り返ると、村の入り口に建つ立派な石造りの建物――『ゴルドスマイル銀行 ポポロ村支店』の玄関先から、一人の青年が歩み出てくるところだった。
頭頂部にはピクピクと動く三角の猫耳。
艶やかな黒茶の毛並みに、仕立ての良いミスリル混紡の高級和装スーツを完璧に着こなし、首元には太い金無垢のチェーン。真鍮のキセルから紫煙を燻らせながら、小脇に抱えた純金メッキの魔導金算盤『十露盤』を、目にも留まらぬ速さで弾いている。
「ニャングル! お仕事終わったの?」
「終わるわけあるかいアホ村長。今月もお前が近隣の駐留軍に『熱血指導』と称してカチコミかけた兵舎の修理費相殺計算で、ワシの胃壁はボロボロの穴だらけや」
ニャングルと呼ばれた猫耳の青年は、深いため息とともに紫煙を吐き出すと、キセルの吸い口で直樹をスッと指し示した。
「初めましてやな、おっさん。ウチはこの村の最高財務責任者(CFO)兼、ゴルドスマイル銀行の支店長をやっとるニャングルや」
「あ……どうも、相澤直樹です」
「直樹はん、な。話は全部聞こえとったで。崖崩れの現場で的確な指揮を執って、行商人七人の命を丸ごと救い上げたそうやないか。そら見事な腕前や。拍手を送りたいくらいやわ」
ニャングルは薄く笑い、金算盤を指先でチャリと鳴らした。
「――で? その商人の旦那方から、ナンボ巻き上げた(報酬もろた)んや?」
「……え?」
唐突な質問に、直樹は目を瞬かせた。
「巻き上げた、とは……?」
「言葉通りの意味や。崩落で立ち往生しとった行商人を、命ごと荷物ごと救い出したんやろ? 街道の復旧誘導、二次災害の回避、重傷者の救出。民間の救助代行としては特A級の難度や。金貨二十枚……いや、商人の身代を考えたら金貨五十枚(約五百万円)は請求できる案件やな。いくら受け取ったんや?」
「いえ、一銭も受け取っていませんが」
直樹がごく平然と答えた瞬間、ニャングルのキセルを動かす手がピタリと止まった。
「……は?」
「ですから、お金は貰っていません。商人のリーダーの方が、全財産の入った財布を差し出してこられましたが、丁重にお断りしました」
「…………」
「彼らは大切な積み荷を土砂で失い、馬車も破損していましたからね。これから生活を立て直すのにも、街へ戻るのにもお金が必要です。命を助けたからといって、その弱みにつけ込んで財産を巻き上げるような真似はできませんよ。人命救助は、商売ではありませんから」
直樹は、消防士として至極当たり前の倫理観を口にした。
だが次の瞬間――。
ジャギィィィィィィンッッ!!!
空気を切り裂くような金属音が轟き、ニャングルの手の中で金算盤の珠が一斉に乱れ飛んだ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?!? アホかアンタはぁぁぁぁッ!!」
「わっ、何ですか急に!?」
ニャングルの三角の猫耳が怒りで逆立ち、その引き締まった顔が怒髪天を衝く形相へと歪んだ。
「救助報酬ゼロやと!? 全財産の財布を突き返したぁ!? な、な、なんちゅう狂った算盤弾いとんのやこのオッサンは! 脳がバグるわ!!」
「い、いや、何で怒られてるんですか俺は!? 人助けをしてお金を取らなかっただけでしょう!?」
「それが一番の大罪やって言うとんのじゃボケェ!」
ニャングルはキセルを咥え直し、ガリッと歯を立てながら直樹の鼻先へ算盤を突きつけた。
「ええか、よう聞け! アンタが現場で消費した体力、擦り減らした靴底、落石を逸らすために投げ込んだ資材、そして何より『命を落としかねん危険を冒したリスク』――それらの原価計算はどうなっとるんや!? 全部タダかい! アンタの命は原価ゼロの道端の雑草か!?」
「それは……ですが、公的な救助というものは……」
「ここは日本の地方自治体とちゃうぞ! 税金でヘリ飛ばしてタダで山から釣り上げてくれるお役所なんぞ、このアナステシア世界のどこ探しても存在せぇへんわ!」
ニャングルの鋭い言葉が、直樹の胸元を容赦なく刺し貫いた。
「『人命救助は商売やない』? 綺麗事抜かすのも大概にせぇ! 感謝の言葉だけで腹が膨れると思うとんのか! 『ありがとう』の連呼で家賃が払えるんか! 擦り切れた装備を買い替える金はどこから湧いて出るんや! あぁ!?」
「ぐっ……それは……」
「ええか、直樹はん。善意の無償奉仕ちゅうのはな、麻薬と同じなんや。助けられた奴は『タダで助けてもろて当たり前』になり、助けた側は身銭と命を削り続けて、最後は飢え死にするか装備が尽きて共倒れや! 正当な対価を請求して、次の救助のための備えを残して初めて、『持続可能な人助け』になるんじゃボケナス!」
ぐうの音も出ない正論だった。
