EP 12
「岩を砕くな! 掘る場所が違う!」
天幕の中央に据えられた作業机の上で、鉱山長が脂汗を滴らせながら拳を振り下ろした。
「もう時間がないんだ! 坑口に待機させてある大型魔導削岩機三基を直ちに投入し、正面の崩落土砂を一気に貫通させる! 竜人の兄ちゃんも手伝ってくれ! パワーで押し切るしか二十三人を助ける道はないんだよ!」
「おうよ、任せときな! 俺様の筋肉が火を噴くぜぇッ!」
イグニスが身の丈を超える大斧『クリムゾン・スラッシャー』の柄を握り直し、獰猛な八重歯を剥き出しにして呼応する。
だが、その熱狂を切り裂いたのは、相澤直樹の冷徹な一喝だった。
「待て! 岩を砕くな! 掘る場所が違う!」
直樹の鋭い声が、天幕の空気をピシャリと張り詰めさせた。
鉱山長がぎょっと目を丸くし、イグニスも肩をすくめて直樹を振り返る。
「な、何を言うんだ隊長さん! 崩れたのは四番坑道の正面だぞ! そこを掘らずにどこを掘るってんだ!」
「正面の三十メートルは、粘土層と破砕帯が複雑に入り組んだ地盤だ。そこに大型重機やイグニスの過剰な打撃力を加えれば、振動がそのまま天井のキーストーンを砕く。要救助者を助け出す前に、坑道全体が押し潰されるぞ」
「ぐっ……そ、それはそうかもしれんが、迂回路など存在しないんだぞ!」
「いや、存在するはずです」
直樹は、煤けた金髪を乱雑に束ねたドワーフの測量技師、マルタ・グレイスへと向き直った。
マルタは口にくわえた巻き煙草から紫煙を吐き出しながら、天幕の奥から抱えてきた古びた木箱を机の上にドンと置いた。中から取り出されたのは、経年劣化で飴色に変色した分厚い羊皮紙の束――百年前のドンガン地下帝国極秘測量原図だった。
「持ってきおったぞ、直樹の坊主。百年前にドンガン帝国がこの黒鉄山脈を初めて掘削した当時の、手書きの実測図じゃ。……だがな、今の最新地図に載っておらん古い空洞なんぞ、とっくの昔に落盤して埋まっとるのが普通じゃぞ」
「埋まっていない場所が、必ずあります」
直樹は迷わず、羊皮紙の上に両手を広げた。
そして深く息を吸い込み、地下深奥へと神経を同調させる。
――カチリ。
脳内で冷徹な歯車が噛み合い、直樹の瞳にエメラルドグリーンの燐光が灯る。
『ユニークスキル【避難経路】――稼働』
直樹の視界に、先ほど坑口から見通した地下三百メートルの光景が、透視図のように重なり合って展開された。
四番坑道の奥深くに密集する、二十三個の微弱な光。
彼らの足元から立ち上がった緑色の光筋は、三十メートルの崩落土砂の壁に激突して遮断されていた。
だが――直樹の目は、その手前で光が描いていた「不自然な角度」を捉えていた。
光の帯は、真っ直ぐ主坑道の出口を目指していない。坑道の右側、硬質な黒鉄鉱脈の側壁へ向かって、直角に近い角度でわずかにカーブし、壁の隙間を指して明滅していたのだ。
(なぜ、あそこなんだ……? ただの行き止まりの壁のはずだ。なのにスキルは、壁の向こう側に『空間』が存在すると認識している……!)
