370話 月面5日目
月面滞在 5日目
月面で迎える五日目の朝。
住居モジュール内では人工照明がゆっくりと点灯した。
中央の大型モニターには、これまで四日間にわたって探査機や観測装置から送られてきた膨大なデータが一覧表示されている。
画面には次々と項目が並んでいた。
地中レーダー波形
月面の気温変化
放射線量推移
レゴリス圧密度データ
ローバー航行ログ
各種センサー診断結果
観測装置の自己診断ログ
小型気象センサー異常記録
進藤は端末を操作しながら一つずつ確認していく。
進藤
「探査機本体は問題なく動いているけれど、細かな警告が少しずつ増えてきています。」
長谷川も画面を見つめた。
「長期間運用するなら、今のうちに全部直しておきたいな。」
橘は今日の予定を表示させる。
橘
「今日の任務は探査機の総点検だ。」
「故障箇所の修理、可動部の整備、ソフトウェア更新、全部まとめて終わらせる。」
三人は朝食を済ませると宇宙服の準備を始めた。
生命維持装置。
通信機。
酸素残量。
冷却装置。
各項目を確認し終えると、減圧区画へ向かう。
やがて外部ハッチが開き、三人は静かな月面へ降り立った。
ローバーで探査機へ向かう
ローバーは充電によって満充電状態となっていた。
橘が運転席へ座り、電源を入れる。
モニターが点灯し、現在位置と目的地が表示された。
目的地は住居モジュールから約三百メートル先。
無人探査機「月影」と、各種観測装置が設置された月面観測ステーションである。
橘
「ナビゲーション正常。」
「走行開始。」
静かにモーターが回転し、ローバーはゆっくり前進した。
車輪がレゴリスを押し固めながら進む。
低重力のため砂煙は高く舞い上がらず、ふわりと浮いて静かに地面へ戻っていく。
遠くに昨日設置した通信ビーコンが見えた。
アンテナは地球方向を向き、変わらず信号を送り続けている。
長谷川
「通信ビーコンも正常だ。」
ローバーは小さなクレーター縁を慎重に越え、ゆるやかな平地へ出る。
その先には、銀色の機体が静かに立っていた。
日本初の月面探査機。
「月影」である。
探査機の外観点検
ローバーを停止すると、三人は工具ケースを持って探査機の周囲へ散開した。
まずは外観の目視点検を開始する。
橘は機体全体を見回し、外装パネルの歪みや亀裂を確認していく。
進藤は脚部やサスペンションを担当。
長谷川は通信装置と太陽電池パネルを確認する。
長谷川
「まず太陽電池から見よう。」
表面を近距離カメラで拡大すると、一枚のセルに細かな傷が走っていた。
さらに詳細に確認すると、微小隕石が衝突した痕跡が見つかる。
長谷川
「やっぱり隕石片だ。」
「発電能力は少し落ちている。」
橘も確認する。
「損傷は一部だけだな。」
「交換すれば問題ない。」
続いて進藤は脚部を点検した。
一本のサスペンションロッドが途中で動きにくくなっている。
関節部には細かなレゴリスが入り込んでいた。
進藤
「粉塵が噛んでる。」
「これじゃ長距離走行で負荷が増える。」
さらに地中レーダー装置を確認すると、冷却フィン全体が灰色の粉塵で覆われていた。
放熱性能が落ちていることが一目で分かる。
長谷川
「冷却効率も下がってるな。」
最後にアンテナ基部を診断すると、回転モーターの応答速度が少し遅くなっていた。
橘
「致命傷になる前に全部直してしまおう。」
修理作業
太陽電池パネルの修復
長谷川はローバーから予備パネルを取り出す。
保護ケースを開くと、新品の発電セルが丁寧に収納されていた。
まず損傷したセルを固定ラッチから外す。
月面は真空環境のため、空気抵抗もなく部品は軽く持ち上がった。
慎重に新しいセルを差し込み、固定ラッチを順番に閉じていく。
カチッ。
最後に発電テストを実施。
モニターには
出力100%
と表示された。
長谷川
「発電能力、完全回復。」
固着したロッドの分解
進藤は脚部の保護カバーを取り外した。
内部には細かなレゴリスがびっしり入り込んでいる。
専用のドライブラシで丁寧に粉塵を払い落とし、さらに超音波クリーニングツールを当てる。
細かな振動によって関節内部の粒子が少しずつ外へ出てきた。
十分に清掃したあと、潤滑剤を少量注入する。
手でゆっくり動かすと、先ほどまでの抵抗が消えていた。
進藤
「可動域正常です。」
冷却フィンの粉塵清掃
橘はブラシを取り出し、冷却フィンの砂を払う。
細かなレゴリスが一斉に舞い上がり、ゆっくりと月面へ降り積もっていく。
その後、専用クロスで表面を拭き上げる。
最後にレゴリス付着を抑える耐粉塵シリコンコーティングを均一に塗布した。
橘
「これで放熱効率も戻る。」
アンテナ基部の調整
最後は通信アンテナ。
長谷川がカバーを開き、内部ギアを取り外す。
ギア表面にはわずかな摩耗跡が確認された。
新品部品へ交換し、駆動軸を組み直す。
締め付けトルクを確認しながら固定すると、アンテナは滑らかに回転し始めた。
