第10話:襲来 掃除屋たち、命をゴミとして扱う者(後半)
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「名乗る必要はないな。どうせ死ぬ」
騎士がそう呟いた瞬間だった。
視界から、銀色が消えた。
「――え?」
思考が、現実に追いつかない。
俺の動体視力は、アビス・ワームとの戦闘を経て、確かに向上していたはずだ。
飛んでくる岩や、鞭のようにしなる尻尾すら、スローモーションに見えるほどに。
けれど。
目の前の騎士は、そんな俺の知覚速度を、嘲笑うかのように置き去りにした。
予備動作がない。
地面を蹴る音もない。
ただ、そこに「いた」はずの物体が、次の瞬間には「いない」という、映像のコマ飛びのような現象。
直後。
俺の生存本能だけが、鼓膜を破るほどの警鐘を鳴らした。
(――来るッ!!)
俺は、思考するよりも早く、脊髄反射だけで剣を盾にした。
右斜め前。
何も見えない空間に、白い剣身を割り込ませる。
カァァァァァァァンッ!!!!
世界が割れるような、甲高い金属音が響いた。
「が、はっ……!?」
衝撃。
それは「斬撃」なんて生易しいものではなかった。
ダンプカーが最高速度で突っ込んできたような、圧倒的な質量攻撃。
俺の足が、地面から浮いた。
防ぐことすら許されない。
俺の身体は、ボールのように後方へと弾き飛ばされた。
「ぐ、ぅぅぅぅッ!!」
視界が回転する。
燃える街並みと、黒い空が交互に入れ替わる。
俺は数メートル吹き飛び、崩れかけたレンガの壁に背中から激突した。
ドォン!!
壁が粉砕される。
俺は瓦礫の山に埋もれ、肺の中の空気をすべて吐き出した。
「カハッ……ゲホッ、オェッ……」
口の中に、鉄の味が広がった。
内臓が揺れている。
肋骨が、一本か二本、確実にイカれた。
(なんだ、今のは……?)
俺は、震える手で瓦礫を押しのけ、上半身を起こした。
痛い。
全身が悲鳴を上げている。
さっきまでの掃除屋たちとは、次元が違う。
土煙の向こう。
騎士は、槍を突き出した姿勢のまま、悠然と佇んでいた。
「ほう」
騎士が、兜の奥で目を細める気配がした。
「反応したか。……野生の勘というやつだな」
彼は槍を引き、無造作に構え直した。
その動作一つ一つが、芸術品のように洗練されている。
無駄がない。
隙がない。
「だが、軽い」
騎士が言った。
感情のない、事実だけを述べる事務的な声。
「貴様の剣には、重さがない。……覚悟も、誇りも、技術もない。ただの棒切れを振り回しているだけだ」
「重さ、だと……?」
俺は、剣を杖にして立ち上がった。
ふざけるな。
この剣が軽いだと?
何人分の命を吸って、どれだけの熱を食らって、ここにあると思ってるんだ。
「知ったような口を……きくなよ!」
俺は吠えた。
足元の瓦礫を蹴り飛ばし、騎士に向かって突進する。
(速さなら、負けない!)
俺の靴には、キナが作った「爆薬カートリッジ」が入っている。
爆発的な加速。
人間には不可能な速度で、距離を一瞬でゼロにする。
「砕けろぉぉぉッ!!」
俺は、遠心力を乗せた一撃を、騎士の脳天目掛けて叩き落とした。
ワームの頭蓋骨さえ砕いた、必殺の一撃。
しかし。
パシッ。
乾いた音がした。
「な……?」
俺の目が見開かれる。
止まった。
俺の剣が、騎士の「左手」一本で受け止められていた。
それも、手のひらではなく、篭手の甲で、軽くあしらうように。
「遅い」
騎士が呟く。
「直線的すぎる。……そんな動きでは、私の影すら踏めないぞ」
「くそっ、離せ!」
俺は剣を引こうとした。
動かない。
騎士の腕は、まるで巨大な万力のように固定されている。
その時。
騎士の鎧の継ぎ目から、青白い光が溢れ出した。
ブォォォン……。
低い駆動音。
それは、高密度の魔力が循環し、身体能力を強制的に引き上げている音だ。
(魔力強化……!)
こいつは、魔法を「飛び道具」として使っていない。
自分の筋肉、骨格、そして鎧の重量そのものを、魔法で何十倍にも増幅させているんだ。
「教育してやろう」
騎士が、右手の槍を短く持った。
「本当の『重さ』というものを」
ドンッ!!
