344話 祝宴と新たなはじまり
宇宙軍内部の祝宴
式典が静かに幕を閉じると、参加者たちは地下ホールに隣接する宇宙軍専用の会食室へと移動した。
そこは普段、宇宙軍幹部や研究主任たちが会議を行うための部屋であり、豪華絢爛というよりは機能性を重視した造りだった。
しかし、この日だけは違った。
壁には日本国旗と宇宙軍旗が並べられ、その中央には先ほどまで式典で飾られていた有人宇宙飛行一号・二号の記念模型が静かに展示されている。
机には白い布が掛けられ、料理人たちが腕を振るった温かな料理が整然と並べられていた。
決して贅沢を競うような宴ではない。
それでも、その場に集まった全員の表情には、何物にも代えがたい達成感が浮かんでいた。
数十年にわたる研究。
幾千回という実験。
数え切れない失敗。
そのすべてを乗り越えた者たちだけが味わえる時間だった。
宇宙飛行士六人が会場へ姿を見せると、研究者や技術者、管制官たちは自然と拍手を送り始めた。
誰かが拍手を始めると、それは瞬く間に部屋全体へ広がっていく。
拍手は長く続いた。
天城は少し照れたように頭を下げる。
大江も笑顔で手を振る。
徳川は少し緊張した表情のままだったが、それでも何度も礼を返していた。
一方、二号機の四条、島津、和泉も静かに頭を下げながら拍手に応えた。
世界初の宇宙遊泳を成功させた英雄であっても、その態度は少しも驕ることがなかった。
やがて拍手が落ち着くと、宇宙軍の幹部たちが順番に六人のもとへ歩み寄る。
一人ずつ固い握手を交わしていく。
「よく帰ってきてくれた。」
「本当にありがとう。」
「あなた方のおかげで、日本はここまで来られた。」
そんな言葉があちこちで交わされていた。
宇宙軍ロケット主任設計技師も、ゆっくりと六人の前へ歩み出た。
彼は宇宙軍設立時から長年ロケット開発に人生を捧げてきた男である。
幾度となく失敗を経験し、それでも設計図を書き直し続けてきた。
宇宙飛行士たちを前にすると、しばらく何も言えなかった。
やがて静かに口を開く。
「あなたたちの笑顔を見られただけで、私たちも報われました。」
その声は震えていた。
決して大げさではない。
設計者にとって、自ら設計した宇宙船で人が無事に帰ってくること以上の喜びは存在しない。
天城はその手を強く握り返した。
「私たちは乗っただけです。」
少し笑って続ける。
「本当に命を預けたのは、この宇宙船でした。」
設計技師は首を横に振る。
「違います。」
「どれほど良い宇宙船でも、それを信じて宇宙へ飛び立つ勇気がなければ意味がありません。」
「だから私は、あなた方全員に感謝しています。」
その言葉に、周囲の技術者たちも静かに頷いた。
管制官たちも六人の周囲へ集まってきた。
若い通信士が四条へ近づく。
「ブラックアウトの間、本当に何もできませんでした。」
「画面から信号が消えた瞬間、心臓が止まるかと思いました。」
四条は苦笑した。
「あっちはもっと必死だった。」
「炎しか見えないし、Gはすごいしな。」
その言葉に周囲から笑いが起こる。
島津も肩をすくめた。
「帰ってきたら拍手されてるんだから、不思議な気分だ。」
和泉も頷く。
「宇宙では必死だったから、英雄なんて実感は全然ありません。」
その自然体の言葉に、管制官たちはますます彼らを尊敬した。
会場のあちこちでは研究者同士も語り合っていた。
「一号の飛行データだけでも論文が何百本も書けそうだ。」
「二号の宇宙遊泳映像は貴重すぎる。」
「生命維持装置の消費データも予想以上に安定していた。」
「これなら次は長時間飛行も視野に入る。」
工学、医学、通信、材料工学。
それぞれの専門家が興奮を隠しきれない様子で議論を交わしている。
誰も酒に酔って騒いでいるわけではない。
全員が次の目標を見据えながら、この成功を噛みしめていた。
少し離れた場所では、明賢が静かにその光景を見守っていた。
研究者。
整備員。
宇宙飛行士。
管制官。
誰もが笑顔で話し合っている。
それを見て、明賢はようやく肩の力を抜いた。
この日まで、自分は一度も安心したことがなかった。
打ち上げ前も。
宇宙飛行中も。
再突入のブラックアウトの間も。
常に最悪の事態を想定し続けていた。
しかし今だけは違う。
全員が無事に帰ってきた。
その事実だけで十分だった。
天城が明賢のもとへ歩み寄る。
「本当に楽しかった。」
その一言だった。
明賢は少し驚いた表情を見せる。
天城は笑いながら続けた。
「もちろん怖かったです。」
「でも、それ以上に宇宙は美しかった。」
「だから、必ず帰ってこようと思えたんです。」
明賢は静かに頷いた。
「その景色を見た者だけが言える言葉だ。」
その横では四条も近づいてきた。
少し照れ笑いを浮かべながら言う。
「次は、月ですね。」
会場の空気が少しだけ変わる。
誰も「夢物語だ」とは言わなかった。
この場にいる全員が、それは決して不可能ではないと知っている。
明賢は四条を見つめ、静かに微笑んだ。
「そのための準備は、もう始まっている。」
少し間を置いて続ける。
「君たちが宇宙への扉を開いた。」
「次にその扉をくぐる者たちは、月へ向かう。」
「そして、その先には宇宙基地があり、さらにその先の未来がある。」
六人の宇宙飛行士は静かに頷いた。
自分たちの飛行は終わった。
だが、日本の宇宙開発は、ようやく始まったばかりなのだ。
こうして、一号機、二号機の宇宙飛行士たちを称える式典と祝宴は、終始穏やかな雰囲気の中で幕を閉じた。
華々しい祝賀会ではなかった。
新聞もなければ、国民の歓声もない。
すべては国家最高機密として秘匿され、ここで交わされた言葉も、撮影された写真も、記録映像も、厳重な管理下に置かれることになる。
しかし、その静かな会場に集った者たちは誰一人として不満を口にしなかった。
自分たちは歴史を創った。
その誇りだけで十分だったのである。
外の世界は、まだ何も知らない。
世界は依然として「人類は宇宙へ行ったことがない」と信じている。
だが、その常識はすでに覆されていた。
日本はこの偉業を胸の奥深くに秘めながら、さらにその先。
有人月面着陸。
月面基地建設。
宇宙ステーション建設。
そして、人類が宇宙で恒久的に活動する時代へ向けて、静かに、しかし確実に歩みを進めていくのだった。




