361話 それぞれの仕事
長谷川:動画撮影による記録任務
三人がそれぞれの持ち場へ散開すると、長谷川はゆっくりと胸元へ手を伸ばした。
宇宙服のハーネス中央には、衝撃吸収ケースに固定された撮影ユニットが装着されている。
今回の月面探査のために開発された、超高画質8Kビデオカメラ撮影ユニットだった。
耐真空仕様。
耐放射線仕様。
耐極低温・高温仕様。
さらに、レンズ表面には月面の細かなレゴリスが付着しにくい特殊コーティングが施されている。
長谷川は固定ロックを解除した。
「撮影ユニット、取り外します。」
カチッ。
小さな音とともに、カメラがハーネスから外れる。
彼は両手で丁寧に支えながら、レンズ部をゆっくり前へ向けた。
まだ保護シャッターは閉じたままだ。
月面の細かな砂が不用意に付着しないよう、撮影直前まで閉じる設計になっている。
長谷川は親指で解除レバーを押した。
保護シャッターが左右へ静かに開く。
しかしモニターには、鮮烈な月面の景色が映し出された。
灰色の大地。
漆黒の宇宙。
青く輝く地球。
そして、月面へ立つ日本国旗。
長谷川は思わず息を呑む。
「綺麗だ。」
彼は通信を開いた。
「映像記録ユニット作動。」
カメラ横の赤い表示灯が点灯する。
録画開始。
「撮影開始。」
まず最初にレンズを向けたのは、日本国旗だった。
ゆっくりとズームイン。
白い布地。
中央の日の丸。
水平バーによって美しく広げられた旗。
背景には青い地球。
黒い宇宙に浮かぶ故郷を背負うように立つ日の丸は、宝石のような存在感を放っていた。
長谷川はゆっくりとカメラを回しながら、さまざまな角度から撮影する。
正面。
斜め前。
着陸船を入れた構図。
地球を大きく入れた構図。
足跡を手前へ配置した構図。
一つひとつ、後世の資料になることを意識して丁寧に記録していく。
続いて進藤へカメラを向ける。
彼女は月面へしゃがみ込み、慎重にサンプル採取を進めていた。
レゴリスが舞う様子。
工具を扱う手元。
採取ケースへ収められていく試料。
長谷川は少し距離を取り、広角で全身を映す。
さらに近づき、作業する手元だけをアップで撮影する。
「いいな。」
「これなら細かい作業まで全部残せる。」
今度は橘へ向かう。
橘はローバーの展開作業中だった。
巨大なローバーが静かに月面へ降ろされていく。
油圧アームの動き。
展開する太陽電池。
起動する表示灯。
観測装置を設置する橘の姿。
長谷川はその一つ一つを、映画を撮るような構図で記録した。
さらにレンズを空へ向ける。
そこには青い地球。
雲がゆっくりと流れている。
地球は静かに自転し、遠くで白い雲帯が少しずつ位置を変えていた。
「これも残しておかないとな。」
彼はズームを最大まで上げる。
青い海。
白い雲。
大陸。
故郷。
月から見た地球の姿が、超高画質映像として保存されていく。
撮影を続けながら、長谷川は歩き回った。
低い位置。
高い位置。
着陸船越し。
ローバー越し。
国旗越し。
足跡越し。
ありとあらゆる構図で撮影を続ける。
彼は技術者であると同時に、この歴史を残す記録者でもあった。
やがて撮影範囲を一通り回り終えると、長谷川は着陸船から少し離れた場所を選ぶ。
「ここなら全体が入る。」
折り畳まれていた三脚を取り出す。
脚を一本ずつ開き、月面へゆっくり押し込む。
低重力でも倒れないよう、専用アンカーをレゴリスへ固定する。
カメラを載せる。
水平確認。
画角調整。
録画状態確認。
長谷川はモニターを見つめる。
画面には、国旗。
着陸船。
ローバー。
作業する橘。
採取を続ける進藤。
そして遠くの地球。
全てが収まっていた。
「定点記録、開始。」
カメラは静かに、人類初の月面探査全体を記録し続けた。
進藤:サンプル採取任務
進藤は腰のツールホルダーから、月面採取キットを取り出した。
収納ケースには、用途ごとに整理された器具が並んでいる。
