第12話:休息 鉄と油の少女、噛み合わない歯車
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巨大な排気ファンの回転翼をくぐり抜け、俺たちは暗いダクトの中を滑り落ちた。
シュゥゥゥゥン……。
背中で、死の刃が空気を切り裂く音が遠ざかっていく。
暗闇の中を、ジェットコースターのように落下し、曲がりくねったパイプの中を滑走する。
「舌、噛まないでよ!」
キナの声が響く。
彼女の義手から伸びたワイヤーが、天井の梁に引っかかり、俺たちの落下速度を殺す。
ガシャンッ。
着地。
金網の上だった。
足元から、軽い金属音が響く。
「……ついた」
キナがゴーグルを外し、額の汗を拭った。
俺は、膝に手をついて荒い息を整えた。
「はぁ……はぁ……、ここは……?」
顔を上げる。
そこは、俺の想像を遥かに超えた空間だった。
「ようこそ。私の城、『ジャンク・ヤード』へ」
キナが誇らしげに両手を広げた。
巨大な廃棄工場の、さらに奥深く。
本来なら誰も立ち入らないはずの制御区画跡地。
そこに、秘密基地はあった。
広さは体育館ほどもあるだろうか。
高い天井からは、大小様々な歯車がモビールのように吊り下げられ、ゆっくりと回転している。
壁一面には、黄ばんだ設計図や数式がびっしりと貼られ、床には解体された機械のパーツが山のように積まれている。
ゴウン、ゴウン、シューッ……。
工場全体が生き物のように低い唸り声を上げている。
どこかのパイプから蒸気が漏れ出し、白い霧となって部屋全体を薄く覆っていた。
匂い。
焦げた機械油の匂い。
錆びた鉄の匂い。
そして、微かに漂うコーヒーのような、甘く苦い香り。
第0層の腐敗臭とも、上層の無機質な清浄さとも違う。
「生活」と「労働」の匂いだ。
(落ち着く……)
不思議だった。
初めて来た場所なのに、なぜか懐かしさを感じる。
俺がずっと身を置いてきた「ゴミ捨て場」の延長線上にありながら、ここではゴミたちが「宝物」として扱われている気がした。
「すごいな……」
思わず言葉が漏れた。
俺は、壁際に積まれた機械の山に歩み寄った。
見たことのないエンジン。
複雑な配管の塊。
どれもが、キナの手によって磨かれ、油を差され、再起動の時を待っている。
「でしょ? ここにあるのは全部、上から捨てられた『ゴミ』よ」
キナが、作業台の上にポンと義手を置いた。
「でも、磨けば光る。繋げば動く。……人間と同じよ」
彼女はニカっと笑い、部屋の隅にあるポットからマグカップに黒い液体を注いだ。
「ほら、まずは温まりなさいよ。特製コーヒーだ」
差し出されたカップを受け取る。
温かい。
凍りついた指先に、陶器の熱がじんわりと染み込んでくる。
俺は、一口飲んだ。
「……!」
泥水かと思った。
強烈な苦味と、舌に残るザラザラした粉っぽさ。
そして、奥底にある酸味。
「不味いか?」
「……いや」
俺は首を振った。
確かに不味い。
でも、その温かさが食道を通って胃袋に落ちると、張り詰めていた緊張の糸が、ふわりと緩むのが分かった。
「美味いよ。……生き返る」
「あはは! 味音痴ね、あんたも」
キナが笑い、自分も一口啜る。
彼女の笑顔は、この薄暗い工場の中で、ランプの火よりも明るく見えた。
「さてと」
キナがカップを置き、表情を引き締めた。
彼女の視線が、俺の右腕に注がれる。
「手当、しましょっか」
俺は、自分の右腕を見た。
ボロボロのコートの袖口から、青白く変色した皮膚が覗いている。
感覚がない。
魔剣ヴァニタスを使いすぎた代償。
重度の凍傷だ。
「……いいのか? 俺は、金も輝石も持ってないぞ」
「いらないわよ、そんなもん」
キナは、医療キットのような金属の箱を作業台に広げた。
