第23話:棄民の掟、毒をもって毒を制す
いつも応援ありがとうございます。
最新話を更新しました。 最後までゆっくりとお楽しみください!
ギリリ……。
乾燥した獣の腱が、限界まで引き絞られる音がした。
それは、死へのカウントダウンのように、森の静寂を切り裂いて響いた。
俺の周囲360度。
闇に溶け込んでいた人影たちが、一斉に弓を構えている。
粗末な手製の弓だが、矢じりには鋭利な鉄片や、魔獣の牙が使われている。
至近距離だ。
放たれれば、反応するよりも速く、俺の眉間と心臓を貫くだろう。
そして、何より。
俺の背中には、キナがいる。
「……ッ」
俺は、奥歯を強く噛み締めた。
口の中に、鉄の味が広がった。
思考を加速させる。
酸素過多の脳が、焼き切れそうなほどの熱量でシミュレーションを繰り返す。
(戦えるか?)
右手の男を斬る。
その隙に左へ跳び、配管の陰に隠れる。
いや、ダメだ。
その瞬間に、背中のキナが射抜かれる。
(突破できるか?)
魔剣を盾にして突っ込む。
いや、矢の数が多すぎる。
足元もぬかるんでいる。
100%の確率で、どちらかが死ぬ。
詰んでいる。
暴力で解決できるフェーズは、既に過ぎている。
「動くなと言ったはずだ」
頭上のコンテナから、低い声が降ってきた。
リーダー格らしき、白髪の男。
魔獣の毛皮を纏い、その瞳は猛禽類のように冷たく、俺たちを見下ろしている。
「答えろ、余所者。……貴様らは、狩る側か? 狩られる側か?」
試されている。
この森における「強者」か「弱者」か、あるいは「敵」か「害獣」か。
俺の背中で、キナの体が熱く痙攣した。
ドクン、ドクンという弱々しい鼓動が、俺の背骨を通して伝わってくる。
時間がない。
毒は、一刻一刻と彼女の命を削っている。
俺は、ゆっくりと息を吐き出した。
白い呼気が、闇の中に溶けていく。
選択肢は、一つしかなかった。
「……俺たちは」
俺は、魔剣を握る右手に力を込めた。
指が白くなるほど強く握りしめ、そして。
パッ。
指を開いた。
ドサッ。
重い音がして、魔剣ヴァニタスが泥の中に落ちた。
俺の半身とも言える武器が、汚れた地面に沈んでいく。
周囲の空気が、ピクリと揺れた。
武装した男たちが、困惑したように顔を見合わせる気配がする。
俺は、さらに両手を高く上げた。
敵意がないことを示す、最大限のポーズ。
「……ただの、迷子だ」
俺は、枯れた声で言った。
喉が渇いて、声が擦れる。
「連れが、毒にやられた。……虫だ」
「ニードル・モスキートか」
長老が、短く言った。
その声色には、同情も嘲笑もなく、ただ事実を確認するだけの冷徹さがあった。
「放っておけば死ぬ。……助けてくれ」
俺は、膝を折った。
ズブ、リ。
両膝が、冷たい泥の中に沈み込む。
腐った植物の汁が、ズボンを通して肌に染みてくる。
冷たい。
そして、屈辱的だ。
第0層で生きてきた俺にとって、誰かに頭を下げることは「死」と同義だった。
ナメられたら終わり。
弱みを見せたら奪われる。
それが、あのゴミ溜めのルールだったからだ。
だが。
(安いもんだ)
俺は、心の中で呟いた。
プライド?
自尊心?
そんなもので、背中のこいつが助かるなら、いくらでもドブに捨ててやる。
俺は、両手を泥についた。
ぬるりとした感触が、指の隙間に入り込む。
「頼む」
俺は、頭を下げた。
深く。
額が、地面に触れるまで。
冷たい泥が、俺の額を汚す。
砂利が皮膚に食い込む痛み。
視界が、真っ暗な地面だけになる。
「薬を、分けてくれ。……対価なら、なんだって払う」
俺の声は、震えていたかもしれない。
恐怖ではない。
必死さゆえの震えだ。
「俺の命以外なら……腕でも、足でも、なんだってくれてやる」
静寂。
森のざわめきさえも消えたような、重苦しい沈黙が場を支配した。
「……ほう」
長い沈黙を破ったのは、長老の声だった。
その声には、微かな驚きと、興味の色が混じっていた。
「魔力を持たぬ者が、武器を捨て、額を地につけるか。……上層の豚にしては、骨がある」
足音が近づいてくる。
泥を踏みしめる、重く、慎重な足音。
俺の目の前で、それが止まった。
「顔を上げろ、若造」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
額から、泥水が滴り落ちる。
その泥越しに、俺は長老の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
猛禽類のような、黄色く濁った瞳。
だが、そこにある殺気は、今は「品定め」の色に変わっていた。
長老は、あごで集落の中心を示した。
「来い。……話だけは聞いてやる」
***
通されたのは、集落の中央にある広場だった。
焚き火がパチパチと爆ぜ、オレンジ色の光が周囲を照らしている。
「そこに寝かせろ」
長老が、焚き火のそばに敷かれた獣の毛皮を指差した。
俺は、慎重にキナを背中から下ろした。
彼女の体は、火鉢のように熱かった。
顔色は土気色で、呼吸は浅く、速い。
左腕の傷口からは、どす黒い紫色の筋が、肩口に向かって這い上がっていた。
「……酷いな」
長老が、キナの腕を掴んだ。
無骨な指先が、傷口の周りを強く押す。
「う、ぅ……」
意識がないはずのキナが、苦痛に顔を歪めた。
「壊死毒だ。……放っておけば、あと半日で心臓まで達する」
半日。
俺の背筋が凍った。
タイムリミットは、もう目の前まで迫っている。
「助かるのか?」
俺は、すがるように聞いた。
長老は答えず、懐から小さな素焼きの壺を取り出した。
蓋を開けると、強烈な刺激臭が漂った。
腐ったミントと、硫黄を混ぜたような匂い。
彼は、壺の中の緑色の軟膏を指ですくい、キナの傷口にたっぷりと塗りつけた。
ジュッ……!!