通信テストを実施する。
アンテナは静かに向きを変え、地球へ正確に指向した。
通信ランプが点灯する。
長谷川
「応答速度正常。」
橘
「これで機械系の整備は完了だ。」
再プログラム作業
機械的な修理を終えると、三人は最後の作業となるソフトウェア更新に取り掛かった。
外部の端子に携帯端末を直接接続し、その場で制御プログラムを書き換える方式が採られていた。
進藤は探査機側面の保護カバーを開け、通信ポートへ専用ケーブルを接続する。
カチッ。
確実に接続されたことを確認すると、携帯端末の画面に探査機のシステム情報が表示された。
まず現在のソフトウェアを確認する。
制御プログラムバージョン
各センサー制御モジュール
通信システム
自己診断プログラム
データ圧縮プログラム
すべて正常に認識された。
進藤
「接続良好。バックアップを取得します。」
万が一更新中に異常が起きても復旧できるよう、現在のシステムを丸ごと保存していく。
画面には進行状況が表示される。
バックアップ中、25%、50%、75%、100%
進藤
「バックアップ完了。」
橘が地球から送られてきた更新データを読み込む。
今回適用されるアップデート内容は、
地中レーダーの深度計測アルゴリズム改良
月面温度変化のリアルタイム補正
粉塵付着時の自動振動クリーニング機能追加
探査ルート最適化アルゴリズム改善
帰還船との自動同期通信モード追加
という五項目だった。
橘
「今回は機能追加より、長期運用の安定性向上が目的だ。」
長谷川も画面を覗き込む。
「これなら今後何か月も運用できそうだな。」
進藤は更新開始ボタンを押した。
画面にアップデート状況が表示される。
システム更新中。
最初に通信プログラム。
続いてレーダー制御。
温度補正。
自動清掃機能。
最後に中央制御ソフト。
更新が進むたび、探査機本体の状態表示ランプがゆっくり点滅した。
三人はその様子を見守る。
数分後。
画面にはアップデート完了の文字が表示された。
進藤
「更新終了。」
橘
「再起動する。」
再起動コマンドを送信すると、探査機はいったん全システムを停止した。
月面に静寂が戻る。
数秒後、状態表示ランプが一つずつ点灯していく。
新しいシステムが正常に立ち上がり、探査機は再び運用状態へ復帰した。
システムチェック
再起動を終えた探査機は、自動的に自己診断モードへ移行した。
モニターには診断項目が順番に表示されていく。
まず可動部。
サスペンションがゆっくり上下し、各関節が滑らかに動作する。
交換したロッドも問題なく作動した。
続いて地中レーダー。
アンテナが展開され、地面へ試験用のレーダー波を照射する。
進藤
「システム正常。」
各センサーが基準値との比較を行い、自動キャリブレーションを開始する。
さらに通信アンテナがゆっくり回転し、地球方向を自動追尾した。
先ほど清掃した駆動部は以前より滑らかに動き、停止位置の誤差もほとんど見られない。
通信確認。
送信。
受信。
双方とも正常。
最後に電源系統の確認が始まる。
太陽電池パネルの発電量。
蓄電池残量。
充放電効率。
内部温度。
すべて規定値以内だった。
診断が終了すると、画面には緑色の表示が並ぶ。
すべての項目に異常はなかった。
橘は小さく頷く。
橘
「完璧だ。」
進藤も安心したように息をつく。
「修理もアップデートも終わったな。」
全作業を終えた三人は、探査機と観測装置群の周囲を最後にもう一度見回った。
太陽電池パネルは力強く光を受け、通信アンテナは地球を向いている。
地震計。
地中レーダー。
放射線測定器。
通信ビーコン。
すべてが正常に稼働し、月面観測ステーションは完成形ともいえる姿になっていた。
長谷川は観測ステーション全景を様々な角度から撮影する。
探査機単体。
観測装置群。
住居モジュールを遠景に入れた構図。
そして三人が並んだ記念写真。
セルフタイマーを起動すると、ゆっくりと探査機の前へ並んだ。
橘
「これも歴史の1ページになる。」
長谷川
「教科書に載るかもしれないな。」
三人は静かに頷いた。
カシャッ。
高解像度カメラが、人類初の月面観測ステーションと、それを整備した三人の姿を記録した。
撮影した映像と写真はその場でバックアップされ、帰還後の解析資料としても保存される。
作業終了後、工具や交換部品をローバーへ積み込み、三人はゆっくりと住居モジュールへの帰路についた。
ローバーは静かな月面を走り抜け、日に照らされる観測ステーションを背に遠ざかっていく。
住居モジュールへ戻ると減圧区画を通って室内へ入り、宇宙服を脱いでから中央通信モジュールへ向かった。
この日の整備記録、診断結果、アップデート内容、各種ログは整理され、地球へ送信される。
数秒後、羽合宇宙センターから受信完了の通知が届いた。
月面滞在五日目の任務も、すべて成功した。




