332話 初有人飛行
カウントダウン
午前8時20分。
発射場にサイレンが鳴り響く。
ウゥゥゥゥ。
その音が、羽合宇宙センター全体を包み込んだ。
発射塔。
管制室。
整備施設。
通信棟。
すべてが、人類初の有人宇宙飛行という一つの瞬間へ向かっていた。
やがて、管制官の声が発射場全体へ流れる。
「これよりAMATERASU-Ⅰの打ち上げを開始する。カウントダウン、スタート!」
巨大スクリーンに数字が映し出された。
T-120(あと2分)
ロケット周囲に大量の水が噴き出す。
ドオオオオオオッ!!
地下の貯水設備から送り出された水が、発射台を囲む巨大な水幕となって広がった。
白い飛沫が朝日に輝く。
爆音と衝撃波を抑えるための、防護壁だった。
司令室では、飛行士三人の生体情報が大型モニターへ表示されている。
心拍。
呼吸。
血圧。
三人とも、驚くほど落ち着いていた。
誰一人として、取り乱していない。
それを見た技術者たちは、
静かに息を吐いた。
T-60(あと1分)
エンジンのターボポンプが回転を開始する。
ウゥゥゥン
低いうなりが機体を通じて伝わり始めた。
AMATERASU-Ⅰが、微かに震える。
機内。
玲花が計器を確認する。
「航法システム、初期軌道に誤差なし。」
徳川が続く。
「機体気圧正常。冷却温度安定。」
最後に隼人。
「AMATERASU-Ⅰ、発射準備完了。」
その声は、訓練の時と何一つ変わらなかった。
T-30
ガシャン。
最後の固定アームが、ゆっくりと離れていく。
巨大なロケットは、完全な自立状態となった。
もう後戻りはできない。
発射塔の上で、AMATERASU-Ⅰが静かに立っている。
その姿は、まるで空へ向かう一本の白い槍だった。
明賢はスクリーンを見つめたまま、小さく息を呑んだ。
静寂だけが広がっていた。
T-10
司令室の全員が立ち上がる。
研究者も。
軍人も。
整備士も。
通信士も。
全員がスクリーンを見つめている。
明賢が小さく呟いた。
「行け。人類の未来を切り開け。」
9……
8……
7……
6……
ロケット下部で、赤い点火光が走る。
ゴウッ。
機体全体の振動が強くなる。
操縦席へ、低い震動が伝わり始めた。
隼人は正面を見据えたまま、微動だにしない。
玲花は計器を見つめる。
徳川は数値の変化を監視する。
5……
4……
3……
2……
1……
ゴオオオオオオオオオオオッ!!
轟音が最大になる。
機体下部から、白金色の炎が噴き出した。
発射塔全体が振動する。
大地が震える。
窓ガラスが細かく揺れ、司令室の床まで低い振動が伝わってきた。
水幕が一気に蒸発し、白い蒸気雲となって発射台を包み込む。
0!!
発射!!!
AMATERASU-Ⅰのメインエンジンが、凄まじい白い炎を吐き出した。
轟音。
振動。
白煙。
すべてを巻き込みながら、巨大なロケットはゆっくりと。
しかし、確実に。
地上から離れた。
人類を乗せた最初の宇宙船が、ついに空へ向かって飛び立った。
ロケット上昇
AMATERASU-Ⅰは轟音を響かせながら、発射台を離れ一直線に上昇していった。
外側では衝撃波と炎が尾を引き、ロケットの白い胴体は雲を突き抜けていく。
高度10km
窓の外を覆っていた雲海が、あっという間に下へ遠ざかっていく。
大気は薄くなり、激しかった振動は徐々に弱まっていった。
飛行士たちの身体には、約3Gの加速度がかかっている。
背中が座席へ押し付けられ、腕を動かすだけでも重い。
それでも、三人の声は落ち着いていた。
隼人が報告する。
「姿勢制御、安定。予定通りの上昇カーブに乗った」
玲花は表示パネルから目を離さない。
「大気密度減少。プラズマ干渉なし。このまま大気圏外へ出ます」
徳川も次々と数値を確認する。
「酸素濃度正常。耐熱シールド温度安定。機体、問題なし!」
司令室から返答が届く。
「AMATERASU-Ⅰ、順調だ。続行せよ」
高度50km
窓の外の空は、すでに深い藍色へ変わっていた。
下には、丸く弧を描き始めた地平線。
隼人は正面を見据えたまま、小さく息を吐く。
訓練では何度も見た光景。
だが、本物は全く違った。
玲花も、一瞬だけ窓へ目を向ける。
「地面が、曲がって見える」
その一言だけで、三人とも今どこにいるのか理解できた。
高度80km
加速度が徐々に低下する。
機体を包んでいた振動は、ほとんど感じられなくなった。
計器だけが、静かな電子音を立てている。
ゴォォォという轟音も、今は遠く感じられた。
宇宙は、驚くほど静かだった。
高度100km
ロケットブースターは既に切り離されていた。
青空は急激に暗くなり、窓の外は藍色から漆黒へと変化する。
外壁に当たる空気の抵抗は、 ほぼゼロ。
振動は完全に止まった。
そして、AMATERASU-Ⅰは、宇宙に到達した。
三人は、目の前に広がる光景を見ていた。
漆黒の空。
そこに、無数の星々。
地上では瞬いて見える星が、ここでは鋭い光の点として静かに輝いていた。
そして窓の下には青い地球。
白い雲がゆっくりと渦を巻き、果てしない海が淡く光を反射している。
隼人が息を呑む。
「宇宙だ。視界が黒い。星が、そのまま見える。」
玲花の声が震えた。
「本当に地球の外へ出た!」
徳川は窓を見つめたまま、しばらく言葉を失っていた。
やがて我に返り、マイクへ向かって叫ぶ。
「司令室!宇宙空間への進出を確認!」
その声は、羽合宇宙センターへ送られた。
司令室。
次の瞬間大喝采が巻き起こった。
拍手。
歓声。
誰かが泣いていた。
誰かが隣の肩を抱いていた。
日本は今、人類で初めて、人を宇宙へ送り届けたのだった。
明賢はスクリーンに映る地球を見つめ、静かに目を閉じる。
そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「よくやった。」




