368話 月面3日目
月面滞在 3日目
ローバーによる長距離探査開始
月面の朝。
地平線の彼方から太陽がゆっくりと姿を現し、鋭い光が灰色の大地を照らし始める。
大気が存在しないため、朝焼けも薄明もない。
黒い宇宙の中で、太陽だけが突然姿を見せ、長く伸びた影が月面をゆっくりと横切っていく。
住居モジュールの外壁も、白い光を受けて静かに輝いた。
起床した3人が、朝食と健康チェックを終え、その日の任務確認を行っていた。
中央テーブルのモニターには、今日の行動予定が表示されている。
長距離ローバー探査
通信ビーコン設置
地殻露出部の地質調査
地形・地下構造観測
橘は表示を一つひとつ確認しながら言った。
橘
「今日は長距離探査だ。」
「基地から最も離れる日になる。」
「安全第一で進める。」
進藤と長谷川は静かに頷いた。
3人は再び宇宙服へ着替える。
3人は減圧室へ入った。
外側ハッチが閉まり、内部の空気がゆっくりと排気されていく。
「減圧完了。」
橘が外部ハッチの解除レバーを操作する。
静かな機械音とともに、ハッチがゆっくりと外側へ開いた。
目の前には、静まり返った月面が広がっていた。
住居モジュールのすぐ脇には、月面ローバーが静かに待機している。
昨日までの活動で付着したレゴリスが、車体の一部を薄く灰色に染めていた。
ローバーは、前世の1960年代に使用された月面車を大きく上回る性能を持つ、日本独自開発の探査車両だった。
車体は軽量高強度合金で構成され、各輪が独立して可動する構造となっている。
搭載装備は充実していた。
4輪独立懸架電動サスペンション
高出力電動モーター
大型ソーラーウイング
燃料電池補助電源
全天候対応8K観測カメラ
地形解析LIDAR
地下探査レーダー
耐放射線コンピューター
自律航法装置
緊急帰還支援システム
橘は車体を軽く叩いた。
「今日も頼むぞ。」
進藤は運転席へ座り、起動スイッチを押した。
ピッ。
コンピューターが立ち上がる。
計器類が一つずつ点灯していく。
中央モニターには、月影が送信した三次元地図が表示された。
進藤は順番に確認していく。
「航法装置、正常。」
「レーダー起動。」
「LIDAR起動。」
「地下探査装置、正常。」
「誘導ビーコンとのリンク確認。」
数秒後。
画面に緑色の表示が現れた。
「リンク完了。」
「事前に無人探査機が調査したルートを追従する。」
橘も確認画面を見つめる。
「よし。」
「出発する。」
ローバーは静かに動き始めた。
長距離走行開始
住居モジュールをゆっくり離れ、ローバーは新たな探査ルートへ入る。
車輪がレゴリスを踏むたび、灰色の砂がふわりと浮かび上がる。
しかし月の重力は小さい。
舞い上がった砂はゆっくり弧を描き、静かに地面へ戻っていった。
長谷川はその様子をカメラで撮影する。
「砂の動きまで違う。」
「地球ならこんな飛び方はしない。」
進藤も前方を見つめながら頷いた。
「全部の動きがゆっくり見える。」
今日の目的地は、基地から約15km離れた高地だった。
そこでは無人探査機・月影が地殻が露出している場所を発見している。
地下深部の情報を得られる可能性があり、今回の探査でも最重要地点だった。
ローバーは進み続ける。
前方ではLIDARが地形を立体表示し、危険な岩や窪地を自動的に表示していく。
橘は周囲を眺めながら静かに言った。
「やはり月は静かだ。」
「何も聞こえない。」
長谷川はヘルメット越しに笑う。
「聞こえるのは、この通信機の声だけですね。」
進藤も周囲を見回した。
「地平線が近い。」
「地球よりずっと丸く見える。」
ローバーは起伏を越え、小さなクレーターを避けながら進んでいく。
走行開始からしばらくして、小高い丘へ到着した。
ここは予定どおり、第一通信中継装置を設置する地点である。
橘はローバーを停止させた。
「ここで設置作業を行う。」
3人は車外へ降りる。
収納ラックから通信ビーコンを取り出した。
高さは約2メートル。
上部にはアンテナ。
側面には大型ソーラーパネル。
下部には深く固定するためのアンカーが備えられている。
進藤は位置を確認しながら言う。
「ここなら周囲を広く見渡せる。」
「通信にも最適だ。」
橘は頷いた。
「設置開始。」
進藤が専用工具でアンカーを回しながら、ゆっくりと月面へ打ち込んでいく。
ザク。
硬いレゴリスが少しずつ削られ、固定されていく。
長谷川はその一連の作業を、様々な角度から撮影していた。
「基地建設の第一歩だな。」
アンカー固定後、ソーラーパネルを左右へ展開する。
続いてアンテナがゆっくりと立ち上がった。
アンテナは自動で姿勢を変え始める。
まず住居モジュール方向。
次に地球方向。
最後に通信角度を微調整する。
進藤は端末を確認した。
「信号強度、上昇。」
「通信品質、非常に良好。」
橘
「これで基地から離れても、常時通信できる。」
長谷川はモニターを見て笑顔を見せた。
「第一通信ビーコン設置完了。」
「これでこの区域の通信網が完成した。」
3人は完成した小さな通信塔を見上げた。
静かな月面に、日本が設置した最初の通信中継設備が、地球へ向けて電波を送り続けていた。