中には、魔法薬の瓶ではなく、無骨なメスやピンセット、そして見たことのない軟膏のチューブが並んでいる。
「命の恩人に金請求するほど、落ちぶれてないっての。……ほら、座って」
促されるまま、俺はパイプ椅子に座った。
キナが、手慣れた手つきで俺の袖をまくり上げる。
「うわ……」
キナの顔が曇った。
露わになった俺の腕は、酷い有様だった。
指先から肘にかけて、皮膚が紫に変色し、所々が黒く壊死しかけている。
血管が白く浮き上がり、氷の根のように皮膚の下を這っている。
「よくこれで剣なんて振れたわね……」
キナが、そっと患部に触れる。
彼女の生身の手の温かさと、義手の冷たさが同時に伝わってくる。
「痛くないの?」
「……感覚がない」
「でしょうね。神経まで凍ってるわ」
キナは、ため息をつきながら軟膏の蓋を開けた。
強烈なハーブの匂いが鼻をつく。
「これ、カプサイシン入りの特製軟膏。血行を促進して、無理やり解凍するわよ。……激痛が走るけど、我慢なさい」
「ああ」
キナが、指にたっぷりと軟膏を取り、俺の腕に塗り込む。
マッサージするように、強く、深く。
1秒。
2秒。
3秒。
「――ッ!!」
俺は、声を殺して歯を食いしばった。
来た。
最初はピリピリとした痒み。
それが急速に熱を持ち、焼けるような痛みに変わる。
血管の中で、凍っていた血液が無理やり押し流され、神経をヤスリで削るように駆け巡る。
「ぐ、ぅぅぅ……ッ!」
「我慢、我慢。生きてる証拠よ」
キナの手は止まらない。
容赦なく、しかし丁寧に、死にかけていた俺の細胞を叩き起こしていく。
脂汗が額を伝う。
目の前がチカチカする。
でも、俺は腕を引かなかった。
この痛みが、俺の腕を取り戻してくれると分かっていたから。
やがて。
痛みの波が引き、代わりにドクン、ドクンという力強い脈動が戻ってきた。
青白かった皮膚に、微かに赤みが差している。
「……ふぅ。こんなもんね」
キナが手を止め、包帯を巻き始めた。
白い布が、痛々しい傷跡を隠していく。
「ありがとな……」
俺は、掠れた声で言った。
指を動かしてみる。
動く。
まだぎこちないが、自分の意志で指先を曲げることができる。
「礼には及ばないわ。……でも、一つ聞かせて」
キナが、包帯を留めながら、俺の顔を覗き込んだ。
その瞳は真剣だった。
「あんた……なんで『魔法』で治さないの?」
ドキリ、とした。
核心を突かれた。
「これだけの怪我、普通のポーションか治癒魔法なら一発よ。なのに、あんたはそれを拒絶してるみたいに見える」
キナの目は、俺の嘘を見抜いているようだった。
技術者の目だ。
構造上の欠陥や、隠された真実を見逃さない目。
俺は、視線を逸らした。
言いたくなかった。
魔力がないこと。
それは、この世界では「魂がない」ことと同義だからだ。
知られれば、軽蔑される。
あるいは、気味悪がられる。
ギルでさえ、俺を拒絶したのだ。
この少女も、真実を知れば離れていくかもしれない。
(……でも)
俺は、キナの手を見た。
無骨な鉄の義手と、油で汚れた生身の手。
彼女は、俺の腐りかけた腕を、嫌な顔ひとつせず触ってくれた。
この手なら。
信じても、いいんじゃないか?
「……俺には」
俺は、重い口を開いた。
「魔力がないんだ」
「え?」
「文字通りだ。ゼロだ。生まれつき、魔力を受け入れる器官がない」
俺は、自嘲気味に笑った。
「だから、魔法も使えないし、治癒魔法も効かない。……ただの『空っぽ』の器なんだよ」
言った。
言ってしまった。
沈黙が落ちる。
工場の駆動音だけが、気まずい空気を埋めるように響いている。
俺は、キナの反応を見るのが怖くて、俯いていた。
なんて言うだろう。
『可哀想に』か?
『気味が悪い』か?
