385話 毛皮の服
翌朝。
全国へ配達された新聞の一面には、大きな見出しが躍っていた。
『日本一の映画会社、その社員が着る服の正体』
『すべて創業者・葵会長の手作りだった』
『趣味で作った服を社員へ無償配布。驚きの創作人生』
紙面いっぱいに掲載された写真には、撮影現場で働く社員たちの姿が映し出されている。
映画監督。
撮影技師。
照明係。
編集スタッフ。
事務職員。
誰もが洗練された服を自然に着こなし、働いていた。
記事では服の美しさだけでなく、その機能性についても詳しく紹介されていた。
「軽量で長時間着ても疲れにくい。」
「保温性に優れながら蒸れにくい。」
「丈夫で何年着ても型崩れしない。」
「動きやすく、仕事着としても優秀。」
記者自身が試着した感想も掲載されており、その評価は絶賛一色だった。
この記事は瞬く間に全国で話題となる。
「どこで買えるのだ。」
「私も着てみたい。」
「販売する予定はあるのか。」
「注文は受け付けていないのか。」
新聞社には連日問い合わせの手紙が届き、葵映像株式会社にも全国各地から問い合わせが殺到した。
会社の受付では対応が追いつかず、「販売はしておりません。」という返答を何度も繰り返すことになる。
社員たちは苦笑しながら話した。
「まさか映画より服の問い合わせの方が多くなるとは。」
誰も予想していなかった出来事だった。
こうして、一人の映画監督の趣味から始まった服作りは、思いもよらぬ形で日本中の注目を集め、新たな産業への第一歩を踏み出そうとしていた。
その新聞は海を越え、新大陸へ滞在していた葵のもとにも届けられた。
その日の朝。
いつものように朝食を済ませ、淹れたばかりの珈琲を片手に新聞を開いた葵は、次の瞬間、完全に動きを止めた。
「え?」
新聞の一面には、自分の顔写真が大きく掲載されていたのである。
『映画会社創業者・葵会長、趣味で社員全員の服を製作』
『話題の服はすべて手作りだった』
思わず新聞を閉じる。
そしてもう一度開く。
何度見ても同じだった。
「いや。」
「なんで映画じゃなくて服なの。」
思わず一人で苦笑してしまう。
映画が大ヒットした時に新聞へ載ったことは何度もあった。
だが、まさか趣味で作っていた服が全国紙の一面を飾るなど、夢にも思っていなかった。
記事を最後まで読み終える頃には、本人ですら少し恥ずかしくなっていた。
「これ、お父さんが見たら笑うだろうなぁ。」
そう呟きながら新聞を机へ置く。
しかし、記事の最後に載っていた読者の反応だけは、何度も読み返していた。
「販売してほしい。」
「着てみたい。」
「欲しい。」
その言葉が、どこか心に引っ掛かっていた。
その日の昼頃。
家の扉が軽く叩かれる。
「葵ちゃん、いるかい?」
近所に住む顔なじみのおばさんだった。
「新聞見たよ!」
「すごいじゃないか、一面だよ!」
嬉しそうに新聞を広げながら家へ入ってくる。
「元映画監督だってことは知ってたけどさ。」
「まさか服まで作れるなんて思わなかったよ。」
「前にもらった服、本当に大事に着てるんだから。」
「軽いし。」
「暖かいし。」
「丈夫だし。」
「今じゃ一番のお気に入りさ。」
葵は少し照れながら笑う。
「ありがとうございます。」
「でも、あれは本当に趣味で作っただけなんですよ。」
「売ろうなんて考えたこともなくて。」
すると、おばさんは当然のように答えた。
「売ればいいじゃないか。」
葵は思わず笑う。
「そんな簡単に言いますけど。」
「だって。」
「私が作りたいものを作っているだけですよ?」
「流行なんて考えたこともありません。」
おばさんは首を横に振った。
「違うよ。」
「だからこそ、欲しいんだよ。」
「流行を追いかけて作った服じゃない。」
「本当に着る人のことを考えて作った服だから、みんな欲しがるんだ。」
「新聞を見た人は、きっと同じことを思ってる。」
「あなたの服は、それくらい素晴らしい出来なんだから。」
その言葉に、葵は静かに考え込んだ。
映画も同じだった。
最初は自分が作りたい作品を作った。
だが、観客に届いたことで、新しい文化になった。
「そうですかねぇ。」
少し笑いながら呟く。
「私の趣味全開の服を、欲しがる人なんているとは思っていませんでした。」
しばらく沈黙が流れる。
やがて葵は、小さく息をついて笑った。
「分かりました。」
「おばさんがそこまで言うなら。」
「一度、本気で考えてみます。」
その返事を聞いたおばさんは、満足そうに何度も頷いた。
「そうそう。」
「それでいいんだよ。」
「せっかく授かった才能なんだから。」
「自分だけで楽しむんじゃなくて、もっとたくさんの人に届けなきゃもったいない。」
その何気ない一言が、後に日本初の本格的なファッションブランド誕生を決意させる、最初の後押しとなったのである。