肉が焼けるような音がした。
白い煙が立ち昇る。
「あぐっ……!?」
キナが、ビクリと体を跳ねさせた。
苦悶の声。
だが、次の瞬間。
「……はぁ、はぁ……」
キナの呼吸が、少しだけ落ち着いた。
赤く火照っていた頬から、異常な赤みが引いていく。
暴走していた体温が、強制的に抑え込まれたようだった。
「熱は下げた」
長老は、汚れた指を布で拭った。
「毒の進行を遅らせる『吸い出し草』の膏薬だ。……だが、これは時間稼ぎに過ぎん」
彼は、冷徹に告げた。
「根本的な毒は消えていない。完全に治すには、解毒剤がいる」
「解毒剤……」
俺は、キナの寝顔を見た。
苦しげな表情は消えたが、まだ紫色の痣は残っている。
これが心臓に届けば、終わりだ。
「あるのか、その薬は」
「ある」
長老は頷いた。
そして、焚き火のそばに腰を下ろし、ゆっくりとパイプに火をつけた。
「アラクネの胆嚢と、月光草の根を調合した特効薬だ。……我ら棄民が代々受け継いできた秘薬だ」
「売ってくれ」
俺は即座に言った。
「金ならある。……いや、金はこの森じゃ役に立たないか。なら、労働力だ。用心棒でも、荷物運びでも、何だってやる」
「労働力か」
長老は、紫色の煙を吐き出しながら、俺をじっと見つめた。
「悪くない提案だ。……お前は魔力がないが、体は頑丈そうだ。獣の臭いがする」
彼は、俺の本質を見抜いていた。
飼い慣らされた人間ではなく、生きるために牙を研いできた同類であると。
「だが、雑用係なら足りている」
長老の言葉に、俺の心臓が冷えた。
「じゃあ、何を……」
「取引だ、若造」
長老は、懐から一枚の紙を取り出した。
それは、古びた羊皮紙に描かれた、一枚の「手配書」のような絵だった。
俺の前に、放り投げる。
「これを持ってこい」
俺は、その絵を見た。
そして、息を呑んだ。
そこに描かれていたのは、動物ではなかった。
悪夢のような、異形の怪物。
巨大な熊のような体躯。
だが、その背中からは無数の蛇が生え、全身が岩のような甲殻で覆われている。
爪は長く、鎌のように鋭い。
そして、その目は四つあり、それぞれが違う方向を向いて狂気を放っている。
「……なんだ、こいつは」
「『森の主』だ」
長老が、重々しく言った。
「レグルスが放った実験体だ。……合成獣・ベア。こいつが水源を独占し、我々の狩り場を荒らしている」
彼は、焚き火の炎を見つめながら続けた。
「我々も何度も挑んだ。……だが、そのたびに仲間が食われた。硬い甲殻は矢を通さず、魔法も弾く。……手のつけられない化け物だ」
長老は、俺に向き直った。
その目に、鋭い光が宿る。
「薬が欲しければ……この化け物を殺し、その『心臓』を抉り出して持ってこい」
俺は、言葉を失った。
棄民たちが、集団で挑んでも勝てない相手。
それを、俺一人で殺してこいと言うのか。
しかも、魔法も使えない、ただの人間である俺に。
それは、「死んでこい」と言うのと同義だった。
「……無理だと言うなら、帰れ」
長老は、冷たく言い放った。
「我らの掟は等価交換だ。……その娘の命を救いたければ、我らを脅かす死神の命を持ってこい」
俺は、キナを見た。
彼女は、静かに眠っている。
この平穏は、あと半日しか続かない。
半日以内に、あの化け物を探し出し、殺し、心臓を持ち帰る。
不可能だ。
常識的に考えれば、絶対に不可能だ。
だが。
(やるしかない)
俺は、拳を握りしめた。
俺が断れば、キナは死ぬ。
それだけは、絶対に避ける。
俺は、手配書を掴み取った。
紙の感触が、ざらりと指に残る。
「……分かった」
俺は、長老を睨みつけた。
「持ってくればいいんだな。……その、ドス黒い心臓を」
「ほう」
長老が、口元を歪めた。
それは、嘲笑のようでもあり、期待のようでもあった。
「言うだけならタダだ。……だが、覚えおけ」
彼は、指を一本立てた。
「期限は、夜明けまでだ。……それまでに戻らなければ、娘の命はない」
夜明け。
空を見上げる。
偽物の空は、既に暗くなり始めていた。
残された時間は、わずか数時間。
これは試練ではない。
処刑宣告だ。
俺は、魔剣の柄を強く握りしめた。
冷たい感触が、俺に「殺せ」と囁いているようだった。
「……行ってくる」
俺は、眠るキナに背を向けた。
もう、迷いはない。
毒をもって毒を制す。
それが、この森の流儀ならば。
俺は、誰よりも猛毒になって、その「主」とやらを喰らい尽くしてやる。
俺は、闇の濃くなる森の奥へと、一歩を踏み出した。
背後で、長老が静かに嗤った気配がした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、 下の【☆☆☆☆☆】評価や、ブックマークをいただけると執筆の励みになります!




