364話 月面モジュール入室
月面滞在調査
住居モジュールへの入室準備
大型観測装置の展開作業を終えた三人は、それぞれ最後に自分の担当装置をもう一度見回した。
橘は腕の端末へ視線を落とす。
「全観測装置、データリンク正常。」
「ローバーとの通信も維持されている。」
進藤も携帯端末の表示を確認する。
「異常ありません。」
長谷川は肩に掛けたカメラで、観測装置全体をゆっくりと撮影した。
銀色に並ぶ観測機器。
月面に伸びる配線。
その奥に建つ白い住居モジュール。
そして黒い宇宙空間に浮かぶ青い地球。
「記録映像、良好。」
橘は頷いた。
「よし。」
「次は住居モジュールへ入る。」
三人はローバーへ戻り、積載していた工具箱や点検端末を取り出した。
橘はローバーの操作盤へ手を伸ばす。
「ローバー、駐車モード。」
駆動モーターが停止する。
車体下部の固定ブレーキが作動し、サスペンションが自動的に姿勢を安定させた。
進藤は表示を確認した。
「駐車状態確認。」
「電源待機モード移行。」
「太陽電池による充電を継続。」
長谷川は車体後部を軽く叩いた。
「よし。」
「留守番を頼む。」
三人はローバーを離れ、住居モジュールへ歩き始めた。
低重力のため、一歩踏み出すたびに身体がふわりと浮く。
それでも急がず、慎重に歩幅を合わせながら進んでいく。
月面には新たな足跡が、一直線に住居モジュールへ続いていた。
太陽光パネルの展開
住居モジュールの外壁には、輸送時の振動に耐えるため折り畳まれたまま固定されていた大型太陽光パネルが収納されている。
無人探査機によって展開準備までは完了していたが、安全のため最終展開は有人確認後に行う手順となっていた。
橘は外壁パネルを開き、内部の展開レバーを引き出した。
「太陽光パネル展開作業を開始する。」
長谷川は右側へ回り込む。
固定ラッチを一本ずつ外していく。
金属製ロックは輸送中の衝撃にも耐える構造になっており、一つ解除するたびに確実な手応えが宇宙服の手袋越しに伝わる。
進藤は反対側を担当した。
橘が確認する。
「左右ロック解除を確認。」
「展開開始。」
折り畳まれていた巨大なパネルが、少しずつ外側へ開いていく。
長谷川は動きを見守った。
「展開角度20度。」
さらに開く。
30度。
45度。
60度。
パネル表面が太陽光を受け、薄い青色の反射光が月面へ広がった。
やがて90度まで展開され、固定ラッチが自動的に作動する。
「固定完了。」
続いて第二面も同じ手順で展開された。
住居モジュールの両側へ大きな翼が広がり、発電能力は一気に向上する。
進藤は計器を確認した。
「発電開始。」
「電圧上昇。」
数秒後、表示は安定した。
「主電源系統へ切替可能。」
橘が制御盤へ入力する。
「主電源へ切替。」
モジュール内部でリレーが切り替わり、非常電源から主電源へ移行した。
進藤は端末を見つめながら報告する。
「蓄電池への充電も正常です。」
長谷川は住居モジュール全体を見上げた。
「これで本当の基地だ。」
橘は静かに答える。
「ああ。」
「ようやく人を迎え入れる準備が整った。」
長谷川はヘルメット越しに笑った。
「よし。」
「いよいよ内部に入るぞ。」
橘は住居モジュール正面のハッチへ歩み寄る。
ハッチ中央には、手動操作と電子制御を兼ねた開閉装置が設けられていた。
橘は点検端末を接続する。
表示には手順が一項目ずつ現れる。
シール確認。
外周パッキンに損傷なし。
橘は読み上げた。
「シール確認。」
進藤が端末を確認する。
「正常。」
無人輸送状態のため、内部は完全な真空で保持されている。
表示値はゼロ。
「内圧確認。」
最後に機械ロック。
橘は赤い解除レバーをゆっくり回した。
ガチッ。
ロックが外れる感触が伝わる。
「機械ロック解除。」
長谷川が撮影を続ける。
「開放作業、記録中。」
橘は開放スイッチを押した。
電動モーターが静かに作動し、ハッチがゆっくりと横へスライドしていく。
真っ暗だった内部が少しずつ姿を現す。
非常灯だけが点灯しており、白い壁や床の輪郭がぼんやりと浮かび上がっていた。
長谷川が小さく呟く。
「誰も入ったことのない部屋。」
橘は頷く。
「人類初だ。」
三人は慎重に一人ずつ入った。
橘。
長谷川。
進藤。
全員の入室を確認すると、ハッチは自動的に閉じられる。
ロックランプが赤から緑へ変わった。
「ハッチ閉鎖。」
加圧室の加圧開始
橘はコンソールの前へ立つ。
操作手順をもう一度確認し、慎重に起動ボタンを押した。
加圧開始。
装置が起動し、高圧酸素ボンベから空気がゆっくり送り込まれていく。
音はほとんど聞こえない。
しかし宇宙服の気圧計が変化し始めた。
長谷川が読み上げる。
「加圧良好。」
「酸素濃度、正常。」
進藤も計器を追う。
「0.2気圧。」
「0.6。」
全員が無言で数値を見守る。
やがて表示は、0.8。
そして設定値へ到達した。
進藤は静かに報告する。
「目標気圧達成。」
「漏れなし。」
「気密状態、正常です。」
橘は深く頷いた。
「耐圧隔壁を開く。」
住居モジュール内部へ
耐圧隔壁のロックランプが緑へ変わる。
橘はレバーをゆっくり引いた。
厚い隔壁が静かに横へ開いていく。
その向こうには初期展開を終えたばかりの月面住居モジュール内部空間が広がっていた。
未使用の白い壁。
折り畳まれた机や収納ラック。
整然と並ぶベッドモジュール。
小型空調設備。
生命維持装置。
そして各種制御盤。
非常灯の柔らかな光が室内全体を照らし、真新しい設備が静かに浮かび上がっていた。
誰も使ったことのない、誰も暮らしたことのない空間。
しかしそこには確かに、人が生活するために造られた温かさが感じられた。