採取スコップ。
小型ブラシ。
地質ハンマー。
試料採取ピンセット。
密閉サンプルケース。
測定器。
全てが月面専用仕様だった。
進藤はケースを開きながら通信を入れる。
「表面レゴリス、粒度測定開始。」
彼女はしゃがみ込み、慎重に地表を観察する。
灰色の砂は非常に細かい。
粒子の大きさ。
色の違い。
太陽光の反射。
全てを確認する。
測定器を地面へ当てる。
「表面温度測定。」
表示値を確認。
「温度、記録。」
続いて小型スコップを手に取る。
ゆっくりと地表を削る。
サラサラ。
乾いた砂が静かに持ち上がる。
空気がないため、砂煙はほとんど立たない。
舞い上がった粒子は、ゆっくり放物線を描いて落ちていく。
進藤は慎重に採取する。
少な過ぎると分析できない。
十分な量を丁寧にケースへ収める。
サンプルケースには、区画ごとに番号が振られている。
第一区画。
表層サンプル。
第二区画。
浅層サンプル。
第三区画。
岩石片。
それぞれ完全に分離保存される。
進藤は携帯端末を開く。
チェックリストを確認する。
温度。
質量。
粒度。
磁性。
静電付着。
一項目ずつ入力していく。
「温度、入力。」
「質量、記録。」
「粒度、正常。」
「磁性、測定。」
測定器を近づける。
数値が表示される。
「磁性、微弱。」
さらに表面へ帯電計を当てる。
「静電付着量、測定。」
宇宙服へ付着する細かなレゴリスも確認する。
「静電付着、想定範囲。」
全てを記録したあと、サンプルケースを密閉する。
カチッ。
完全密封。
進藤は静かに言う。
「レゴリス採取完了。」
「岩石片採取へ移る。」
彼女は少し場所を変える。
足元を軽く払う。
表面の砂がどき、灰色の岩石が顔を出した。
「対象確認。」
地質ハンマーを持ち上げる。
勢いは最小限。
コン。
小さく叩く。
岩石が少し欠ける。
さらにもう一度。
コン。
白く輝く破片が外れた。
進藤はピンセットで慎重に拾い上げる。
サンプルケースへ収納。
「岩石片、採取完了。」
彼女はしばらくその岩石を見つめた。
何十億年もの時間を、この石はここで過ごしてきた。
そして今、初めて人の手に触れた。
太陽光を受けた岩石片は、銀色にも白色にも見える。
進藤は静かに呟いた。
「この瞬間は。」
少し間を置く。
「必ず未来へつながる。」
橘:ローバー準備・観測装置設置
橘は着陸船へ歩いていく。
収納ユニットの前で立ち止まり、遠隔操作盤を開いた。
「ローバー完全展開作業を開始する。」
油圧系起動。
安全確認。
表示灯が次々と緑へ変わる。
橘はロックボルトを解除した。
ガチャン。
固定具がゆっくり外れる。
橘は操作盤を確認する。
「ローバー起動完了。」
メインパワースイッチを押す。
車体がゆっくり目覚める。
折り畳まれていた太陽光パネルが左右へ展開。
大型バッテリーが起動。
車体各部の表示灯が順番に点灯する。
静電防止処理された銀色の車体が、月面の光を反射して輝いていた。
橘は満足そうに頷く。
「起動正常。」
次に観測コンテナを開く。
中には多くの精密機器が並んでいる。
月面地震計。
放射線量観測器。
月面温度観測ユニット。
地下レーダー測定アンテナ。
それぞれを慎重に取り出す。
設置場所は事前に決められていた。
まず地震計。
水平確認。
固定。
起動。
次に放射線観測器。
月面温度計。
地下レーダー。
一本一本、正確な間隔で配置していく。
ローバー側の通信装置と接続。
データリンク開始。
表示灯が緑へ変わる。
「通信正常。」
「同期正常。」
「全装置オンライン。」
橘は最後に全体を見渡した。
着陸船。
ローバー。
国旗。
観測装置。
灰色の月面には、まるで未来の月面基地を思わせる光景が広がっていた。
橘は通信を開く。
「観測装置セット完了。」
「データリンク正常。」
「月面観測、開始可能です。」




