377話 月面とその後
帰還クルーの式典
日本本土へ戻った宇宙飛行士たちは、羽合基地での健康診断と初期検査を終えると、一般の目に触れることなく、厳重な警備のもと宇宙軍本部へ移送された。
宇宙軍本部地下。
幾重もの警備区域を抜けた先には、外部から存在すら知られていない「内部式典会場」があった。
大きな会場ではない。
壁には日本国旗と宇宙軍旗が掲げられ、中央には簡素な壇上と演台、その前には整然と椅子が並べられている。
豪華な装飾は一切ない。
しかし、この静かな空間には、日本の宇宙開発を支えてきた中枢の人々が集まっていた。
出席者は、
明賢
宇宙軍司令
空軍司令
帝国大学教授
帝国大学宇宙研究班主任
ロケット開発責任者
宇宙服開発主任
生命維持装置開発主任
探査機開発責任者
宇宙開発関係者数十名
という、ごく限られた顔ぶれだけだった。
会場に集まった全員が静かに席を立ち、三人の宇宙飛行士を拍手で迎える。
長年この計画を支えてきた者たちの、心からの敬意が込められた拍手だった。
橘、進藤、長谷川の三人は、胸を張ってゆっくりと壇上前へ進み、全員へ敬礼した。
会場は再び静寂に包まれる。
明賢はゆっくりと壇上へ上がった。
会場を見渡し、三人の宇宙飛行士へ静かに視線を向ける。
そして穏やかな口調で語り始めた。
「諸君。」
「まず最初に、無事帰還したことを心から嬉しく思う。」
その一言だけで、張り詰めていた空気が少し和らぐ。
明賢は続けた。
「君たちは人類で初めて月へ降り立ち、その地で生活し、研究を行い、そして無事に帰還した。」
「この成果は、日本だけの成果ではない。」
「人類全体の歴史に刻まれる、新しい時代の始まりである。」
会場の誰もが静かに耳を傾けていた。
「君たちが持ち帰った岩石、地質資料、宇宙環境の記録、人体データ、そして六日間にわたる膨大な実験結果は、これから百年、二百年先の科学技術を支える礎となる。」
「国家の未来を百年分先に進めた。」
「決して大げさな表現ではない。」
明賢は一度言葉を切り、静かに三人を見つめた。
「しかし。」
「当面、この偉業を世に公表することはできない。」
「世界はまだ、この技術に追いついていない。」
「今、公表すれば、技術だけでなく国家そのものが危険にさらされる。」
「だから、この功績はしばらく歴史の裏側に置かれることになる。」
会場は静まり返ったままだ。
「世界は知らない。」
「それでも。」
明賢の声に力が宿る。
「歴史は必ず真実を知る日が来る。」
「その日まで、君たちはこの誇りを胸に、さらに次の時代を切り拓いてほしい。」
「私は、諸君を心から誇りに思う。」
演説が終わると、会場には静かな拍手が広がった。
続いて、宇宙軍司令による表彰式が始まる。
一人ずつ名前が読み上げられる。
「橘。」
橘が一歩前へ出る。
国家最高宇宙功労章が胸元へ授けられる。
続いて記念章。
宇宙軍司令は敬礼しながら言った。
「国家を代表して感謝する。」
橘も力強く敬礼を返した。
続いて、
「進藤。」
進藤も前へ進み、同じ勲章と記念章を授与される。
「優れた科学調査と探査活動に対し、国家最高宇宙功労章を授与する。」
最後に、
「長谷川。」
長谷川も前へ出る。
「月面基地運用および宇宙工学への多大な貢献を称える。」
三人の胸には、同じ勲章が静かに輝いていた。
その勲章は、一般には存在すら知られない特別なものだった。
授与式が終わると、会場中央で記念写真の撮影が行われた。
中央には宇宙飛行士三名。
その後ろには明賢。
左右には宇宙軍司令、空軍司令、帝国大学教授たち。
カメラマンが静かに声をかける。
「撮影します。」
「三……二……一。」
シャッター音が静かな会場に響く。
その写真は、人類初の有人月面着陸を成し遂げた者たち全員が写る、歴史的な一枚となった。
しかし撮影終了と同時に、写真は封印される。
封筒には赤字で「最高機密」と押印された。
原版も複製も、宇宙軍地下保管庫へ永久保存される。
映像記録も同様に、厳重な機密文書として管理されることが決定した。
式典の最後には、小さな祝賀会が開かれた。
豪華な晩餐ではない。
温かい料理と飲み物が並べられ、長い年月を共に歩んできた研究者や技術者たちが、宇宙飛行士へ次々と声を掛ける。
「月の地平線は本当に丸く見えましたか。」
「レゴリスは想像通りでしたか。」
「宇宙食は改良の余地がありましたか。」
質問は尽きない。
三人も笑顔で答え、月での出来事を静かに語っていく。
笑い声も時折聞こえる。
しかし誰もが理解していた。
この場で語られる内容は、会場の外では決して話してはならない。
すべてが国家最高機密なのである。
やがて明賢がグラスを静かに掲げた。
「人類初の月面着陸と、それを成し遂げた諸君、そしてこの計画を支えたすべての者たちへ。」
全員が立ち上がる。
「乾杯。」
グラスが静かに触れ合う音が会場に響いた。
今日という日は、人類の歴史が新しい一歩を踏み出した日である。
そうして、世界に知られることのない人類初の月面着陸帰還式典は、静かに、そして誇りに満ちたまま幕を閉じた。
宇宙開発技術の発展と疑問
月面ミッション後 宇宙研究の爆発的進展
月面着陸船から持ち帰られたサンプル。
ローバーの走行記録。
生活モジュールで六日間にわたり行われた数百項目もの実験データ。
そして無人探査機「月影」が現在も送り続ける膨大な観測情報。
それらすべては厳重な警備のもと、帝国大学総合宇宙研究所と宇宙軍技術研究本部へ運び込まれた。
資料は分野ごとに細かく分類され、
地質班。
物理班。
宇宙医学班。
材料工学班。
宇宙放射線班。
通信工学班。
探査機解析班。
それぞれの研究室へ引き渡される。
解析班は昼夜交代で稼働し、研究所の明かりが消えることはなかった。
解析開始から数週間
最初に研究者たちを驚かせたのは、月の地質サンプルだった。
採取された岩石やレゴリスは、これまで推測だけで語られていた月の歴史を、実際の証拠として示していた。
解析によって、
月面の年代の高精度な確定
太陽風の粒子データ
月表層の物質構造
微量放射線の長期記録
地下層の形成過程
などが次々と明らかになっていく。
これらが前世より数百年単位で早く揃ったことで、惑星形成理論と宇宙放射線の研究は飛躍的な進歩を遂げた。
同時に、生活モジュールや船外活動で得られた宇宙環境下の人体データも解析され、
骨密度の変化。
筋肉量の推移。
心肺機能。
放射線の影響。
植物発芽実験。
細胞培養実験。
など数多くの成果が、医学・薬学・生物学分野に圧倒的な衝撃を与えていった。