直樹は図面の上に指を走らせた。
現在の坑道図と、百年前の測量原図を照合していく。
最新の地図では、四番坑道の右側は「未掘削の岩盤」と黒く塗りつぶされている。しかし、マルタが広げた百年前の原図を重ね合わせた瞬間、直樹の指先がピタリと止まった。
「……ここだ」
「あん……? そこは第三立坑の通気区画じゃぞ」
マルタがくわえ煙草を指で挟み、目を細めて図面を覗き込んだ。
「直樹さん、何か見つかったの?」
心配そうに覗き込んできたキャルルが、手縫いの人参柄刺繍ハンカチを握りしめ、長い兎耳をピコピコと揺らす。
直樹は図面の一点を強く叩いた。
「マルタ技師、この破線で描かれた細い坑道は何ですか?」
「それは……『旧三号連絡通気孔』じゃな。百年前、採掘中の有毒ガスを山頂へ逃がすために、ドワーフの工兵部隊が手掘りした換気用の縦穴と横穴じゃ。じゃが、黒鉄の硬い鉱脈にぶち当たって掘削効率が悪くなり、八十年前に完全に封鎖されたはずじゃが……」
「封鎖されたのは、坑口の入り口だけですね? 中の空洞は埋め戻されていないはずだ」
「なっ……!?」
マルタの琥珀色の瞳がカッと見開かれた。
彼女は慌てて作業用ゴーグルを目元に下ろし、真鍮の測量尺を手に取って図面の縮尺を電光石火の速さで計算し始める。
「ま、待て……! 四番坑道の崩落地点のわずか五メートル右横……! この旧通気孔の最深部が、ミリ単位でかすめておる! もしこの通気孔が今も生きているなら……崩落した三十メートルの土砂破砕帯を丸ごと迂回して、四番坑道の奥へ直結できるぞ!!」
「本当か、マルタ技師!?」
鉱山長が叫び、天幕内にどよめきが走った。
直樹は力強く頷いた。
「私のスキルが指し示している退避方向と、この通気孔の位置が完全に一致しています。二十三人がいる空間まで、残る岩壁の厚みはわずか一・五メートル。三十メートルの瓦礫を掘る必要はありません。この通気孔に入り、最深部の薄い岩壁を突破すれば、閉じ込められた鉱夫たちと接触できます!」
「す、すげぇぜ隊長さん!!」
イグニスが興奮して叫び、胸板を叩いた。
「よっしゃあ! 話は決まった! その通気孔とやらに突っ込んで、壁ごとぶち破ってやろうぜ!」
「喜ぶのはまだ早い、イグニス」
直樹の声は、依然として張り詰めていた。
「通気孔の断面図を見てください。幅わずか一・二メートル、高さ一・五メートル。人間が屈んでようやく一人通れるほどの狭小空間です。大型重機はもちろん持ち込めない。さらに、八十年放置されていたということは、支保工の丸太は腐食し、いつ局所的な落石が起きてもおかしくない状態です」
「……ふん、腕の見せ所ってわけだな」
天幕の柱に背を預けていたフェイトが、腰のミスリル大剣の鞘を親指でカチリと押し上げた。端正な顔立ちに、不敵な笑みが戻っている。
「幅一・二メートルなら、俺の身のこなしなら余裕だぜ。先陣を切って、腐った丸太の代わりに支えを入れてやろうじゃねぇか」
「フェイト、貴様まさかまたあの下らぬ金貨を投げるつもりではありますまいね?」
天幕の入り口で、ケンタウロスの自警団長マンミアが四肢の蹄を踏み鳴らし、左腕の巨大刺突盾『アグニ』の鋼鉄面をぎらりと光らせた。
フェイトは露骨に嫌な顔をして両手を広げる。
「投げねぇよ! こんな狭い場所で裏引いて倒れたら、俺自身が動く障害物になっちまうだろ! 俺だって元A級冒険者だ、狭所での剣術と重心制御くらい、コインに頼らなくてもやってみせるさ」
「結構です。全員、救助装備の最終確認!」
直樹は救助バッグから手際よく資材を取り出した。
「隊列は私が先頭に立ち、【避難経路】で地盤の安定した足場を指示する。二番手にフェイト、前方の落石警戒と簡易支保工の設置。三番手にイグニス、障害となる巨石の精密撤去。四番手にマンミアさん、後方の退路確保と頭上からの崩落に対する『アグニ』での防壁展開。殿にキャルル村長、負傷者の一次トリアージと迅速な搬送準備です」
「了解っ!」
「よし、行くぞ! 地下四番坑道、旧三号通気孔へ突入!」
*
主坑道から分岐した暗がりの中、分厚い鉄板と石材で固められていた旧三号通気孔の入り口は、イグニスの慎重なバール作業によって静かにこじ開けられた。
内部から吐き出されたのは、八十年の時を封じ込めていた淀んだ埃と、湿った冷気だった。
「……足元、注意してください。敷板が腐っています」
ヘルメットに装着した魔導サーチライトの白い光が、暗闇を直線に貫く。
直樹は身を低くし、足元に走る一本のエメラルドグリーンの光筋を追って踏み出した。
