375話 地球の空気が1番
高度が下がるにつれ、コンピューターが自動で着水準備を開始した。
機体後部では、姿勢制御用スラスターが断続的に噴射され、海面に対して最も安全な角度へと機首がゆっくりと調整されていく。
橘は正面モニターから目を離さず、一つひとつ表示される項目を確認していた。
進藤が小さく息を吐く。
「ついに帰ってきました。」
長谷川は窓の外を見つめた。
青く広がる海。
そして白い雲。
月面で見続けた漆黒の空とはまるで違う、どこまでも生命に満ちた景色だった。
突然
バンッ!!
機体上部のパネルが火薬ボルトで切り離される。
続いて収納されていた直径数十メートルにも及ぶ巨大なメインパラシュートが一気に展開した。
ドォォン!!
猛烈な衝撃が船内を走る。
身体がシートベルトに強く押し付けられた。
橘
「メインパラシュート展開確認!」
進藤
「ラインテンション正常!」
長谷川は速度計を見つめる。
「降下速度。毎秒25メートル。」
先ほどまで秒速百メートル以上で落下していた帰還船は、巨大なパラシュートによってゆっくりと速度を落としていく。
窓の外では、パラシュートが風を大きく受け、白い布が空いっぱいに広がっていた。
数分後。
海面が徐々に近づいてくる。
羽合沖の青い海。
そこにはすでに何隻もの日本海軍艦艇が待機していた。
重巡洋艦。
駆逐艦。
救難艇。
橘が無線を開いた。
「こちら帰還船。」
「回収艦隊を確認。」
すぐに返答が返る。
『こちら日本海軍救難艦隊。降下位置を確認。回収を実施する。』
ザパァァァァァン!!
帰還船は大きな水柱を上げながら海面へ着水した。
船体は一度深く沈み込み、大きく揺れ、左右へ二度三度と揺さぶられたあと、ゆっくりと安定して浮かび始める。
警報音が止まり、モニターには表示が並んだ。
「着水確認。」
「浮力装置正常。」
「船体浸水なし。」
橘はようやく深く息を吐いた。
数分もしないうちに、待機していた日本海軍の救難艇が帰還船へ向かって一直線に接近してきた。
双眼鏡をのぞいていた重巡洋艦の艦長が命じる。
「帰還船、浮上を確認!」
「回収作業開始!」
「総員、救難配置!」
艦内が一斉に動き出した。
クレーン班。
潜水員。
医療班。
誰もが何ヶ月もこの日のために訓練を積んできた。
救難艇が帰還船へ横付けされ、乗員たちは慎重に固定ワイヤーを取り付けていく。
「固定一点、完了!」
「二点目固定!」
「船体安定!」
確認の声が次々と飛び交う。
重巡洋艦では大型クレーンがゆっくりと旋回し、鋼鉄製のワイヤーが海面へと降ろされた。
海面から船体がゆっくり持ち上がる。
滴り落ちる海水が太陽の光を受け、無数の水滴となってきらめいた。
甲板では乗組員がその光景を静かに見守っていた。
人類初の月面着陸を成し遂げた宇宙船。
ただ敬意を込めて見守っていた。
ゆっくり。
本当にゆっくりと。
帰還船は甲板中央へ降ろされ、固定具によってしっかりと係留された。
整備主任が大きく報告する。
「固定完了!」
「船体安全確認!」
「ハッチ開放します!」
宇宙飛行士帰還
医療班と技術班が一斉に帰還船へ集まる。
まず船内の気圧を確認。
外気との圧力差。
酸素濃度。
技術士官がゆっくりとロックハンドルへ手を掛けた。
「気密確認。」
「ハッチ、開放。」
ギィィィ
重い金属音を響かせながら、ハッチがゆっくりと開いていく。
船内の白い照明が甲板へ漏れ出した。
そして、橘がゆっくりと姿を現した。
甲板中から自然と拍手が起こる。
誰かが叫ぶ。
「帰ってきたぞ!」
その声をきっかけに、歓声が一気に広がった。
艦長が敬礼する。
「お帰りなさい。人類初の有人月面着陸を成し遂げた宇宙飛行士諸君。」
橘もゆっくり敬礼を返した。
続いて進藤。
そして長谷川。
三人とも長期間の低重力生活の影響で足元は少しふらついていたが、互いに支え合いながら甲板へ降り立つ。
医療班がすぐに近寄る。
「体調確認します。」
簡単な検査を受けたあと、橘はゆっくりと空を見上げた。
青空。
流れる雲。
頬をなでる潮風。
肺いっぱいに地球の空気を吸い込む。
「やっぱり地球の空気は、格別だ。」
その言葉に、甲板の誰もが笑顔になった。
拍手はさらに大きくなり、歓声が全体へと広がっていった。
人類初の有人月面着陸を成し遂げた三人は、こうして無事、地球へ帰還したのである。




