237話 議会派支援艦隊結成
議会派の緊急会議が終わった直後。
ロンドンの空はまだ暗く、街路には冷たい霧が漂っていた。
その中で、議会派の書記官たちは休む間もなく机へ向かっていた。
羊皮紙が広げられ、インク壺が並び、震える手で文章が書き記されていく。
これは単なる外交文書ではない。
議会派の命運そのものだった。
書簡は慎重かつ迅速に筆写された。
一字一句を誤れば終わる。
だからこそ、何度も確認が行われる。
内容は極めて単刀直入だった。
もはや駆け引きをしている余裕など存在しない。
「北米における我ら全ての植民地を、日本国へ売却する用意がある。」
その文面を書き写した若い書記官は、一瞬だけ筆を止めた。
全て。
それが何を意味するのか、理解していたからだ。
広大な北米植民地。
毛皮交易。
港湾。
森林。
鉱物資源。
未来の莫大な富。
それを丸ごと手放す。
平時なら狂気としか言えない決断だった。
しかし今の議会派には、そんなことを言っている余裕は無い。
文章は続く。
「引き換えに、王党派を凌ぐ即時かつ大規模な支援を求む。」
そこには必死さが滲んでいた。
もはや対等な交渉ではない。
救援要請。
いや、半ば降伏に近い懇願だった。
書簡が完成すると、赤い封蝋が押される。
議会派の紋章。
だがその印すら、どこか追い詰められているように見えた。
夜明け前。
ロンドン港。
冷たい風が吹き付ける中、一隻の快速帆船が急ぎ準備を進めていた。
使者は外套を翻しながら桟橋を駆ける。
足音が石畳へ激しく響いた。
「急げ!」
彼は息を切らしながら叫ぶ。
「王党派に潰される前に!」
周囲の兵士たちも緊張していた。
彼らは理解している。
この船が戻らなければ、議会派は終わるかもしれない。
やがて帆が上がる。
風を孕んだ船体が、静かに海へ滑り出した。
霧の中へ消えていく帆船。
その姿はまるで、国家そのものが希望へ縋りついているようだった。
日本。
遥か東方の未知なる国家。
今や議会派にとって、唯一逆転を可能にする存在になっていた。
そしてこの瞬間、明賢が仕掛けた誘い水は、完璧に成功していたのである。
数週間後。
鹿児島。
静かな朝だった。
外交局の建物では、いつものように各国からの報告整理が行われていた。
その中へ、一人の使者が慌ただしく駆け込んでくる。
衣服には長旅の疲労が滲み、靴には乾いた塩がこびりついていた。
「イングランドより急使到着!」
その声に、周囲の役人たちが一斉に顔を上げる。
外交局長は即座に書簡を受け取り、封蝋を確認した。
議会派。
しかも最上級の印。
空気が変わる。
数時間後。
その書簡は明賢の執務室へ運ばれていた。
障子越しに朝日が差し込む静かな部屋。
明賢は机へ向かったまま、淡々と書簡を受け取る。
外交局の使者は深く頭を下げた。
「明賢様、イングランド議会派より急使でございます。」
「置いてゆけ。」
短い返答。
部屋は静まり返っていた。
明賢はゆっくりと封を切る。
羊皮紙を開き、視線を滑らせる。
そして。
読み終えた瞬間。
その口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
冷静で、静かで、どこか意地悪な笑み。
「来たか。」
側近たちが息を呑む。
明賢は視線を落としたまま続けた。
「やはりな。」
その言葉には驚きが無かった。
最初から分かっていた。
全て計画通りだった。
側近の一人が慎重に尋ねる。
「議会派は、何と?」
明賢は書簡を机へ置いた。
「北米全植民地の譲渡だ。」
室内の空気が止まる。
誰もすぐには言葉を発せなかった。
北米全土。
それが、今まさに日本へ転がり込もうとしている。
側近たちは理解していた。
これは外交成果などではない。
世界史の転換点だ。
明賢は椅子へ深く腰掛けることもなく、すぐに立ち上がった。
迷いが一切ない。
「すぐに艦隊を出す。」
その声は静かだった。
だが、部屋の全員が背筋を伸ばす。
「待機中の補給艦を動かせ。」
次の瞬間。
背後に控えていた側近たちが一斉に走り出した。
廊下へ足音が響く。
海軍省。
外交局。
管理局。
各部署へ命令が飛んでいく。
港では即座に警鐘が鳴らされ、待機艦隊へ出航準備命令が伝達された。
鹿児島港。
巨大な補給艦群が、再び動き始める。
前回とは規模が違った。
積み込まれていく物資量も、動員される艦艇数も、全てが桁違い。
将校たちは目を見開く。
「本気だ。」
「これはもう、国家一つを支える規模だぞ。」
しかし明賢は、その様子を静かに見つめるだけだった。
彼の視線は、既にさらに先を見ている。
イングランド内戦の勝敗ではない。
北米。
太平洋。
そして、未来の世界秩序。
その巨大な地図を、彼は静かに描き始めていた。




