247話 徹底的な偵察
スペイン王国では、日本との戦争が現実味を帯びるにつれ、軍備拡張がかつてない規模へと達していた。
王都マドリードでは連日のように軍議が開かれ、各地の総督や将軍たちへ新たな命令が発せられる。
「日本に先を越されるな!」
「準備を急げ!」
「海も陸も常時即応体制を維持せよ!」
王宮から発せられたその命令は、瞬く間に王国全土へ広がっていった。
まず強化されたのは陸軍だった。
特に警戒されたのは、日本と交戦する可能性が高い地域である。
北米南部。
メキシコ北部の国境地帯。
そしてパナマ以南の植民地防衛線。
各地の総督府には次々と増援命令が届く。
兵士たちを乗せた輸送船が港へ集まり、植民地へ向けて出航していった。
砦では工事が昼夜を問わず続く。
石壁はさらに厚く積み上げられ、見張り塔は増築され、火砲陣地が新たに築かれていく。
兵舎も拡張され、多数の兵士を収容できるよう改修された。
各地で進められたのは、
・砦の新設
・火砲陣地の増設
・騎兵部隊の増強
・予備兵の招集
・補給線の再整備
であった。
将軍たちは部隊へ厳命する。
「日本軍の動きを確認した場合は、即座に迎撃せよ。」
「いかなる小規模部隊であっても報告を怠るな。」
国境地帯には常に緊張が漂うようになる。
監視兵たちは双眼鏡を握りしめ、騎兵たちは巡回を繰り返した。
まだ戦争は始まっていない。
しかし現場の兵士たちは、すでに戦時そのものだった。
海軍の動きはさらに大規模だった。
スペイン海軍司令部は全艦隊へ警戒態勢を発令する。
大西洋。
カリブ海。
インド洋。
広大な海域へ艦隊が分散配置された。
巨大なガレオン船団が港を出入りし、偵察船は絶え間なく航海を続ける。
王国各地の港湾施設も戦時運用へ切り替えられた。
アゾレス諸島。
マデイラ諸島。
カナリア諸島。
これらの島々は大西洋防衛の要として再整備される。
倉庫は拡張され、食料と火薬が積み上げられ、修理設備も増設された。
さらにスペインは私掠船を大量に招集した。
平時には商船や海賊まがいの活動をしていた者たちも、今や王国の補助戦力として組み込まれていく。
彼らには命令が与えられた。
「日本船を発見した場合は即時通報。」
「状況によっては拿捕も許可する。」
大西洋全体が巨大な監視網へ変わり始めていた。
海軍提督たちは自信を失ってはいなかった。
会議の席である提督は豪快に笑った。
「大西洋は我らスペインの海だ。」
周囲の将校たちも頷く。
「日本は遠すぎる。」
「補給が続くはずがない。」
「もし来るなら沈めればよい。」
彼らの多くは、日本を危険視しながらも、どこかで海軍力を信じていた。
数十年にわたり海を支配してきたという自負があったのである。
だが。
彼らは知らなかった。
自分たちが既に監視されていることを。
大西洋。
水平線の彼方。
互いの姿など決して見えない距離。
そこに日本海軍の偵察艦が存在していた。
艦内では静かな機械音だけが響いている。
回転するアンテナ。
緑色の画面。
観測員たちは黙々と情報を記録していた。
やがて一人が声を上げる。
「大型艦隊反応を確認。」
隣の観測員が即座に記録する。
「反応数多数。」
「隊形から判断してスペイン艦隊と思われます。」
画面上には複数の光点が並んでいた。
距離。
方位。
速度。
進路。
すべてが表示される。
肉眼では何も見えない。
帆も見えない。
しかし日本側は艦隊の位置を正確に把握していた。
観測員が続ける。
「スペイン第1艦隊、南西方向へ進行中。」
数分後。
再び報告。
「速度低下を確認。」
「隊形変化あり。」
艦長が尋ねる。
「理由は。」
観測員が少し考えて答えた。
「昼食または補給行動の可能性があります。」
敵は自分たちが見られていることすら知らない。
日本の偵察艦は遠距離から情報だけを集め続けていた。
発見される危険もほとんどない。
そして収集された情報は暗号通信によって本国へ送られていく。
数日後。
日本本土。
海軍司令部。
集積された情報が巨大な地図へ反映されていた。
スペイン艦隊の行動。
補給基地。
警戒海域。
哨戒経路。
それらが詳細に書き込まれている。
副官は最新報告を明賢へ届けた。
「スペイン艦隊、常時展開を開始しています。」
報告書を開く。
「各基地とも戦時運用へ移行。」
「艦隊訓練頻度も増加。」
「本格的な開戦準備に入ったものと思われます。」
部屋は静まり返る。
全員が明賢の反応を待った。
彼は地図を見つめる。
大西洋。
北米。
南米。
ヨーロッパ。
世界全体を眺めるように。
そして静かに頷いた。
「おそらく1638年の春頃か。」
その予測に側近たちは顔を見合わせる。
開戦時期をほぼ断定している。
明賢はさらに続けた。
「ならば。」
静かな声だった。
だが揺るぎない確信があった。
「こちらも間に合わせようではないか。」
その言葉と共に、日本の戦争準備はさらに加速していく。
スペインは迫り来る脅威に備えていた。
日本もまた、来るべき衝突へ向けて静かに力を蓄えていた。
世界の両端で進められる軍備拡張。
そして誰も知らぬまま、歴史を変える大戦への時計は着実に時を刻み続けていた。




