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『戦闘力ゼロの【救助隊長】、最強の村で人命救助を始めます~元消防士の俺、神話級の問題児たちを率いて大陸の英雄になる~』   作者: 月神世一


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EP 2

「最弱スキルは逃げ道しか見えない」

 網膜の奥に焼きつくようなエメラルドグリーンの光筋が、茶褐色の絶望に染まった崩落現場を鮮やかに切り裂いていた。

 七本の光の帯線は、崖下で立ち尽くす行商人たちそれぞれの足元を起点として、地盤の緩んだ土砂溜まりを巧みに避けながら這い回っている。ある線は倒壊した馬車の車軸の下をくぐり、ある線は辛うじて突き出た硬質な岩盤の突起を足場として指定し、最終的に落石の死角となるオーバーハング状の巨大な岩棚へと収束していた。

「見える……本当に、道が見えているのか」

 相澤直樹は、膝が震えそうになるのを奥歯を噛み締めてねじ伏せた。

 三十四年の人生で培った消防救助隊員としての直感が、この光の正確さを瞬時に肯定していた。土質力学や落石の軌道計算など知る由もないはずの直樹の頭脳へ、スキル【避難経路(エスケープ・ルート)】が直感的な「解」を流し込んできている。

 だが、猶予はない。崖の上部に引っかかっている乗用車大の巨岩は、土台の赤土がサラサラと音を立てて崩れ落ちており、今にも街道全体を押し潰さんと傾いていた。

「おい、崖下の人たち! 私の指示通りに動け!」

 直樹は腹式呼吸を意識し、現場の喧噪を突き破る通る声で怒号を飛ばした。

「まず子供を抱えたお母さん! そこから動かずに右を見ろ! 半身埋まっている木箱があるはずだ、そこに左足を乗せろ!」

「えっ……ひ、左足!?」

「そうだ! そのまま二歩進んで、横倒しの馬車の車軸をくぐるんだ! 絶対に立ち止まるな、奥の突き出た岩棚の真下まで一直線に走れ!」

 母親は半狂乱になりながらも、崖の上から響く迷いのない声に背中を押され、泣き叫ぶ我が子を抱きかかえて指示通りの木箱を蹴った。

 崩れかけた土砂が母親の足元でズルリと滑るが、木箱の角がアンカーの役割を果たし、身体は沈まない。車軸の下を這うようにすり抜けると、エメラルドグリーンの光の通り道に沿って、母親と子供は無傷で岩棚の窪みへと滑り込んだ。

「つ、着いた……! 本当に抜けられたわ!」

「よし、次は荷車を支えている若い二人! 馬具を捨てて、斜面側の黒い岩へ跳べ! そこは基盤岩だ、崩れない! 前の二人に続け!」

 矢継ぎ早の指示に、パニック状態だった商人たちが次々と動き出す。

 直樹の視界では、安全圏へ到達した者の足元から緑の光がフッと霧散し、残る対象への経路がより鮮明に強調されていく。通信指令室でモニター越しに現場を動かしていた頃の感覚が蘇る。いける、このまま全員をあの岩棚へ誘導できれば、頭上の岩が落ちてきても助かる――。

 そう確信した矢先、直樹の喉が凍りついた。

「う、動けねぇ……! 誰か、頼む、引っ張ってくれぇ!」

 悲鳴を上げたのは、隊列の殿に取り残されていた年配の商人だった。

 最初の崩落の際、横転した馬車の破片が直撃したのだろう。男の右足の脛は不自然な方向に曲がり、赤黒い血がズボンを濡らしていた。自力歩行など到底不可能な重傷だ。

 さらにその傍らで、もう一人の若い女性商人が完全に腰を抜かし、泥の中に両手をついて過呼吸を起こしていた。

 その瞬間、直樹の視界に走っていたエメラルドグリーンの光が、不吉に明滅を始めた。

「な……っ!?」

 怪我をした老人の足元から伸びていた光の帯が、急速に細くなり、チリチリと火花のように弾け飛んだのだ。

 直樹の脳裏に、転生の間で芋ジャージを着た女神ルチアナが浮かべた、軽薄な笑みがフラッシュバックする。

『現時点で、対象の身体条件に合わせて物理的に通行可能な道しか出ないわよ?』

「嘘だろ……!」

 老人は骨折している。歩けない。走れない。

 跳躍を前提とした岩盤ルートを通過できる身体能力が、この老人には存在しないのだ。

 スキルは冷酷だった。本人が踏破不可能なルートを「避難経路」として認識しない。

 老人の足元から伸びる光は完全に消滅し、ただ「孤立」を示す冷たい赤色の警告枠だけが老人の身体を囲っていた。

「おい、アンタ! 次男坊、親父を見捨てる気か! 戻って背負え!」

 直樹は既に安全圏へ逃げ込んでいた屈強な男へ怒声を浴びせた。

 男は一瞬青ざめ、岩棚から飛び出して父親のもとへ駆け戻ろうとする。

 その時、老人の足元に再び緑の光が灯った。だがそれは、一本の線ではなく「息子が老人を背負った状態」を想定した、極めて危うい細いラインだった。移動速度が三分の一に低下することを前提とした、針の穴を通すような迂回ルート。

 そして――現実は、その甘い計算すら許さなかった。

 ゴゴゴゴゴ……!