直樹は言葉を失い、己の掌を見つめた。
消防局にいた頃は、組織があった。装備のメンテナンス費も、ガソリン代も、自分たちの給料も、すべて市民の税金という強固な財政基盤によって賄われていた。だからこそ、隊員たちは金の心配をすることなく、ただ目の前の命を救うことだけに純粋に集中できたのだ。
だが、この世界にはそんな後ろ盾はない。
身一つで放り出された自分が、無償で人を助け続けたところで――靴が破れ、飢えに倒れれば、二度と誰も救えなくなる。
「……ニャングルの言う通りだよ、おじさん」
隣で静かに聞いていたキャルルが、珍しく真面目な顔つきで口を開いた。
「あたしもね、前は『力があるんだから、あたしが全部タダで助ければいい』って思ってたの。でも、治癒をやりすぎて倒れて、村の仕事が全部ストップして……結局、ニャングルや村のみんなにすっごく迷惑かけちゃったんだ」
「キャルル……」
「人を助けるのは、すっごく尊いことだよ。でも、助ける人がボロボロになって消えちゃったら、次に泣く誰かを誰が助けるの? おじさん自身の命も、誰かが守らなきゃいけない『大切な命』なんだよ」
屈託のない笑顔の奥にある、村長としての重い責任と実感のこもった言葉。
三十四歳の元消防士の心に、少女たちの言葉が深く、重く染み渡っていった。
(俺は……守られる側のシステムを、何も理解していなかったのか)
前世でもそうだった。
崩落する天井の下、子供を庇って命を落とした。
結果として子供は助かったが、自分は死んだ。残された隊の仲間や、家族にどれほどの傷を残したか――そこまで深く考えたことがあっただろうか。
助ける力があっても、生き残る仕組みがなければ続かない。
「……参りましたね」
直樹は小さく苦笑し、頭を掻いた。
「完全に私の認識不足でした。おっしゃる通りです、ニャングルさん。人を助け続けるためには、自分自身が飯を食い、生活を維持できなければ始まらない」
「……ふん」
素直に非を認めた直樹に、ニャングルは毒気を抜かれたようにキセルの灰をトントンと落とした。
打算のない直樹の純粋すぎる献身に、拝金主義を気取る猫耳商人の「狂った算盤」が、激しく軋みを上げていた。
「……まあ、分かればええんや。素直なんだけは救いやな」
ニャングルは懐から一枚の紙切れを取り出し、直樹の胸元へパシッと押し当てた。
「これ、なんですか?」
「タローソンの見切り品引換券や。今日の昼飯分くらいはウチの銀行の経費で落としたる。ただし! タダ飯は今日限りやぞ。明日からは、アンタのその得体の知れん『救助の腕』でキッチリ稼いでもらうからな」
「稼ぐ、と言っても……」
「あ、それなら良い考えがあるよ!」
キャルルがポンと手を叩き、真紅の瞳をキラキラと輝かせた。
「ねぇマンミア、ニャングル! 自警団の中に、新しい班を作ろうよ! 魔物を倒すんじゃなくて、事故や災害から人を助ける専門の――『臨時救助班』!」
「なっ……救助専門の班だと!?」
マンミアが驚愕の声を上げ、ニャングルが露骨に嫌そうな顔で算盤を抱え直した。
「またお前は思いつきで厄介事を……! そんなもん、人件費と装備費で大赤字垂れ流すに決まっとるやろが!」
「赤字にしない方法はニャングルが考えてよ! おじさんの指示、ホントに凄かったんだから! ねっ、おじさんもそれでいいでしょ?」
「え、いや、私ですか!? ちょっと待ってください、私はただの無職の異邦人――」
「決定ー! よーし、そうと決まればまずは人手集めだね! 自警団の暇そうなやつらに声かけてくる!」
直樹の制止を完全に無視し、キャルルは雷竜石内蔵の安全靴で地面を爆ぜさせ、突風のような速さで村の中へと走り去っていった。
「あっ、おい村長! 待ちなさい!」
マンミアが慌てて四脚を蹴って後を追い、村の入り口には、煙草の煙を燻らせるニャングルと、引き換券を握りしめた直樹の二人だけが取り残された。
「……はぁ。台風みたいなウサギやで、ホンマに」
「……いつも、あんな感じなんですか?」
「年中無休であれや。……まぁ、直樹はん」
ニャングルはキセルを咥え直し、ニヤリと鋭い犬歯を覗かせた。
「腹括りや。あの暴走村長に巻き込まれた以上、アンタの平穏なセカンドライフは今日で終わりやで」
青空の下、直樹の手のひらで、タローソンの引換券が風にパタパタと揺れていた。
戦闘力ゼロの元消防士が、最強の村で真の意味で「人命救助」を仕事にするための、長く険しい道がここから始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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