EP 11
「鉱山の奥から助けを呼ぶ声」
黒鉄山脈の険しい岩肌を切り裂くように拓かれた『ガンドール大鉱山』は、平時の活気など微塵も残らぬ阿鼻叫喚の地獄へと変貌していた。
ポポロ村自警団の魔導装甲牽引車が砂煙を上げて現着した瞬間、直樹の耳に飛び込んできたのは、女性や子供たちの悲痛な泣き叫ぶ声と、男たちの怒号だった。
「夫を……夫を助けてくれぇっ!」
「坑道が丸ごと落ちたんだぞ! 早く掘り起こせ! 何をもたもたしてるんだ!」
「近寄るな、危ねぇ! 二次崩落が起きたら巻き込まれるぞ!」
炭塵と赤土で真っ黒に汚れた鉱夫たちが、坑口を取り囲むように群がり、押し問答を繰り返している。
車を降りた相澤直樹は、即座に皮手袋のベルクロを締め直し、視線を坑口へと向けた。
『状況把握』
現場は標高八百メートルの山腹に穿たれた主坑口。
黒鉄と魔導鉱石を産出する大規模鉱山で、地下は網の目のように坑道が張り巡らされている。
崩落が起きたのは、主坑口から地下へ約三百メートル潜った最深部――『地下四番坑道』。
閉じ込められたのは、掘削作業に当たっていた鉱夫二十三名。
坑口からは、冷気と共に押し出された白煙のような細かな岩粉が、濛々と立ち昇っていた。内部の空気が激しく撹拌された証拠だ。
「直樹さん、ひどい匂いがするよ……! 土と、鉄の錆びた匂い……」
隣に立つ村長キャルルが、手縫いの人参柄刺繍ハンカチを口元に当て、純白の長い兎耳をピンと警戒方向に尖らせていた。その真紅の瞳は、現場の混乱に胸を痛めるように揺れている。
「マンミアさん、周囲の規制線を! これ以上の一般人の接近を阻止してください!」
「承知いたしました!」
マンミアが四肢の蹄を力強く打ち鳴らし、左腕の巨大刺突盾『アグニ』を掲げて群衆の前へと割って入った。
「全員下がれ! これよりポポロ村臨時救助班が現場の統制を執る! 不用意に近づけば救助の妨げとなるぞ!」
歴戦のケンタウロス女騎士の放つ重厚な威圧感に、騒然としていた坑夫たちが息を呑み、わずかに後退した。
その時、坑口の脇に設営された仮設天幕の中から、怒号が響き渡った。
「アホ抜かせ、この脳みそまで筋肉で詰まった大馬鹿野郎がッ! 大型魔導削岩機をそのまま突っ込ませてみろ、振動で四番坑道の天盤が丸ごと落ちて、中の連中はミンチより細かくミンチになるわい!!」
天幕の天幕布を荒々しく跳ね上げて姿を現したのは、小柄ながら樽のように引き締まった体躯を持つ女性だった。
身長は百三十センチほど。太い革ベルトで絞った頑丈な作業ツナギを身に纏い、煤けた金髪を頭の後ろで乱雑に束ねている。彫りの深い顔立ち、意志の強そうな琥珀色の瞳、そして何より作業用ゴーグルを跳ね上げた額には、歴戦の現場作業者特有の深いシワが刻まれていた。
ドンガン地下帝国出身の鉱山測量技師――マルタ・グレイス、三十八歳。
彼女は口にくわえた細い巻き煙草からプハッと紫煙を吹き出し、手にした分厚い羊皮紙の図面を、傍らに立つ鉱山長とおぼしき小太りの男の胸元へ叩きつけた。
「落盤規模は推定千トンを超えとる! 崩れたのは硬質な岩盤じゃない、粘土層と破砕帯の境目じゃ! 外から下手に穴を掘れば、支えを失った土圧が一気に雪崩れ込む! 誰が作業責任者を引き受けるんじゃ、あぁ!?」
「ひ、ヒィィッ……! し、しかしマルタ技師、二十三人をこのまま見殺しにはできん! 何とか力任せにでも穴を開けねば……!」
「へっ! 力比べなら、この俺様に任せてもらおうじゃねぇか!」
横から自信満々の咆哮を上げて割り込んだのは、救助服を着た竜人のイグニスだった。
肩に担いだ巨大両手斧『クリムゾン・スラッシャー』をドスンと地面に突き立て、真紅の角を誇らしげに反らせる。
「千トンの瓦礫だろうが何だろうが、俺様の竜パワーで正面から叩き割って、道を作ってやるぜ! 隊長さんよぉ、突撃の合図をくれ!」
「――馬鹿者がッ!!」
ピシャァァンッ!
