372話 ドッキング
地球への帰還
月面からの打ち上げ準備
住居モジュールを後にした着陸船は、静かな月面に佇んでいた。
窓の外には、先ほど別れを告げた日本国旗と住居モジュール、そして六日間にわたり活動を共にしたローバーが見える。
船内では三人がそれぞれの座席に着き、五点式ハーネスを締め直していた。
モニターには各種計器情報が並び、コンピューターは最後の自己診断を繰り返している。
「ピッ……」
「ピッ……」
静かな電子音だけが船内に響く。
橘は前方のモニターを見つめながら言った。
「最終チェックを開始する。」
長谷川は一つ一つの項目を読み上げる。
「推進剤残量。」
「姿勢制御スラスター。」
「誘導コンピューター。」
「航法装置。」
「生命維持装置。」
「正常。」
進藤も補助モニターを確認する。
「通信系統異常なし。」
「月周回船とのリンク正常。」
「自動誘導プログラム、待機。」
画面には大きく自動操縦準備完了の文字が表示された。
長谷川は深く息を吸った。
「全システム正常。離陸を開始する。」
その声には、緊張と確かな自信が入り混じっていた。
エンジン始動準備
着陸船下部では、離陸用エンジンへ推進剤が送り込まれていく。
バルブが一つずつ開き、燃料配管内の圧力が安定していく。
「燃料圧力、正常。」
「酸化剤、正常。」
「燃焼室温度、規定値。」
機体全体に微かな振動が伝わる。
着陸船の脚部がわずかに沈み込み、エンジンのプレヒート音が低く響いた。
ブゥゥゥン。
船体全体が静かに震え始める。
橘は月面を一度だけ見つめた。
誰もいない灰色の平原。
その中央には、人類最初の月面基地が静かに残されている。
点火・離陸
橘がカウントを始める。
5
4
3
2
エンジン始動。
1
橘がスイッチを押した。
「点火!」
轟音とともに離陸エンジンが燃え上がる。
淡いオレンジ色の噴炎が月面へ向かって一直線に噴き出した。
レゴリスが激しく巻き上がり、灰色の砂煙が巨大な雲となって広がる。
機体がわずかに揺れた。
そして、ゆっくりと。
着陸船は月面から浮かび上がった。
「浮上確認。」
長谷川が計器を見る。
「推力正常。」
「姿勢安定。」
「予定軌道へ移行。」
月面重力は地球の六分の一。
そのため離陸は、地球とは比べものにならないほど滑らかだった。
高度が上がるにつれ、六日間生活した基地が、少しずつ小さくなっていく。
進藤は窓を見つめた。
「また戻ってくる。今度はもっと多くの仲間と。」
着陸船はそのまま月周回軌道を目指して上昇を続けた。
月周回船とのドッキング
月面を離れた着陸船は、予定高度へ到達すると自動誘導モードへ切り替わった。
メインコンピューターが帰還船の軌道を計算し、姿勢制御スラスターが断続的に噴射される。
「プシュッ。」
「プシュッ。」
小さな噴射が続くたびに、機体は少しずつ進路を修正していく。
同時に、羽合宇宙センター。
琉球基地。
フロリダ宇宙基地。
3か所の地上局が連携し、最新の軌道データを送り続けていた。
羽合管制。
『軌道修正値送信。誤差0.003度。予定範囲内です。』
進藤。
「受信確認。」
橘が前方モニターを見る。
黒い宇宙空間の中に、小さな銀色の光点が見え始めた。
「目標捕捉。」
「帰還船を確認。」
やがてその光点は、徐々に船の形となって現れる。
月周回軌道で待機する帰還船だった。
橘が距離を読み上げる。
「ドッキング目標まで1500メートル。」
最終接近
着陸船は数センチ毎秒という、歩くより遅い速度で近づいていく。
「距離800メートル。」
「姿勢良好。」
「距離500。」
「相対速度1m毎秒。」
姿勢制御スラスターが細かく噴射される。
「プシュッ。」
「プシュッ。」
船体はほとんど揺れない。
長谷川が慎重に確認する。
「ドッキングリング位置一致。」
「誤差1センチ以内。」
橘。
「距離100メートル。」
「距離50。」
「相対速度50センチメートル毎秒。」
帰還船のドッキングポートが目前まで迫ってきた。
「20メートル。」
「10メートル。」
5
3
2
1
接触
その瞬間。
カチッ。
という、小さな機械音だけが船内に響いた。
続いて、ガチャン。
ロックピンが自動で固定される。
モニターに表示される。
接続完了
長谷川が確認した。
「機械固定完了。」
「気密シール正常。」
「圧力異常なし。」
橘は深く息を吐いた。
「ドッキング完了。」
その一言とともに、船内を包んでいた緊張がようやく解けた。
進藤は思わず笑みを浮かべる。
「これで本当に帰れますね。」
三人は互いに顔を見合わせ、静かに頷き合った。
人類初の月面着陸隊は、すべての月面任務を終え、無事に帰還船との合流を果たしたのである。




