341話 着水
プラズマ炎の中の帰還
周回軌道を離れた2号機は、帰還軌道を正確になぞりながら降下を続けていた。
宇宙から見た地球は、誰もが息を呑むほど美しかった。
しかし、その景色を楽しむ余裕はもうない。
これから始まるのは、宇宙へ行くことと同じかそれ以上に危険な最後の関門。
大気圏再突入だった。
四条は計器盤へ目を向ける。
「再突入姿勢、維持。」
和泉も各計器を確認する。
「耐熱シールド正常。」
「姿勢制御スラスタ正常。」
「再突入角、予定値を維持しています。」
島津は静かに頷いた。
「あと一つ乗り越えれば、全部終わる。」
やがて機体は、地球大気圏の外縁へ近づいていく。
窓の外には、青い大気の層が帯のように広がっていた。
黒い宇宙と青い地球。
その境界へ、宇宙船は静かに突入していく。
船首が大気へ触れた瞬間だった。
外部カメラの映像が乱れ始める。
ノイズ。
白い線。
そして映像は完全に消えた。
船体前方では、猛烈な速度で圧縮された空気が超高温となり、白く輝くプラズマが機体全体を包み込んでいく。
通信にも異変が現れた。
ザーッ
羽合管制センター。
通信士がヘッドホンを押さえながら報告する。
「2号機、通信状態低下。」
「プラズマ層形成を確認。」
管制官がマイクを握る。
「2号機。」
「これよりブラックアウトへ入る。」
「健闘を祈る。」
その直後。
通信は完全に途絶えた。
ザーーーーーー
通信士は画面を見つめたまま言う。
「2号機、反応消失。」
「予定通りのブラックアウトです。」
管制室は静まり返る。
巨大スクリーンには、予測軌道だけが表示され続けていた。
明賢は腕を組み、じっと画面を見つめる。
そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「無事に帰ってこい。」
少しだけ視線を落とす。
「世界初の宇宙遊泳者を、死なせるわけにはいかない。」
宇宙船は、時速約七千キロメートルで大気圏を滑り落ちていた。
船体外壁は赤熱し、窓の外は炎しか見えない。
赤。
橙。
白。
猛烈な熱が機体を包み込み、外はまるで地獄の業火だった。
船内へ轟音は届かない。
しかし、激しい振動が座席を通して伝わってくる。
機内では、強烈なGが三人を押し付けていた。
四条は歯を食いしばる。
「ぐっ!」
身体がほとんど動かない。
それでも視線だけは計器から離さない。
「耐えろ!!」
和泉も苦しそうに声を出す。
「耐熱シールド!」
「まだ持ってる!」
モニターに表示される外壁温度は、二千度を超えている。
それでも耐熱シールドは正常だった。
島津も必死に計器を読む。
「高度、低下中!」
「姿勢変化なし!」
「予定軌道を維持!」
時間の感覚が失われる。
数十秒が、何分にも感じられた。
やがて。
プラズマ層が少しずつ薄くなっていく。
外壁温度が低下し始める。
通信アンテナが、再び電波を送り始めた。
通信回復
羽合管制センター。
通信士が突然身を乗り出す。
ヘッドセットから、微かな音声が聞こえた。
「電波受信!」
「受信しています!」
大きく息を吸い込み、叫ぶ。
「電波回復!」
「2号機、応答あり!!」
管制室全体が一斉にモニターを見る。
ノイズ混じりの音声が、少しずつ鮮明になっていく。
四条の声だった。
「こちら……2号機。」
「無事にブラックアウトを突破した。」
少し息を整えながら続ける。
「船体軽微な損傷のみ。」
「生命維持装置正常。」
「飛行継続可能。」
「問題なし!」
その瞬間。
管制室中から大きな歓声が上がった。
拍手。
握手。
安堵のため息。
通信士は思わず涙を拭う。
明賢は静かに頷いた。
「よく帰ってきた。」
短く息を吐き、ゆっくりと言葉を続ける。
「これで本当の成功だ。」
再突入を終えた2号機は、予定通りハワイ近海へ向けて降下を続ける。
窓の外には、広大な太平洋が広がっていた。
四条が降下量を確認する。
「着水プログラム開始。」
島津が続ける。
「ドラッグシュート展開高度。」
「到達。」
四条はスイッチを押した。
ドンッ!!
機体が一度だけ大きく揺れる。
船尾からドラッグシュートが飛び出し、続いて三基の主パラシュートが大きく開いた。
白と赤のパラシュートが青空いっぱいに広がる。
降下速度は急激に落ち、宇宙船はゆっくりと海面へ近づいていく。
和泉が高度計を読む。
「高度百メートル。」
「五十。」
「二十。」
「十。」
海面が目前まで迫る。
そしてザバァァーーーン!!
巨大な水柱を上げながら、宇宙船は太平洋へ着水した。
水面を長く滑走し、やがてゆっくり停止する。
直後に浮力装置が自動展開。
船体は安定して海へ浮かんだ。
四条は計器を確認する。
「着水確認。」
「破損なし。」
「全員無事だ。」
三人は互いの顔を見合わせ、静かに笑みを浮かべた。
着水から数分後。
水平線の向こうに、日本海軍の艦隊が姿を現した。
先頭を進むのは、回収任務に就いていた重巡洋艦。
艦橋では艦長が双眼鏡を下ろす。
「目標確認。」
「宇宙船健在。」
「回収作業を開始する。」
無線が入る。
「2号機、こちら海軍救難隊。」
「ただいまより回収作業に入る!」
高速艇が次々と接近する。
救難ダイバーが海へ飛び込み、宇宙船へ固定ワイヤーを取り付けた。
島津が船内から確認する。
「固定作業開始。」
「水密ハッチ正常。」
「内部浸水なし!」
大型クレーンがゆっくりと宇宙船を吊り上げる。
海水を滴らせながら、2号機は重巡洋艦の広い飛行甲板へ運ばれた。
固定作業が終わると、ハッチがゆっくり開く。
最初に姿を現したのは四条。
続いて和泉。
最後に島津。
三人とも疲労は見えるものの、しっかりと自分の足で歩いていた。
甲板では、海軍乗組員たちが自然と拍手を送り始める。
艦長は三人の前まで歩み寄り、力強く敬礼した。
「世界初の宇宙遊泳ミッション、成功だ!」
「よくぞご無事で!」
四条も敬礼を返す。
そしてヘルメットを外し、ゆっくりと深呼吸した。
潮風が頬を撫でる。
海の匂い。
湿った空気。
遠くで鳴く海鳥の声。
それら全てが、地球へ帰ってきたことを実感させた。
四条は水平線を見つめながら、静かに微笑んだ。
「地球に、帰ってきたな。」




