第22話:【回想】廃棄品が見る夢、冷たい手だけが優しくて(後半)
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視界が、揺らいだ。
焼却炉の赤い炎が、白い霧に包まれて遠ざかっていく。
チリチリと肌を焦がしていた熱波が、嘘のように引いていった。
代わりに訪れたのは、静寂と、冷気だった。
キナは、ゆっくりと瞼を開いた。
ぼやけた視界。
そこに映っていたのは、心配そうにこちらを覗き込む、少年の顔だった。
無愛想で、目つきが悪くて、いつも不機嫌そうな顔。
でも、その瞳だけは、真剣にキナを見つめている。
「……ニル、ス……?」
キナは、掠れた声で名前を呼んだ。
喉が渇いて、声がうまく出ない。
「……ああ」
ニルスが、短く答えた。
彼の額が、キナの額に押し当てられている。
冷たかった。
まるで、氷の塊を当てられているような、鋭い冷たさ。
でも、それは痛くなかった。
高熱で茹だり、ドロドロに溶けそうになっていた脳味噌が、その冷気によって急速に冷やされ、輪郭を取り戻していく感覚。
気持ちいい。
ずっと、この冷たさに触れていたい。
「……夢、見てた……」
キナは、うわ言のように呟いた。
「……パパに、捨てられる夢……」
「そうか」
ニルスは、額を離さなかった。
彼の冷たい肌を通して、キナの体の中に溜まっていた「悪い熱」が、吸い出されていくのが分かる。
「……怖かった」
キナの目から、涙が一筋、こぼれ落ちた。
それは熱い涙だったが、ニルスの頬を伝う瞬間に冷やされた。
「私は……壊れてるから……」
「違えよ」
ニルスが、強い口調で否定した。
その声が、骨に響く。
「お前は壊れてない。……俺が保証する」
彼は、少しだけ額を離し、キナの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「もし壊れているとしたら……それはお前じゃなくて、見る目のない世界の方だ」
ニルスの瞳に、自分の顔が映っている。
煤と涙で汚れた、情けない顔。
でも、ニルスは目を逸らさなかった。
汚いものを見るような目ではなく、大切な「相棒」を見る目で、そこにいてくれた。
「……冷たいね、ニルス」
キナは、力なく微笑んだ。
「あんたの手……すごく、冷たい」
「ああ。……俺は、熱を貪る穴だからな」
ニルスは自嘲気味に笑った。
その笑顔は、どこか寂しそうで、でも優しかった。
「全部、吸ってやるよ。……熱も、毒も、その悪夢ごとな」
彼の言葉が、冷たい水のように心に染み渡る。
ああ、そうか。
私は、捨てられてないんだ。
ここにいて、いいんだ。
安堵が、波のように押し寄せた。
張り詰めていた糸が切れ、意識が再び闇の中へと沈んでいく。
でも、今度の闇は怖くなかった。
焼却炉の赤ではなく、ニルスのコートのような、静かで優しい黒色だった。
キナの呼吸が、深く、穏やかになった。
彼女の頭が、カクリとニルスの肩にもたれかかる。
「……おやすみ、キナ」
ニルスは、眠りに落ちた彼女の体を抱き直した。
その背中は、さっきよりも少しだけ軽くなった気がした。
***
俺は、再び歩き出した。
キナの熱は、まだ完全には引いていない。
俺の吸熱体質による「物理的な冷却」で、一時的に症状を抑え込んでいるだけだ。
根本的な解決にはなっていない。
毒はまだ、彼女の体を蝕んでいる。
(急げ……)
俺は、森の奥へと足を速めた。
泥に足を取られ、木の根に躓きそうになりながらも、決して止まらなかった。
周囲の景色は、より一層深く、暗くなっていた。
人工太陽の光も届かない、森の最深部。
巨大な配管が複雑に絡み合い、迷宮のような様相を呈している。
水滴が、絶えず俺の体から滴り落ちる。
ポタ、ポタ、ポタ……。
俺が歩いた跡には、点々と水の道ができている。
寒い。
キナの熱を吸いすぎたせいか、俺自身の体の芯まで凍りつきそうだ。
指先の感覚がない。
吐く息が白い。
関節が錆びついたように軋む。
それでも、背中の温もりだけが、俺を突き動かしていた。
この小さな心臓の音が止まってしまったら、俺は二度と立ち直れない気がした。
10分。
20分。
あるいは、1時間歩いただろうか。
感覚が麻痺してきた頃、不意に、鼻腔をくすぐる匂いがあった。
(……匂う)
俺は足を止めた。
腐敗臭でも、植物の青臭さでもない。
もっと懐かしくて、この森には不釣り合いな匂い。
煙だ。
何かを燃やした、焦げた匂い。
工場の煤煙ではない。
木を燃やす、焚き火の匂いだ。
「……火?」
俺は顔を上げた。
視界の端、鬱蒼としたシダ植物の葉の隙間に、微かな「光」が見えた気がした。
俺は目を凝らした。
光る植物か?
