335話 再突入成功
通信ブラックアウト
司令室では、突然すべての音が消えたような感覚に包まれていた。
数秒前まで、AMATERASU-Ⅰからはっきり届いていた三人の声。
その全てが、今は聞こえない。
スピーカーから流れているのは、ただ一つ。
ザーッ。
途切れることのない、白い雑音だけだった。
巨大スクリーンには、AMATERASU-Ⅰを示す光点が表示されている。
だが、それ以外の情報はほとんどない。
外壁温度。
心拍。
船内音声。
映像。
全てが途絶していた。
通信士が、緊張した声で報告する。
「AMATERASU-Ⅰ、応答なし。」
「ブラックアウトに突入。」
その言葉だけが、静まり返った司令室へ落ちた。
誰かが息を飲む音が聞こえた。
誰かが拳を握る。
誰かが無意識に祈るように両手を組む。
しかし、誰も言葉を発しない。
この時間だけは、地上から何もできない。
手を伸ばすことも。
助けることも。
指示を出すことも。
できない。
ただ待つだけだった。
巨大スクリーンの前で、明賢は静かに腕を組んでいた。
表情は変わらない。
しかし、その目は一度も軌道表示から離れない。
三人は今、数千度の炎の中にいる。
人類がまだ、誰一人経験したことのない領域。
そこへ、自分たちは送り出した。
長い沈黙の後。
明賢が、小さく口を開いた。
「信じるしかない。」
誰へ向けた言葉なのか、分からなかった。
三人へ向けてか。
技術者へ向けてか。
それとも、自分自身へ向けてか。
彼は静かに続けた。
「我が国の科学を。」
その言葉を聞き、誰もが再びスクリーンへ視線を戻した。
信じるしかない。
それが、今の全員にできる唯一のことだった。
その頃。
AMATERASU-Ⅰは、炎に包まれながら降下を続けていた。
船体前方は、完全な白。
窓の外は、光しかない。
色が激しく変化し続けている。
船体全体が、まるで巨大な炉の中へ投げ込まれたようだった。
振動も激しい。
ガガガガ。
ゴゴゴゴ。
断続的な衝撃が、座席へ伝わる。
身体は重い。
胸へ、何倍もの重さがかかる。
呼吸するだけでも力がいる。
しかし、AMATERASU-Ⅰは姿勢を崩さない。
船体下部では、姿勢制御スラスターが、プログラム通り正確に作動していた。
シュッ。
シュッ。
小さな噴射。
わずかな修正。
しかし、そのわずかな修正が、生死を分けている。
突入角。
機首の向き。
回転。
横滑り。
全てが、許容範囲内へ保たれていた。
宇宙船は、大気を切り裂きながら、着実に降下を続けていく。
時間の感覚が、曖昧になっていた。
数秒なのか。
数分なのか。
やがて。
玲花が、ふと表示パネルを見た。
そして、目を見開く。
数字は、確かに変化していた。
玲花が声を上げる。
「機体温度低下!」
その声に、隼人と徳川が計器へ目を向ける。
表示が変わる。
「1200度!」
さらに。
「900度!」
玲花の声に、わずかな喜びが混じった。
「下がってる!」
徳川も、すぐに気圧計を見る。
「気圧増加!」
数値が上がっている。
それは、大気のある場所へ戻ってきた証拠だった。
徳川が続ける。
「ここからは滑空モードに移行する!」
船体の振動が、少しずつ変わる。
先ほどまでの激しい震えではない。
まだ揺れる。
だが、明らかに違う。
窓の外の光も、変化していた。
白。
赤。
そして。
薄い青が、少しずつ見え始める。
さらに。
青空。
白い雲。
地球の色。
玲花が、思わず息を漏らした。
「空だ。」
徳川も、窓へ目を向ける。
「帰ってきた。」
隼人は、前方を見たまま言った。
「通信回復まで10秒。」
全員が、数字を見つめる。
3。
2。
1。
ピピピッ!
電子音。
その瞬間。
三人が同時に顔を上げた。
通信復活。
スピーカーから、聞き慣れた声が飛び込んでくる。
「こちら地上!AMATERASU-Ⅰ!状況を報告願います!」
司令室の声だった。
それを聞いた瞬間。
三人の表情が、初めて大きく緩んだ。
隼人が、すぐに通信ボタンを押す。
「こちらAMATERASU-Ⅰ!」
「再突入成功!」
司令室。
全員が息を止める。
隼人が続ける。
「予定通りのアプローチ角で下降中!」
その瞬間だった。
司令室が、爆発した。
「やった!」
「成功だ!」
「通信回復!」
「再突入成功!」
歓声。
拍手。
泣き声。
誰かが椅子から立ち上がる。
誰かが抱き合う。
誰かが涙を拭う。
静寂に包まれていた司令室は、一瞬で歓喜の渦になった。
その中で。
明賢だけが、静かに息を吐いた。
そして、小さく頷いた。
「よく帰ってきた。」
高度は、どんどん下がっていく。
窓の外では、太平洋の青がはっきりと見え始めていた。
さっきまで宇宙にいたことが、嘘のようだった。
白い雲。
青い海。
水平線。
その全てが、ゆっくりと近づいてくる。
玲花が計器を読む。
「降下姿勢安定。」
数値を確認。
再確認。
「減速用パラシュート展開高度まで、あと少し!」
徳川も、機体各部を確認し続ける。
「水上滑走装置正常。」
別の表示へ目を移す。
「衝撃吸収装置、問題なし!」
隼人が、高度計を見つめる。
数字が減っていく。
一秒。
また一秒。
やがて。
目標高度へ到達した。
隼人が、静かに言う。
「よし。」
「パラシュート展開高度到達。」
彼はレバーへ手を伸ばした。
そして。
「パラシュート展開!」
レバーを引く。
次の瞬間。
ドンッ!
大きな衝撃。
身体が、前へ引っ張られる。
船体が大きく揺れる。
しかし、すぐに安定した。
背後では、巨大なドラッグシュートが開いていた。
白い布が大きく膨らみ、太平洋の空に広がっていく。
速度が、急速に落ち始めた。
AMATERASU-Ⅰは、人を乗せたまま。
安定した速度で、青い海へ向かって降下を続けた。




