242話 スペインの不安
イギリス内戦の終結。
その報は、冬の海を越え、瞬く間に欧州全土へ広がっていった。
ロンドンでは議会派勝利の祝宴が盛大に開かれ、石畳の街路には旗が掲げられ、夜になっても鐘の音と歓声が絶えなかった。
王党派との長い争いを終えた議会派は、国内外へ向けて「新たな時代の始まり」を強く印象付けようとしていた。
そしてその祝賀の場には、欧州各国から外交文書を携えた使節団が、次々と到着していた。
フランス王国。
オランダ共和国。
神聖ローマ帝国諸邦。
ポルトガル王国。
etc。
馬車の列がロンドン市街へ続き、各国の旗を掲げた随員たちが石畳を行き交う。
その中で、最後に到着したのがスペイン王国の使節団だった。
重厚な黒衣に身を包んだスペイン代表は、華やかな祝宴の空気の中にあっても、終始険しい表情を崩さなかった。
各国の外交官たちは、表面上こそ祝辞を交わしていたが、その実、誰もが同じことを探っていた。
なぜ議会派は、これほど短期間で内戦を終わらせることができたのか。
分析によって長期化すると見られていた戦争。
疲弊し始めていた兵站。
資金不足。
食糧難。
本来なら、議会派が押し倒されてもおかしくはなかった。
だが結果は、議会派の完全勝利。
その裏に何があったのか。
各国代表は酒杯を交わしながらも、視線だけは絶えず周囲を観察し、互いの反応を読み合っていた。
祝宴の最中。
議会派の側近の一人が、人目を避けるようにスペイン代表へ近づいた。
楽団の演奏が響く中、彼は耳打ちする。
「先程から気になっているようなのでお答えします。実のところ、日本の支援が決定打となったのです。」
スペイン代表の眉がわずかに動く。
側近はさらに続けた。
「莫大な金と鉄、それに大量の食料。あれがなければ、我々は戦線を維持できませんでした。」
その言葉を聞いた瞬間、スペイン代表の顔から血の気が引いた。
「日本?」
思わず漏れた声は、かすかに震えていた。
「あの極東の、不可思議な国が。イギリスの内戦を左右するほどの力を?」
彼の脳裏には、以前報告された数々の情報が浮かんでいた。
帆のない鉄の艦。
異常な砲撃精度。
世界各地へ伸びる航路。
そして、理を信仰するとされる国家思想。
それだけでも理解を超えていた。
だが今、その日本が、欧州の戦争そのものへ直接影響を与えたという。
しかも、単なる武器供与ではない。
国家規模の支援。
それはもはや、一国の外交ではなく、世界秩序への介入だった。
祝宴は続いていた。
貴族たちは笑い、楽団は演奏を止めず、議会派の将校たちは勝利を語り合う。
だがスペイン代表だけは、別世界に取り残されたような感覚に陥っていた。
彼は祝いの言葉を述べるだけで精一杯だった。
乾いた声。
引きつった笑み。
周囲には悟られぬよう努めながらも、内心では強烈な危機感が渦巻いていた。
日本は、我々が考えていた以上の存在だ。
式典終了後、彼はほとんど休むことなく帰国準備を命じた。
随伴員たちも、代表の異様な焦燥を感じ取っていた。
夜明け前、スペイン使節団の馬車は、霧の立ち込めるロンドンを静かに離れていった。
数日後。
マドリード王宮。
帰国した使節団は、到着直後に緊急会議へ呼び出された。
王宮内の空気は重かった。
長机には、王国の重臣たちが並ぶ。
老臣。
将校。
海軍関係者。
植民地行政官。
そして教会関係者。
全員が、使節の報告を待っていた。
使節は疲労の色を隠せぬまま、震える手で報告書を開いた。
室内には、紙の擦れる音だけが響く。
やがて彼は、低い声で読み上げ始めた。
「日本国の支援によって、イギリス内戦は議会派が完全勝利したとのこと」
空気が変わる。
誰も言葉を発しない。
「支援の量は、我々の軍年間予算数年分に匹敵」
その瞬間、部屋の空気が一気に張り詰めた。
老臣たちは互いに顔を見合わせる。
若い将校は、信じられないという表情で固まっていた。
枢機卿の一人は、静かに十字を切る。
暖炉の火が揺れる音だけが、やけに大きく聞こえた。
沈黙を破ったのは、怒りを露わにした若い貴族だった。
「なぜ日本などという東洋の得体の知れぬ国が、欧州の戦局を左右できるほどの力を持つのだ!」
拳が机を叩く。
インク壺が揺れ、書類が散らばった。
別の者も声を荒げる。
「すでに北米を丸ごと掌握し、アフリカ南部にも進出し、太平洋の島々にも勢力を伸ばしているという!」
「しかも今度は、イギリスへ巨額支援だと?」
「これは単なる交易国家ではない!」
「スペインを包囲しつつあるのではないか!?」
次々と飛び交う声。
誰もが、漠然としていた不安を、ついに言葉として口にし始めていた。
海軍提督の一人が、ゆっくりと地図へ目を落とした。
大西洋。
北米。
南洋航路。
そこに重なるように、日本の活動報告が書き込まれている。
補給拠点。
測量拠点。
交易港。
その位置関係は、偶然とは思えなかった。
「もしこれが計画的なものなら。」
低い呟きに、室内が静まり返る。
「日本は、海そのものを押さえに来ている。」
誰も否定できなかった。
老臣の一人が、重く息を吐いた。
「我々は、あの国を見誤っていたのかもしれぬ。」
以前までの認識では、日本は奇妙な技術を持つ東洋国家に過ぎなかった。
閉鎖的。
理解不能。
だが遠い存在。
しかし今は違う。
その力は、すでに欧州政治へ届いている。
しかも、軍事だけではない。
金。
物流。
食糧。
国家運営そのものを支える力。
それが日本には存在していた。
若い将校が青ざめた顔で呟く。
「もし、日本が本気で欧州へ介入したなら。」
その先の言葉を、誰も続けなかった。
だが全員が理解していた。
それは、スペイン帝国の時代の終焉を意味する可能性がある。
部屋はいつの間にか、恐怖と猜疑心に支配されていた。
暖炉の火だけが揺れ続ける中、重臣たちは誰一人として軽々しく口を開けなくなっていた。