狭い。両肩が側壁の岩肌をかすめる。天井からは、湿り気を帯びた黒い岩肌が牙のように突き出していた。
「周囲ヨシ、頭上ヨシ、足元ヨシ……」
直樹の静かな指差し呼称が、狭い空間に反響する。
後ろ詰めで続くフェイトが、大剣の腹で天井の浮き石をトントンと軽く叩き、安全を確認しながら進む。
「へっ……確かに脆いな。だが、隊長の足元の緑の光を追ってりゃ、踏み抜く心配はねぇぜ」
「油断するな、フェイト。いつでも盾を出せるよう、車間距離を保ちなさい」
後方からマンミアの引き締まった声が飛ぶ。彼女の巨躯では、この狭小坑道を馬体を屈めて進むだけでも相当な負荷のはずだ。だが、その足取りには一切の乱れがない。
進むこと約百メートル。
通気孔の最深部に到達した瞬間、直樹の行く手を巨大な黒鉄鉱石の塊が塞いだ。
天井から崩れ落ちた落石が、通路を完全に塞ぎ、その向こう側にあるはずの「一・五メートルの隔壁」を隠してしまっていたのだ。
「落石だ……! 重量およそ五百キロ。これをどかさなきゃ、隔壁に手がつかないぞ」
「俺様の出番だな、隊長さんよぉ!」
後ろから這うように進み出てきたイグニスが、赤い作業ツナギの袖をまくり上げた。
狭い坑道内、竜人の巨躯は窮屈そのものだったが、その双眸には前日の演習とは別人のような集中力が宿っていた。
「イグニス、第6話の訓練を思い出せ。力任せに引くな。この石は天井の古い支保工と噛み合っている。一気に引っ張れば、俺たち全員が生き埋めだ」
「分かってるってよ! 壊すための力じゃねぇ……『支えるための力』だろ! 声掛け、行くぜ! ――周囲ヨシ! 頭上ヨシ! 落石、動かします!!」
イグニスが巨石の下部へ太い両腕を滑り込ませた。
グギギギギ……ッ!
竜人の背筋が盛り上がり、真紅の鱗から微かな闘気が立ち上る。
だが、咆哮は上げない。火炎ブレスの気配も微塵もない。
イグニスは直樹の指示通り、ミリ単位で石の荷重を感じ取りながら、わずかに左へ重心をスライドさせ、天井の梁から荷重を丁寧に逃がしながら巨石を抱え上げた。
「フェイト、今だ! 隙間に突っ張り棒を噛ませろ!」
「任せなッ!」
フェイトが持参していた鋼鉄製の伸縮式支保具を素早く差し込み、隙間にガチリとロックをかける。
荷重が支保具へ移動したのを見届け、イグニスは巨石を静かに、音一つ立てずに通路の脇へと下ろした。
「……ふぅぅっ! 作業完了――ヨシ!!」
「見事だ、イグニス!」
直樹が称賛の声をかけると、イグニスは照れくさそうに鼻を鳴らした。
巨石がどかされた先には、削岩用のタガネの跡が残る、荒々しい岩肌の壁――四番坑道へと続く「最後の隔壁」が露わになっていた。
「キャルル村長、合図を!」
「うん!」
キャルルが前に進み出ると、拳で岩壁をリズミカルに三回叩いた。
コン、コン、コン。
静まり返る暗闇の中、息を詰めて耳を澄ます。
一秒、二秒、三秒……。
カン、カン、カン!
壁の向こう側から、震えるような金属の叩き返す音が、確かに響いた。
「応答があった……! 生きてる! みんな生きてるよ直樹さん!!」
キャルルが真紅の瞳を輝かせ、飛び跳ねるように叫んだ。
マンミアも安堵の息を漏らし、フェイトが口笛を鳴らす。
二十三名の命まで、あと一・五メートル。
正面の三十メートルの絶望を回避し、迂回路からの救出という奇跡の道が、今まさに繋がろうとしていた。
――しかし。
直樹の顔から、安堵の色は瞬時に消え去っていた。
(……冷たい?)
直樹の作業靴の爪先に、何かが触れた。
見下ろせば、先ほどまで乾燥していたはずの通気孔の床面に、黒ずんだ液体が急速に広がり始めていた。
チョロチョロチョロ……。
微かだった水音が、いまや明確なせせらぎとなって足元を洗っている。
隔壁の足元の亀裂から、冷たい地下水が噴き出していた。
ツンと鼻を突く、強い硫黄臭。
「……水が、増えている……!?」
直樹の背筋に、氷を突きつけられたような悪寒が走った。
四番坑道は乾燥地帯のはずだ。水脈など通っていないとマルタは言っていた。
それなのに、なぜこれほどの水量が、隔壁の向こうから染み出してきているのか?
ゴボッ……ゴボゴボッ!
岩壁の奥から、水圧に押された空気が爆ぜる不気味な音が響いた。
直樹の脳内で、スキルのエメラルドグリーンの光が、激しく明滅し始める。
繋がったはずの命の道が、目に見えない巨大な「水圧」によって、再び呑み込まれようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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