334話 再突入開始
再突入角度の計算
船内の空気が変わっていた。
先ほどまで窓の外の地球に見入っていた三人は、それぞれの席へ戻り、計器へ視線を落としている。
ここから先は、宇宙へ行くことと同じくらい重要な段階だった。
帰還。
そして、人類初の有人再突入。
玲花は航法パネルの数字を一つひとつ確認していく。
軌道高度。
現在速度。
地球の自転。
大気密度の予測値。
誤差の積み重ね。
計算結果が次々と表示され、彼女は静かに呼吸を整えた。
宇宙へ来ることができても、帰れなければ意味がない。
角度が浅すぎれば大気に弾かれ、再び宇宙へ押し戻される。
角度が深すぎれば船体は猛烈な加熱に耐え切れず、炎の中へ消える。
その境界は、驚くほど小さい。
玲花は最後の数値を確認した。
そして通信回線を開く。
「角度計算完了。」
一呼吸置く。
「大気圏突入角は6.1度に設定。」
その声は落ち着いていた。
しかし、自分が今どれほど重要な数字を口にしているのか、誰よりも理解していた。
玲花は続ける。
「わずかでもずれれば、焼失か跳ね返りです。」
船内に短い沈黙が落ちる。
隼人がゆっくりと頷いた。
「了解。」
その声は変わらない。
いつもの、冷静な声だった。
そして通信回線を開く。
「管制室、最終確認を頼む。」
司令室でも、誰もが巨大スクリーンを見つめていた。
表示されているのは、AMATERASU-Ⅰの軌道。
その先には、青い大気圏が描かれている。
宇宙軍。
空軍。
帝国大学教授。
誰もが息を詰めていた。
やがて司令官がマイクを取る。
「AMATERASU-Ⅰ。」
「軌道降下は許可する。」
さらに続ける。
「日本初の有人再突入だ。成功を祈る。」
回線が切り替わる。
明賢の声が静かに流れた。
「全員、帰ってこい。」
短い言葉だった。
しかし、その一言には、日本中の願いが込められているようだった。
「日本が待っている。」
船内は静かだった。
三人とも返事をしない。
ただ、それぞれ小さく頷いた。
降下開始
隼人がゆっくりと手を伸ばす。
目の前には、軌道降下スイッチ。
訓練では何度も押した。
模型でも押した。
シミュレーターでも押した。
だが、本物を押すのは今が初めてだった。
隼人は小さく息を吸う。
そして言った。
「軌道降下、開始する。」
指がボタンを押し込む。
カチッ。
次の瞬間。
船体に、わずかな振動が伝わった。
ゴッ。
微かな、本当に微かな振動。
しかし、三人はそれをはっきり感じた。
宇宙船が、地球へ帰るための軌道へ入ったのだ。
玲花が計器を見つめる。
「減速確認。」
徳川。
「姿勢安定。」
隼人。
「降下開始。」
船体は静かに、ゆっくりと高度を失い始める。
窓の外では、日本列島が弧を描きながら遠ざかっていく。
青い海。
白い雲。
細長く伸びる島々。
それらが少しずつ離れていく。
宇宙船は、滑るように、再突入ポイントへ向けて進んでいった。
大気圏突入
AMATERASU-Ⅰは、降下角6.1度で予定通りの軌道へ入った。
窓の外には、青い大気の層が見える。
黒い宇宙と、青い地球。
その境界が、少しずつ近づいてくる。
隼人が計器へ目を向ける。
「突入まで10秒。」
彼は静かに続けた。
「全員、衝撃に備えろ。」
三人が座席へ身体を押しつける。
ハーネスを再確認する。
玲花。
「外壁温度センサー作動。異常なし。」
徳川。
「耐熱シールド加熱開始まだ許容範囲。」
船体に、微かな震えが生まれる。
ココココ。
さらに。
コココココ。
振動が少しずつ強くなる。
窓の外では、暗黒の宇宙が変化し始めていた。
黒。
藍色。
そして、赤。
薄い赤い光が、ゆっくりと広がっていく。
船体前方では、猛烈な速度で押し潰された空気が圧縮され、白いプラズマが生まれ始めていた。
玲花が思わず息を呑む。
「光ってる。」
赤い。
いや、橙色。
さらに白。
色が次々と変化する。
隼人が声を上げる。
「大気圏突入!」
船内には、轟音はほとんど聞こえない。
しかし、振動は激しかった。
身体が座席へ押しつけられる。
Gが増していく。
玲花が表示を読む。
「機体表面温度、急上昇!」
数字が次々と変わる。
「1500度、1800度、2000度!」
窓の外は、完全な炎の世界だった。
眩しい光。
地球は消えた。
海も。
雲も。
大陸も。
何も見えない。
あるのは、炎だけ。
徳川が計器へ視線を向ける。
「通信、徐々にノイズ入り始めた。」
ザー。
雑音が流れる。
「あと1分で完全ブラックアウトに入る!」
隼人は前を見たまま言った。
「自動制御に任せる。」
そして続ける。
「全員、姿勢を確保!」
プラズマはさらに濃くなる。
白い光が窓を覆う。
ノイズが大きくなる。
ザーッ。
そして。
通信は、完全に途絶した。