甲高い音とともに、マルタの手にあった真鍮製の測量尺が、イグニスの分厚い脛を容赦なく薙ぎ払った。
「ぎゃあああっ!? な、何すんだこのチビババア!?」
「誰がチビババアじゃ、このトカゲ頭が! 山をナメるな! 大斧で叩き割るじゃと!? 衝撃波が地下坑道でどう反響するか計算したことがあるんか! お前が一発斧を振るった瞬間、閉じ込められた鉱夫たちの頭上で天井が弾け飛ぶわい!」
「ぐ……っ、そ、それは……」
「どいつもこいつも、救助の基本も知らん素人ばかり寄越しおって……! ギルドも自警団も、全員まとめて棺桶の用意でもしとけ!」
吐き捨てるように毒づくマルタの前に、直樹は静かに歩み出た。
騒ぎ立てるイグニスの肩に手を置いて制止し、直樹はマルタの正面でしっかりと足を止め、頭を下げた。
「初めまして、マルタ技師。ポポロ村臨時救助班の指揮を執っております、相澤直樹です」
「……あん? ポポロ村の救助班じゃと?」
マルタは細めた目で直樹の全身を上から下まで値踏みするように舐め回した。
「見たところ、闘気も魔力もスッカラカンのみすぼらしい人間の男じゃねぇか。こんなひよっこが隊長じゃと? 冷やかしなら帰れ。ここは貴様のような素人が首を突っ込んで生きて帰れる場所じゃない」
「おっしゃる通り、私は戦闘も採掘も素人です。ですが、崩落現場における二次災害の恐ろしさと、閉鎖空間での救助手順については熟知しています」
「……何?」
「先ほどあなたが仰った通り、力任せの破砕は論外です。地盤のアーチアクション(自然支持力)が崩れている状態で外部から衝撃を与えれば、坑道全体が連鎖崩落(ドミノ倒し)を起こす。今必要なのは、闇雲な掘削ではなく、正確な地質データの把握と、救助対象がいる空間の特定です」
直樹の淀みない、かつ専門用語を的確に交えた言葉に、マルタのくわえ煙草がピクリと止まった。
頑固な職人の瞳に、微かな驚愕と警戒が宿る。
「……ほぅ。口先だけは一端の鉱山夫みたいなことを言いくさる。アーチアクションじゃと? 異邦人の分際で、どこでそんな技術を齧ってきた」
「以前いた場所で、崩落建物の救助現場に何度も立っていましたから」
直樹は天幕の長机に広げられていた鉱山測量図を指差した。
「マルタ技師、状況を教えてください。四番坑道の閉塞箇所の厚み、換気設備の稼働状況、そして――内部の空気の残存予測時間は?」
直樹の真摯で揺るぎない眼光を受け、マルタは小さく鼻を鳴らした。
吸い殻を足元で踏み消すと、彼女は乱暴に図面を広げ直した。
「……いいじゃろう。話の通じる奴が一人でもおるなら儲けもんじゃ」
マルタの無骨な指先が、図面上の赤いラインをなぞる。
「四番坑道は深さ三百メートル。主坑道から分岐した行き止まりの採掘区画じゃ。崩落が起きたのは、その手前五十メートルの合流地点。粘土層の破砕帯が幅三十メートルにわたって完全に抜け落ち、落石と土砂で密閉されとる」
「三十メートル……」
「手掘りなら一週間、大型機械を突っ込めば即座に再崩落。そして最悪なのは換気じゃ。落盤によって主排気ダクトが完全に圧潰した。閉じ込められた二十三人が消費する酸素と、露出した鉱脈から湧き出る有毒ガスを計算すれば……残された猶予は、長くてあと十二時間」
「十二時間……!」
後ろで聞いていたフェイトが、思わず息を呑んだ。
いつもなら「表なら奇跡が起きる」とコイントスを始めるところだが、現場の圧倒的な重圧とマンミアの視線に呑まれ、青ざめた顔で両手剣の柄を握りしめている。
「十二時間で三十メートルの瓦礫を、無衝撃で掘削して突破する……。物理的に不可能な数字じゃ」
マルタは乾いた声で告げた。
「わしが止めておるのはな、無駄に救助隊を突っ込ませて二次災害の死者を増やしたくないからじゃ。あの地下にいる連中は……もう、助からん」
「諦めるのは、まだ早い」
直樹の静かな声が、絶望に沈みかけた天幕の空気を切り裂いた。
直樹は天幕を出て、濛々と粉塵を吐き出す坑口の前に立った。
冷たい風が吹き抜ける。
直樹は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
十二年間、日本の消防で培った全神経を研ぎ澄まし、地下三百メートルの暗闇へと意識を沈めていく。
(集中しろ……。五百メートル以内、対象は二十三名……!)
