243話 スペインの覚悟
スペイン王国の宮廷は、かつてない緊張に包まれていた。
重厚な石造りの会議室。
壁にはハプスブルク家の紋章。
巨大な世界地図の上には、赤い印でスペイン領が示されている。
南米。
フィリピン。
カリブ海。
広大な植民地。
太陽の沈まぬ帝国と呼ばれた覇権国家の象徴だった。
だが今、その地図へ新たな色が広がり始めている。
日本。
極東の島国だったはずの国家。
それが北米全土を掌握し、太平洋と大西洋へ同時進出を始めていた。
会議室では激しい議論が続いていた。
完全な二分状態。
開戦強硬派と、開戦慎重派である。
開戦強硬派の貴族が机を叩く。
「日本がさらに勢力を伸ばせば、いずれスペインへ牙をむく!」
別の将軍も続けた。
「北米を失ったイングランドを見よ!あの国は、戦争ではなく外交だけで大陸を奪ったのだ!」
「今ならまだ間に合う!」
軍服姿の将校が立ち上がる。
「我らには無敵艦隊の伝統がある!」
彼の拳が震えていた。
「海を支配するのはスペインだ!日本など東方の新興国に過ぎん!」
「撃滅するなら今しかない!」
「来年、日本を叩き潰すべきである!」
強硬派の席では同意の声が次々と上がる。
彼らの恐怖は明確だった。
日本は急激に成長しすぎている。
もし今止めなければ、数十年後には誰も止められなくなる。
それが彼らの危機感だった。
だが反対側では、慎重派が冷静に反論する。
老齢の外交官が静かに言った。
「日本は開戦意思がないと明言している。」
「無駄な戦争を仕掛けてはならん。」
別の大臣も深く頷く。
「我々は日本の本当の軍事力を知らぬ。」
「相手の実力を測らず挑めば、それこそ大国スペインの名折れだ。」
慎重派は、日本の異常性を理解し始めていた。
彼らが恐れていたのは、日本の見えなさである。
新大陸の急速開発。
巨大港湾。
異常な建設速度。
さらに、イングランド内戦へ投入された兵站能力。
どれも17世紀国家の常識を超えていた。
慎重派の学者官僚は震える声で報告書を読む。
「日本は一年足らずで、北米東海岸へ大型港湾を十数箇所建設するでしょう。」
「さらに大量移民を継続中。」
「通常国家の国力ではありません。」
会議室に沈黙が落ちる。
誰も否定できなかった。
日本は理解不能だったのである。
しかし。
皮肉にも、その異常性こそが慎重派を追い詰めていく。
強硬派は逆に恐怖を燃料に変えていった。
「見ろ!だから危険なのだ!」
「今止めなければ、数十年後には誰も止められん!」
「新大陸北部を完全掌握した国家など、もはや怪物国家だ!」
慎重派の声は、日に日に弱くなっていく。
誰もが不安を抱いていた。
もし日本が新大陸を南へ進出したら。
もし大西洋を完全支配したら。
もしスペイン植民地へ手を伸ばしたら。
その時、帝国は耐えられるのか。
会議室には恐怖が充満していた。
そして最終判断は、スペイン王家とハプスブルク家へ委ねられた。
重苦しい空気の中、国王側近が静かに口を開く。
「今のスペインは、かつてほど強くはありません。」
その言葉に、誰も反論しない。
アルマダ海戦での無敵艦隊の敗北以降、スペインは徐々に力を失っていた。
財政悪化。
植民地維持費。
海軍再建の停滞。
それでもなお、世界最大級の帝国ではある。
だが、以前ほど絶対的ではない。
側近は続けた。
「しかし、これ以上日本が力をつければ。」
「我らは太陽の沈まぬ帝国を保てなくなるでしょう。」
室内の空気が凍りつく。
その言葉は、全員が薄々理解していた現実だった。
今の日本は、まだスペインを攻撃していない。
だが、未来は違うかもしれない。
新大陸。
大西洋。
巨大艦隊。
もしそれら全てが成熟した時。
果たしてスペインは勝てるのか。
長い沈黙。
ハプスブルク家の人間たちは互いに視線を交わす。
やがて。
重く。
冷たく。
最終決定が下された。
「来年、スペイン王国は日本と戦う。」
その瞬間、会議室の空気が張り詰めた。
慎重派は息を呑む。
強硬派の貴族たちは顔を輝かせる。
将軍たちは無言で拳を握る。
さらに命令が続く。
「ポルトガルにも連携を命ずる。」
スペイン・ポルトガル連合。
世界の海を支配した二大海洋国家。
その両国が、日本との対決へ動き始める。
軍人たちは静かに武具へ手を置いた。
参謀たちは地図を広げる。
海軍提督たちは航路図を確認する。
植民地総督たちには緊急命令が飛ばされる。
その夜。
マドリードの空気は重かった。
誰もが理解していたのである。
これは単なる戦争ではない。
世界覇権を賭けた戦いになる、と。
そしてついに。
日本との戦争が、正式に決定されたのであった。