最初の通信ビーコンの設置を終えた3人は、ローバーへ再び乗り込み、次の観測ポイントへ向かった。
目的地は、基地からさらに数キロ離れた緩やかな丘陵地帯。
ここは月影が事前調査で「地盤が安定しており、長期観測に適している」と判定した場所だった。
ローバーが停止すると、橘は周囲をゆっくり見渡した。
果てしなく続く灰色の大地。
静寂だけが支配する世界だった。
橘
「ここだ。」
「第二観測ポイントの設置を開始する。」
3人はローバーから機材コンテナを降ろす。
中には精密に梱包された観測機器が整然と収納されていた。
小型月震計
月面温度観測ユニット
放射線測定装置
地中探査レーダー
データ中継制御装置
まず橘が月震計を取り出した。
高さは約40センチほど。
下部には三本の固定脚が付いている。
慎重に月面へ置き、水平を確認しながら脚の高さを細かく調整していく。
進藤も横から測定器を確認する。
「水平誤差0.2度。」
「もう少し右。」
橘はゆっくり調整した。
「これでどうだ。」
進藤は再び画面を見る。
「水平確認。」
「これなら十分だ。」
続いて固定用アンカーを打ち込み、本体が動かないように固定する。
月震計は月面にしっかりと設置された。
橘は起動スイッチを押した。
本体の表示灯がゆっくりと点灯する。
データ送信ランプも緑色へ変わった。
橘
「設置完了。」
「月震データは基地を経由して自動送信するよう設定した。」
長谷川はその様子を撮影する。
「世界初の小型月震計。」
「これも歴史資料だな。」
続いて温度観測装置を設置する。
細長い支柱を月面へ差し込み、複数の温度センサーを異なる高さへ固定する。
地表付近。
地表から50センチ。
1メートル。
それぞれの温度差を長期間記録するためだ。
進藤が端末を確認する。
「センサー応答正常。」
「現在地表温度、記録開始。」
その隣では放射線測定器を設置する。
厚い遮蔽ケースから本体を取り出し、月面へゆっくり固定した。
橘
「宇宙線量の長期観測を開始。」
「有人基地建設には欠かせないデータになる。」
進藤も表示を見つめる。
「数値正常。」
最後に、地中探査レーダーを展開した。
アンテナを左右へ伸ばし、地表へゆっくり向ける。
長谷川
「アンテナ角度良好。」
進藤
「送信開始。」
地下へ向けて探査波が送り込まれる。
数秒後、ローバーの画面には地下数十メートルの断面図が表示された。
幾重にも重なる地層。
岩盤。
細かな空洞。
地下構造が少しずつ姿を現していく。
橘は静かに頷いた。
「全観測装置、正常稼働。」
「この地点の観測網は完成だ。」
長距離探査
観測装置の設置を終えたローバーは、さらに目的地である高地へ向けて走行を再開した。
起伏のある地形を慎重に越えながら、およそ一時間。
ローバーは目的地へ到着した。
周囲には大小さまざまな岩石が散らばり、月面の地層が露出している場所が広がっていた。
長谷川は思わず息を呑む。
「ここが、月影が見つけた場所か。」
ローバーのLIDARが高速回転を始める。
周囲の地形が次々と三次元化され、詳細な地形図が画面へ描き出されていく。
同時に、地下探査レーダーも地盤を観測し始めた。
数分後。
解析結果が表示される。
長谷川は画面を見ながら言った。
「この層、玄武岩だ。」
「初期の火山活動によって形成された可能性が高い。」
進藤は露出した岩盤へ近づき、専用ハンマーで慎重に表面を軽く叩く。
乾いた衝撃だけが伝わる。
割れた小さな破片を採取ケースへ収めた。
「この岩だけでも相当価値がある。」
「地球へ持ち帰れば何本も論文が書ける。」
橘は周囲を見渡しながら静かに言った。
「採取だけじゃない。」
「この場所そのものが重要な研究対象だ。」
長谷川はカメラで、露出した岩盤。
ローバー。
観測する仲間たち。
あらゆる角度から記録を続けた。
撮影した映像と観測データは、その場で圧縮処理され、通信ビーコンを経由して地球へ送信されていく。
帰還
長距離探査を終えた頃には、活動開始から約9時間が経過していた。
橘が時計を確認する。
「帰投する。」
ローバーはゆっくりと基地への帰路についた。
設置した通信ビーコンを通過すると、アンテナが自動でローバーとの通信を維持する。
長谷川はその様子も忘れず撮影した。
「通信網も問題なし。」
「基地周辺の整備が着実に進んでる。」
帰り道でもローバーはセンサーによって地形データを収集し続け、新たなクレーターや岩石の位置を記録していく。
数時間後。
住居モジュールの白い外壁が遠くに見え始めた。
進藤はほっと息をつく。
「帰ってきたな。」
橘も静かに頷く。
「今日の成果は大きい。」
「基地の観測範囲は大きく広がった。」
ローバーは住居モジュール前へ停止した。
3人は機材を降ろし、減圧区画へ入る。
気圧が回復すると宇宙服を脱ぎ、汗ばんだアンダースーツのまま居住区へ戻った。
長谷川は温かい飲み物を手に取り、椅子へ腰掛ける。
進藤もモニターに映る解析速報へ目を向けた。
地球ではすでに研究チームが、今日送信された膨大なデータの解析を始めている。
長谷川は窓の向こうに浮かぶ青い地球を眺め、小さく微笑んだ。
「月面での3日目。」
「すべて順調だ。」




