384話 上質な皮
葵映像株式会社は日本を代表する映像会社へと成長した。
全国各地に上映館を持ち、話題作を次々と世に送り出し、映画産業そのものを牽引する存在となっていく。
その活躍は新聞や雑誌でも頻繁に取り上げられるようになり、作品紹介だけでなく、撮影現場や会社の様子、社員たちの集合写真なども掲載される機会が増えていった。
そこで人々は、ある共通点に気付く。
「社員全員が、同じような服を着ている。」
もちろん、まったく同じではない。
色も形も少しずつ違う。
しかし、一目で同じ所で生まれた服だと分かる。
無駄を削ぎ落とした美しいシルエット。
動きやすさを重視した機能的な裁断。
丈夫でありながら軽く、上品さも兼ね備えた洗練された印象。
当時、日本で一般的に着られていた衣服とは明らかに異なっていた。
「あの服はどこで売っているのだ。」
「葵映像だけの制服なのか。」
「俳優だけでなく社員まで格好いい。」
「私も一度着てみたい。」
「どこの仕立屋へ行けば作ってもらえるのだろう。」
新聞社には読者からの投書が相次ぎ、雑誌でも「あの服の正体」として特集が組まれるほどの話題となっていく。
しかし、どれだけ調べても販売元は見つからない。
どの呉服店にも。
どの仕立屋にも存在しない。
まるで幻の服だった。
葵は当初、それを販売するつもりはまったくなかった。
あくまで趣味。
研究の成果。
社員たちへの贈り物。
それ以上でも、それ以下でもない。
しかし、人々の反応を知るうちに、彼女の考えは少しずつ変わり始める。
映画が人々の心を豊かにする文化なら、服もまた、人々の日常を豊かにする文化なのではないか。
美しさ。
着心地。
機能性。
それらを追求した服は、きっと多くの人の生活を変えられる。
そんな思いが芽生え始めていた。
ある日のこと。
葵映像株式会社の現社長は、新作映画の公開に合わせて新聞社の取材を受けていた。
会社の成長。
映画制作へのこだわり。
最新作品の見どころ。
質問は順調に進み、取材も終盤へ差しかかる。
すると、一人の記者が以前から気になっていたことを切り出した。
「社長、一つお聞きしてもよろしいでしょうか。」
「もちろんです。」
「以前から気になっていたのですが。」
「社員の皆さんが着ている服です。」
「どれも非常に洗練されたデザインですが、今まで見たことがありません。」
「会社の制服なのでしょうか。」
社長は一瞬きょとんとした表情を浮かべ、すぐに苦笑した。
「ああ、これですか。」
そう言って、自分の上着を軽くつまむ。
「実は制服ではないんですよ。」
「えっ、違うのですか?」
記者は思わず身を乗り出した。
「全部、先代社長。」
社長は少し笑って言い直す。
「いや、今は会長ですね。」
「葵会長が趣味で作って持ってくる服なんです。」
記者は思わず言葉を失う。
「趣味、ですか?」
「ええ。」
「新大陸へ行っては毛皮や繊維を集めてきて。」
「何日も服を作るんですよ。」
「完成すると、船便で会社へ送ってきましてね。」
社長は笑いながら続けた。
「社員へのプレゼントだ。遠慮せず使いなさい。」
「そんな手紙が一緒に入っているんです。」
「それで皆ありがたく着ているわけです。」
記者は驚きを隠せなかった。
「つまり。」
「全国で話題になっている服は、一着一着を会長ご本人が作られたものなのですか?」
「そういうことになりますね。」
社長は肩をすくめながら笑う。
「正直、あの人は趣味に全力を出しすぎなんですよ。」
「映画も研究。」
「服も研究。」
「興味を持ったら、とことん突き詰める。」
「昔から何一つ変わっていません。」
その言葉を聞いた記者は、急いで手帳へとペンを走らせた。
「ということは、この服はすべて葵会長ご本人の作品なのですね。」
「まだ三十代前半だと伺っていますが、本当に行動力のある方ですね。」
社長は苦笑しながら頷いた。
「ええ、本当に驚かされますよ。」
社長はさらに続ける。
「毎回、大量の箱が船で届くんです。」
「会社まで運ぶだけでも一苦労ですよ。」
「開けてみると、中身は全部服なんです。」
「上着にコート、鞄、手袋、帽子。」
「季節ごとに違う服まで作って送ってきます。」
「もう倉庫がいっぱいになるくらい送られてきますからね。」
「社員全員に配っても、まだ余るくらいですよ。」
そう言って社長は、自分が着ていた革製の上着へ視線を落とした。
滑らかな革の質感。
身体に自然と馴染む裁断。
何年も着込んだにもかかわらず、美しい形を保っている。
「あなたも一着持っていきますか?」
突然の申し出に、記者は目を丸くした。
「えっ。」
「わ、私が頂いてもよろしいのですか?」
「見るからに高級な毛皮ですが。」
社長は笑って手を振る。
「構いませんよ。」
「どうせ着る人がいなければ、しまっておくだけですから。」
「それに私は、一週間毎日違う服を着てもまだ余っています。」
「新しい箱が届くたびに、また増えたなって社員同士で笑っているくらいです。」
その言葉に、取材陣からどっと笑いが起こった。
社長は近くの棚から一着の上着を取り出し、記者へ差し出す。
「これならサイズも合いそうですね。」
記者は恐縮しながら両手で受け取った。
「ありがとうございます。」
恐る恐る袖を通してみる。
その瞬間、表情が変わった。
「軽い。」
思わず漏れた一言だった。
毛皮を使っているとは思えないほど軽く、肩へ自然に馴染む。
腕も動かしやすく、立ったり座ったりしても窮屈さを感じない。
裏地は滑らかで、縫い目はほとんど分からないほど丁寧に仕上げられていた。
「これは。」
「今まで着た服とは、まったく違います。」
周囲の記者たちも興味津々で触れ始める。
「本当に軽い。」
「革が驚くほど柔らかい。」
「これだけ品質が高いのに、趣味で作っているのか。」
誰もが、その完成度の高さに驚きを隠せなかった。
記者は興奮を抑えきれない様子で社長へ尋ねる。
「この件も記事にしてよろしいでしょうか。」
「かなり大きな話題になると思います。」
社長は少しだけ考え込み、やがて穏やかな笑顔を浮かべた。
「ええ、構いませんよ。」
「どうせ葵会長は、売るために作っているわけではありませんから。」
「好きだから研究する。」
「好きだから作る。」
「それだけなんです。」
苦笑しながら続けた。
「もしこの記事が話題になったとしても。」
「きっと本人は喜ぶどころか、『もっと良い服が作れるな』なんて言いながら、また部屋へこもるでしょう。」
「昔から、そういう人なんですよ。」
取材陣は顔を見合わせ、小さく笑った。




