348話 月影打ち上げ
月面探査機「月影」 日本初の月探査へ
有人着陸船「月読命」に先立ち、まずは無人月面探査機「月影」を送り込む。
これは有人着陸船の安全確保のための事前準備であり、着陸予定地点の確認・地形測定・通信中継の役割を担う重要な任務だった。
1648年6月17日。
ロケットは発射台に固定され、早朝の羽合の海風を静かに受けながら、機体表面から白い霧を絶え間なく吐き続けていた。
液体酸素と液体水素を満載した巨大な機体は、まるで呼吸をしているかのようだった。
発射台周辺では最後の作業員たちが退避し、点検車両も一台、また一台と安全区域へ移動していく。
宇宙軍、空軍、帝国大学、文部省の技術者が固唾を飲んで見守る中、発射シークエンスが開始される。
巨大スクリーンには、各系統の状態を示す無数の緑色のランプが並んでいた。
発射前最終確認
管制室では各担当席から報告が飛ぶ。
「第一推進系統、正常。」
「第二推進系統、正常。」
「液体酸素タンク圧力、規定値。」
「液体水素温度、安定。」
「誘導コンピュータ同期完了。」
「慣性航法装置、正常。」
「通信リンク、全局接続確認。」
「レーダー追尾システム、正常。」
「飛行安全装置、待機。」
ひとつ報告が終わるたび、担当責任者が静かに頷く。
二十数年という歳月を積み重ねてきた努力が、今まさに試されようとしていた。
明賢
管制室中央。
巨大スクリーンの真正面に立つ明賢は、腕を組んだまま発射台を見つめていた。
その表情に焦りはない。
しかし、その瞳だけは、誰よりも真剣だった。
隣に立つ宇宙軍司令が小さく声を掛ける。
「すべて予定通りです。」
明賢はゆっくり頷く。
「ここまで来た。」
「今日飛ぶのは探査機だけではない。」
「日本の未来だ。」
室内の誰もが、その一言を胸に刻んだ。
カウントダウン
中央スクリーンに、巨大な数字が浮かび上がる。
T−120
「点火系統、最終確認。」
「燃料ライン圧力、正常。」
「冷却系統、異常なし。」
ロケット周囲では、液体窒素の白煙が静かに流れていく。
T−90
「飛行コンピュータ、自律制御へ移行。」
「外部電源切り離し準備。」
巨大なロケットは、もはや自らの力だけで飛び立つ準備を整えていた。
T−60
明賢が静かに発射台を見つめる。
この一機が成功すれば、月への道が開く。
有人月面着陸への第一歩。
誰よりもその意味を理解していた。
T−30
「追尾レーダー、ロック。」
「遠隔測定装置、正常。」
「飛行安全装置、待機。」
技術者たちの額には汗が浮かぶ。
それでも視線は、一瞬たりとも計器から離れない。
T−20
発射台周囲の散水設備が作動する。
ゴォォォォォ……
数千トンもの水が、巨大な滝となって発射台へ流れ込んだ。
音響衝撃を抑えるための巨大な水の壁が形成される。
白い蒸気が朝日に照らされ、幻想的な光景を作り出した。
T−10
場内アナウンスが響く。
10
ロケット底部の点火装置へ電流が流れる。
9
燃料バルブ開放。
8
燃焼室圧力、正常。
7
誘導コンピュータ、自動飛行開始。
6
姿勢制御システム、グリーン。
5
外部固定アーム、解除準備。
4
全系統オールグリーン。
3
管制室が静まり返る。
2
ロケット底部から低いうなりが響き始める。
1
明賢が静かに前へ一歩踏み出した。
誰もがその姿を見つめる。
そして
T−0
「点火!!」
発射
一瞬遅れて
ドォォォォォォォォォォォォォンッ!!
ロケット底部から、太陽のような白い炎が噴き出した。
数百万馬力の推力が、巨大な発射台全体を震わせる。
同時に水幕が一瞬で蒸気へ変わり、白い雲となって周囲を包み込んだ。
轟音は胸を震わせ、数キロ離れた海岸まで届く。
発射固定アームがゆっくり開き、巨大ロケットは静かに
ほんの数センチ、
地面から浮き上がった。
「離昇出力確認!」
「上昇開始!」
ゆっくり。
しかし確実に。
白銀の巨体は、人類の夢を乗せて空へ昇り始める。
炎はさらに勢いを増し、尾を引く白煙が一直線に伸びていく。
羽合島全体が震えるほどの咆哮。
誰も声を出さない。
ただ、空へ昇るロケットを見上げていた。
やがて高度は、
100メートル。
500メートル。
1000メートル。
機体は速度を増しながら、朝焼けの空へ吸い込まれていく。
上昇
「高度二千メートル。」
「姿勢安定。」
「ロール角正常。」
「推力100パーセント。」
巨大スクリーンには、リアルタイムで飛行データが映し出される。
ロケットは予定された飛行経路を寸分違わず飛び続ける。
高度五キロ。
十キロ。
二十キロ。
青空は少しずつ濃くなり、やがて紺色へと変わっていく。
空気抵抗が急激に減少し、機体はさらに加速した。
地球周回軌道
予定高度へ到達すると、第一段の燃焼が終了する。
「第一段、燃焼終了。」
「三、二、一」
ガコンッ
爆発分離ボルトが作動。
巨大な第一段ロケットは静かに切り離され、役目を終えて地球へ落下していく。
直後、第二段エンジンが点火。
「第二段点火、成功!」
機体はさらに加速し、やがて地球周回軌道へ投入された。
数周にわたる軌道確認と姿勢調整を経て、月への最適な位置に到達する。
管制官が静かに告げた。
「月遷移噴射まで十秒。」
全員が画面を見つめる。
「三、二、一、点火。」
後部エンジンが長時間燃焼を開始。
月影を搭載したモジュールは、ゆっくりと地球を離れる軌道へ乗っていく。
燃焼終了。
メインコンピューターが軌道を解析する。
数秒後。
航法主任が立ち上がった。
「月遷移軌道への投入成功!」
その瞬間、張り詰めていた管制室に、大きな拍手が響き渡った。
モジュールは地球の重力圏を抜け、静かに、そして確実に月へ向かって加速を続けていった。