いや、違う。
この森の植物が放つ光は、青や赤の、毒々しい蛍光色だ。
だが、あの光は違った。
暖色。
温かみのある、燃えるような色。
そして、揺らぎがある。
風に吹かれて揺れる、炎のゆらめきだ。
「……人工の、光だ」
心臓が跳ねた。
この地獄のような森の中で、火を熾している者がいる。
誰だ?
レグルスの配下か?
いや、奴らは魔道具を使う。わざわざ焚き火などしない。
となれば。
人間だ。
この環境に適応し、火を使いこなしている、何者か。
俺の胸に、希望と警戒が同時に湧き上がった。
人ならば、助けを求められるかもしれない。
薬を持っているかもしれない。
だが、ここはバベルの第2層。
まともな人間がいる場所ではない。
(賭けるしか、ない)
俺は、キナを背負い直した。
彼女の命が懸かっている。
どんな小さな可能性にも、すがるしかなかった。
俺は、光の方角へと進路を変えた。
音を立てないように、慎重に。
泥を踏みしめ、茂みをかき分ける。
光が、徐々に大きくなっていく。
パチッ、パチッという、薪が爆ぜる音さえ聞こえてくる。
そして。
俺は、最後の茂みを抜け、開けた場所に出た。
そこは、巨大な配管の亀裂を利用して作られた、隠れ里のような空間だった。
古びた貨物コンテナがいくつも積み上げられ、粗末な住居のようになっている。
中央の広場には、廃材を組んだ焚き火台があり、そこから温かいオレンジ色の光が漏れていた。
俺が見たのは、この光だったのだ。
文明の痕跡。
人の営みの匂い。
「……人が、いる」
俺は、安堵の息を漏らした。
助かったかもしれない。
薬があるかもしれない。
休めるかもしれない。
緊張の糸が、一瞬だけ緩んだ。
俺は、光に吸い寄せられる蛾のように、無防備に一歩、足を踏み出した。
その時だった。
ヒュンッ!!
鋭い風切り音がした。
何かが、俺の足元の地面に突き刺さる。
「……ッ!?」
俺は硬直した。
足元を見る。
泥に突き刺さっていたのは、一本の「矢」だった。
矢羽には、魔獣の羽根が使われている。
粗末だが、殺傷能力は十分にある作りだ。
「動くな」
低い声が、頭上から降ってきた。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
積み上げられたコンテナの上。
配管の影。
茂みの奥。
そこには、無数の影があった。
いつの間に現れたのか。
音もなく、気配もなく。
森の闇と同化していた彼らが、一斉に姿を現したのだ。
十人……いや、二十人ほどか。
ボロボロの服を纏い、顔に泥やペイントを塗った人間たち。
その目は、野生動物のように鋭く、深い警戒色を帯びていた。
そして、彼らの手には、武器が握られていた。
手製の弓。
鉄パイプを削った槍。
錆びついたナイフ。
ギリリ……。
弓を引き絞る音が、静寂を破る。
乾いた、殺意の音。
十数本の矢じりが、正確に俺の眉間と、心臓と、そして背中のキナに向けられていた。
棄民。
社会から外れ、この過酷な森で野生化した人間たち。
歓迎されていない。
それは明らかだった。
彼らの目に宿っているのは、同族への慈悲ではない。
縄張りを侵した外敵に対する、排除の意志だ。
「……囲まれたか」
俺は、冷や汗が背中を伝うのを感じた。
退路はない。
戦えば、背中のキナが死ぬ。
動けば、射抜かれる。
人工の光。
それは希望の灯火ではなく、獲物を誘き寄せるための罠だったのか。
俺は、矢を構える男たちの無機質な瞳を見つめ返した。
絶体絶命。
その言葉が、重くのしかかる。
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