それとも、無言で部屋から出て行けと言うだろうか。
「……ぷっ」
空気が漏れるような音がした。
顔を上げる。
キナが、口元を押さえて肩を震わせていた。
「あはははは! なんだ、それだけ?」
キナが、腹を抱えて笑い出した。
嘲笑ではない。
本当に、心の底から面白そうに。
「それだけって……」
俺は唖然とした。
俺にとっては、人生を決定づけた最大の呪いだ。
それを、「それだけ」と一蹴された。
「だってさ、そんなの私と一緒じゃない」
キナが、涙を拭いながら言った。
彼女は、自分の胸をトントンと叩いた。
「私だってそうよ。生まれつき『魔力回路不全』。体の中に魔力はあるけど、線が切れてて出力できないの」
キナは、寂しそうに、でも誇らしげに微笑んだ。
「魔法なんて、豆電球ひとつ点けられないわ。……だから親に捨てられたし、学校でも馬鹿にされた」
彼女の過去。
明るい笑顔の裏にある、俺と同じ暗い影。
「でもね」
キナが、右手の義手を目の前に掲げた。
ウィーン、と指が動く。
精巧な動き。
人間の指よりも滑らかで、力強い。
「魔法が使えないなら、作ればいいと思ったの。鉄と、油と、火薬で。……神様がくれないなら、自分の手で奪い取ってやるってね」
キナの瞳が、工場の薄明かりの中で強く輝いていた。
「だから私は、この鉄の腕を作った。魔法がなくても、世界は回せるって証明するために」
彼女の言葉が、俺の胸に突き刺さった。
俺はずっと、自分が「持たざる者」だと思って生きてきた。
奪われたものを数えて、世界を恨んでいただけだった。
でも、彼女は違った。
持たざることを嘆くのではなく、持たざるが故に、新しい何かを作り出したのだ。
「あんたのその体……『完全魔力不干渉』って言うんだけどね」
キナが、俺の手を握った。
義手の冷たさが、今は心地よい。
「魔法使いにとっては毒かもしれないけど……私にとっては、最高の素材よ」
「素材?」
「そう。魔法の影響を受けないなんて、どんな結界よりも強力な防御性能じゃない! あんたは故障品なんかじゃないわ」
キナは、俺の目をまっすぐに見つめて言った。
「あんたは、規格外の『特注品』なのよ」
特注品。
その言葉が、凍りついていた俺の心を、ポッと温めた。
俺は、欠陥品じゃない。
誰かが特別に作った、この世界でたった一つの「特注品」。
「……そうか」
俺は、小さく呟いた。
喉の奥が熱くなる。
涙が出そうになるのを、ぐっと堪える。
「なら……特注品同士、仲良くやれるかもな」
「でしょ?」
キナが、ニカっと笑った。
俺も、つられて少しだけ口角を上げた。
初めてだ。
誰かに、自分の存在を丸ごと肯定されたのは。
レオがいなくなって、ギルに拒絶されて、俺の世界は終わったと思っていた。
でも、ここにあった。
鉄と油の匂いがする、この場所が、俺の新しい居場所なのかもしれない。
「さて、と!」
キナが立ち上がり、手をパンと叩いた。
しんみりした空気は終わりだ、と言うように。
「治療は終わり。……次は『強化』の時間よ」
「強化?」
「あんたのその剣」
キナが、作業台に置かれた魔剣ヴァニタスを指差した。
「すごい剣だけど、燃費が悪すぎるわ。このままだと、あんたが干からびて死んじゃう」
確かにそうだ。
今はワームの肉で補給しているが、いつか限界が来る。
「だから、私が調整してあげる」
キナが、義手の指先からドライバーやレンチをカチャカチャと出し始めた。
その目は、完全に「解体屋」の目になっていた。
獲物を前にした獣のような、楽しげで、少し危ない目。
「魔力を吸う機構に、リミッターを付けるの。あと、排熱を利用して攻撃力を上げるブースターも付けられるかも……」
ブツブツと呟きながら、キナが剣に近づく。
「……壊すなよ?」
俺は苦笑いしながら言った。
「誰に言ってるの? 天才メカニックのキナ様よ!」
キナが振り返り、ウインクする。
「さあ、見せてみなさい。あんたの相棒の中身を、丸裸にしてあげるわ!」
工場の唸り声に混じって、金属を叩く音が響き始める。
カン、カン、カン。
それは、俺たちの反撃の準備が始まった音だった。
夜明け前の第0層。
冷たい風が吹く外の世界とは対照的に、ここには確かに「熱」があった。
二つの欠けた歯車が、ガチリと噛み合い、回り始めた音。
俺の物語は、ここから加速する。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
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