――カチリ。
脳の奥底で、冷徹な歯車が噛み合う音が響いた。
視界の明度が一段落ち、黒鉄山脈の岩肌が透けるようにモノクロームの世界へと沈み込む。
『ユニークスキル【避難経路】――起動』
直樹の網膜の奥に、地下深くから立ち上る微かな光が捉えられた。
それは、四番坑道の奥深くに密集する、二十三個の微弱な生命の輝き。
二十三人は、まだ生きている。
だが――直樹の表情が険しく強張った。
(……光が、伸びてこない……!?)
二十三人の足元から立ち上がったエメラルドグリーンの光筋は、崩落現場である三十メートルの瓦礫の壁に激突した瞬間、チリチリと火花のように弾け飛び、そこで完全に途切れていた。
ルチアナの言葉が脳裏に蘇る。
『現時点で、実際に物理的に通れる道しか表示できないわよ』
『安全な道が存在しなければ経路は消える。道を作るのはアンタらの仕事よ』
三十メートルの完全閉塞。
現時点で地上へ繋がる物理的なルートはゼロ。
スキルは冷酷に「通行不能」の現実を突きつけていた。
しかし――直樹の観察眼は、光が途切れる直前の、わずかな不自然さを見逃さなかった。
二十三人の足元から伸びた光の矢印は、落盤した主坑道の天井ではなく、坑道の側面――岩肌の亀裂の奥へ向かって、わずかにカーブを描いていたのだ。
「……? なぜあっちへ曲がる……?」
直樹が呟いたその時、風に乗って、坑口の奥から微かな「音」が届いた。
カラカラと崩れる小石の音ではない。
チョロ……チョロチョロ……。
耳を澄まさなければ聞き逃すほどの、微弱な水音。
「水……? 坑道の中に、水が流れているのか?」
「あん? 水じゃと?」
後ろについてきていたマルタが、怪訝そうに眉をひそめた。
「四番坑道は乾燥地帯じゃぞ。水脈なんぞ通っとらんはずじゃ。排水ポンプの記録にも、出水反応は一切――」
「いや、流れています。岩盤の裏側、それも崩落現場のすぐ近くを、冷たい地下水が走っている」
直樹は確信を持って断言した。
崩落した土砂の隙間から噴き出す冷気に、湿り気と特有の硫黄臭が混ざり始めている。
長年、水難救助や地下街の浸水事故を想定してきた直樹の肌が、不気味な警報を鳴らしていた。
崩落だけではない。
この事故の裏には、鉱山関係者の誰も把握していない、未知の地殻変動が潜んでいる。
「マルタ技師、もう一度図面を見せてください」
直樹は踵を返し、天幕の図面へと駆け寄った。
「正面突破が不可能なら、別の穴を探すまでです。四番坑道の周辺に、過去に掘られた古い試掘坑や、通気用の縦穴、あるいは放棄された廃坑道はありませんか!?」
「な……古い坑道じゃと? そんなもの、何十年も前に閉鎖されて地図からも消えとるわ!」
「消えていても、空洞は地中に残っているはずです! 二十三人の命を繋ぐ隙間が、必ずどこかにある!」
直樹の瞳の奥に宿る、一片の迷いもない救助隊員の光。
その光に射すくめられ、頑固なドワーフの測量技師は、圧倒されたように息を呑んだ。
諦めかけていた二十三人の命。
それを、目の前の戦闘力ゼロの男は、一ミリたりとも見捨てる気がないのだ。
「……くそっ! わかったわい!」
マルタはツナギのポケットから、油にまみれた古い真鍮の鍵を取り出した。
「天幕の奥に、先代の技師長が遺したドンガン帝国の極秘測量原図がある! 百年前に掘り散らかされた廃坑の記録じゃ! 持ってこい、全部引っ張り出して照合したるわい!!」
「ありがとうございます!」
直樹は振り返り、自らの隊員たちへ向かって凛とした号令を響かせた。
「キャルル村長、イグニス、フェイト、マンミアさん! 機材の荷解きを急いでください! 照明器具の準備、高所用ロープの点検、そして酸欠対策の換気布の展開! 作戦が決まり次第、即座に突入します!!」
「「「了解!!」」」
閉ざされた漆黒の地底、残された時間は十二時間。
二十三人の命を救うための、元消防士と問題児たちの本当の戦いが、今まさに始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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