 低く重い地鳴りとともに、崖の中腹で小さな崩壊が起きた。

 直径五十センチほどの落石が数個、雨あられのように落下し、親子が合流しようとしていた唯一の足場である「平らな岩盤」を粉々に打ち砕いて谷底へと蹴散らしたのだ。

 パツン、と何かが切れるような音が、直樹の脳内で響いた。

 老人の足元から伸びていた細い緑の光が、完全に消えた。

 同時に、腰を抜かしていた女性の足元の光までもが掻き消える。

「消えた……? おい、嘘だろ……経路が、消えた!?」

 直樹の額から、滝のような冷や汗が噴き出した。

 足場が消滅したことで、崖下から岩棚へ至る物理的なルートがゼロになったのだ。

 どんなに目を凝らしても、どれほど強く念じても、視界に広がるのは茶色い土砂と、今にも落ちそうな巨岩の影だけ。緑の光はどこにも見当たらない。

『安全な道が存在しなければ経路は消える。道を作るのはアンタらの仕事よ』

「くそったれが……!!」

 直樹は己の両拳を握りしめ、爪が掌に食い込むほど強く噛み締めた。

 最弱スキル。戦闘力ゼロ。

 逃げ道が見えるだけ。

 その逃げ道が物理的に塞がれてしまえば、このスキルはただの役立たずの覗き穴でしかない。

 相手を治す回復魔法もない。崩れた岩を軽々と持ち上げる怪力もない。テレポートで崖下に飛び降りて二人を抱えて戻るような奇跡の力も、自分には何一つ与えられていないのだ。

 三十四歳の、ただの生身の人間。

 日本の現場であれば、油圧スプレッダーがあった。三脚とウインチがあった。何より、共に命を預け合う屈強な隊員たちがいた。

 だが、ここには何もない。直樹の腰には、ロープ一本すら巻かれていないのだ。

「助けて……! 誰かぁぁっ!」

 腰を抜かした女性が、頭上を見上げて喉が張り裂けんばかりに絶叫した。

 崖の上、十五メートルの高さに鎮座していた乗用車大の巨岩が、ギギギ……と耳障りな摩擦音を立てて、土台の岩盤から十センチ滑り出した。

 もう持たない。

 あと十秒。いや、五秒か。

 あの数トンの質量が落下すれば、崖下にいる負傷した老人と女性は、衝撃波と土砂の津波に飲み込まれてミンチになる。助けに戻ろうとした息子もろとも全滅だ。

「逃げろ! 息子、戻れ! 岩棚へ入れ!!」

 直樹の叫びは、レスキュー隊員として最も屈辱的な、そして最も冷徹な「トリアージ」の宣告だった。

 救えない命を切り捨て、助かる命だけを救う現場判断。

 だが、息子の足がすくみ、動かない。老人は「逃げろ、俺を置いていけ!」と泥を掻きむしりながら叫んでいる。

 地獄だった。

 道が見えるだけの無能な男が、高みの見物で人の死を宣告する。そんなもののために、自分は第二の人生を貰ったというのか。

「動け……! 道を見せろ! なんでもいい、あいつらが生き残る道を一本でも――!!」

 直樹が血を吐くような思いで崖下を睨みつけ、喉を嗄らした、その瞬間だった。

 ――ズバァァァンッッ!!!

 突如として、背後から大気を引き裂くような爆裂音が轟いた。

 雷が落ちたのではない。暴風警報の突風を遥かに超える、暴力的なまでの風圧が直樹の背中を薙ぎ払ったのだ。

 地面の砂利が弾け飛び、直樹は思わず腕で顔を覆って姿勢を低くした。

「な、なんだ!? 竜巻か!?」

 違った。

 直樹のすぐ真横――崖の先端の、何もない宙空に、それは「着地」していた。

 ドォォンッ!

 地面の岩盤を粉々に踏み砕いて現れたのは、小柄な人影だった。

 ルナミス帝国のストリートカルチャーを思わせる、動きやすそうなオーバーサイズの白いパーカーにショートパンツ、黒いスパッツ。

 巻き上がる粉塵の向こう側から現れたのは、艶やかな銀白色のショートボブと、宝石のルビーのように透き通った真紅の瞳。

 そして何より直樹の目を奪ったのは、その頭頂部で感情に合わせてピコピコと忙しなく揺れている――雪のように純白で、長い二本の「兎の耳」だった。

「ふぅ……! セーフセーフ! タローソンの見切り品おにぎり食べてたら、すごい地響きが聞こえたから飛んできちゃった!」

 少女は胸元の人参柄の刺繍ハンカチで額の汗をちょんと拭うと、崖下を覗き込んで「あちゃー」と可愛らしく眉を八の字に曲げた。

 その足元には、ホームセンターで特注したという、爪先に分厚いミスリル鉄板が仕込まれたゴツい安全靴が光っている。

「え……う、兎……? 女の子……?」

 あまりの非現実的な光景に、直樹の思考が一瞬フリーズする。

 しかし、少女の長い兎耳がピクンと跳ね、崖下の阿鼻叫喚と、頭上で崩落寸前になっている巨岩を捉えた瞬間、その愛らしい顔つきが凛とした武人のそれへと豹変した。

「街道の行商人さんたちだね! 大丈夫、ポポロ村の村長キャルル・ムーンハートが来たからには、指一本触れさせないよ!」

 キャルルと名乗った兎耳の少女は、腰を落としてぐっと右拳を引いた。

 その全身から、常人の目にも視認できるほどの濃密なピンクがかった闘気の奔流が陽炎のように立ち上る。

 そして、崖から滑り落ちかけたあの数トンの巨岩めがけて、凶悪なまでの膂力を込めた安全靴の爪先を跳ね上げた。

「待っててねー! 邪魔な岩ごと、山ごとまとめて蹴り砕いて吹き飛ばしてあげるからぁぁぁッ!!」

 直樹のレスキュー隊員としての毛穴が、一斉に総毛立った。

「――っ、バカ野郎! 止まれぇぇぇぇぇッ!!」

 絶望の崩落現場に、常識と非常識の怒声が重なって響き渡った。

読んでいただきありがとうございます。

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