騎士が、槍の石突き(柄の底)で、俺の腹を突いた。
「がッ……!?」
ただの突きではない。
腹の奥まで衝撃が突き抜け、背中の皮が弾けるような感覚。
内臓が潰れる。
息が止まる。
「が、は……ッ」
俺は膝から崩れ落ちた。
胃液が逆流する。
痛い。
熱い。
意識が飛びそうだ。
「どうした? さっきまでの威勢は」
騎士が、俺を見下ろす。
その視線は、ゴミを見る目ですらなかった。
道端の石ころを見るような、完全なる無関心。
「所詮は下層のネズミか。……汚い血で、私の槍を汚すな」
騎士が、俺の腹を蹴り上げた。
バキッ。
鈍い音がして、俺の身体が宙に浮く。
そのまま地面を転がり、汚水溜まりの中に突っ込んだ。
「ごぼッ……!」
泥水が口に入る。
冷たい。
汚い。
俺にお似合いの場所だ。
(勝てない……)
俺は、泥水を啜りながら悟った。
格が違う。
生物としてのランクが違う。
アビス・ワームは、ただの獣だった。
だから、知能と道具で勝てた。
掃除屋たちは、ただの労働者だった。
だから、暴力と奇襲で勝てた。
でも、こいつは違う。
訓練されている。
才能がある。
そして何より、人を殺すための技術を、極限まで磨き上げている。
これが、「上」の力か。
これが、俺たちを見下ろしている連中の実力か。
「……はは」
俺は、泥の中で笑った。
絶望的な状況なのに、笑いがこみ上げてくる。
悔しい。
死ぬほど悔しい。
でも、それ以上に、俺の魂が震えていた。
(まだだ……まだ、死んでない)
痛みがある。
ということは、生きている。
生きているなら、チャンスはある。
俺は、泥の中に沈んだ剣を探った。
指先が、白い包帯に触れる。
『……食わせろ』
剣の声が聞こえた。
弱々しい、でも飢えた声。
『あいつの魔力を……あの上質な光を……食わせろ』
「……ああ、分かってるよ」
俺は、泥だらけの顔を上げた。
右目は腫れて塞がっている。
口の中は切れて血だらけだ。
でも、左目だけは、まだ死んでいなかった。
「おい、ブリキ野郎」
俺は、よろよろと立ち上がった。
泥水が滴る。
騎士が、足を止めて振り返る。
「……まだ動くか。しぶといな」
「礼儀知らずですまねぇな。……下層じゃ、這いつくばってからが本番なんだよ」
俺は剣を構えた。
体温が下がる。
剣が、俺の残りの熱を吸い上げ、限界稼働を始めようとしている。
「無駄だ」
騎士は、槍をゆっくりと持ち上げた。
「貴様のその剣……『魔力吸収』の特性があるようだが」
バレていた。
一度の攻防で、剣の特性を見抜かれていた。
「私の攻撃は、魔法ではない。魔力によって強化された『物理質量』だ。……貴様の剣では、運動エネルギーまでは吸えない」
その通りだ。
火の玉なら消せる。
だが、魔法で加速した鉄の塊は、消せない。
ただの物理法則として、俺を砕く。
「詰みだ、ネズミ」
騎士の槍が、眩しいほどの光を帯び始めた。
さっきまでの比ではない。
槍の周囲の空間が、重力変動で歪んで見える。
「重力魔法・『落星』」
騎士が、静かに詠唱した。
「その薄汚い魂ごと、ペシャンコになれ」
ぞわり、と肌が粟立った。
来る。
さっきの突きとは比較にならない、必殺の一撃。
受け止めれば、剣ごと俺が粉砕される。
避けることもできない。
重力が俺の足を地面に縫い付けているからだ。
(死ぬ)
確信した。
これが、俺の限界か。
復讐なんて、夢のまた夢だったのか。
母さん。
父さん。
レオ。
ごめん。
俺は、ここまでみたいだ。
騎士が、槍を振りかぶる。
その切っ先が、俺の心臓に狙いを定める。
「さようなら」
銀色の閃光が、放たれた。
俺は目を閉じなかった。
最後まで、敵の姿を焼き付ける。
殺される瞬間まで、殺意を絶やさないために。
光が迫る。
死が、俺の鼻先に触れる。
その時だった。
カァァァンッ!!
硬質な音が響いた。
俺の体が砕ける音じゃない。
何かが、騎士の槍を横から弾いた音だ。
「……なに?」
騎士の驚いた声。
そして、俺の視界を遮るように、目の前に「小さな背中」が割り込んでいた。
「へぇ。あんた、面白い剣を持ってるじゃない」
聞き覚えのない声。
鈴を転がすような、でも生意気で、鉄の匂いがする少女の声。
「え……?」
俺は呆然と見上げた。
そこに立っていたのは、小柄な少女だった。
煤で汚れた作業着。
頭にはゴーグル。
そして、その右手には――。
人間のものではない、巨大で無骨な「機械の義手」が装着されていた。
その鉄の爪が、騎士の必殺の槍をガッチリと掴んで止めていたのだ。
「魔法? 重力?」
少女は、ニッと笑った。
その笑顔は、この絶望的な状況には不釣り合いなほど、不敵で、輝いていた。
「そんなの、この『蒸気圧』の前じゃ、ただの空気よ!」
プシューッ!!
少女の義手から、猛烈な白煙が噴き出した。
蒸気機関。
魔力ではなく、科学の力で動く、失われた技術。
「な、なんだ貴様は……!?」
騎士が狼狽する。
想定外の乱入者。
しかも、魔力を持たない「機械」に攻撃を止められたことへの動揺。
少女は、俺の方を振り返った。
ゴーグルの奥の瞳が、悪戯っぽくウインクする。
「乗んなさい、ボロ雑巾!」
少女が叫ぶと同時に、彼女の背後からワイヤーが射出された。
天井の梁に突き刺さるアンカー。
「え、ちょっ……!?」
「逃げるわよッ!!」
ギュンッ!!
俺の身体が、少女ごと宙に浮いた。
高速巻き上げ。
重力の呪縛を振り切り、俺たちは天井へと吸い込まれていく。
「待てッ!!」
騎士が槍を振るう。
衝撃波が飛んでくるが、少女は空中で身体をひねり、義手から散弾のようなものをバラ撒いた。
ドパン、ドパンッ!
煙幕だ。
視界が白く遮られる。
「ちッ……!」
騎士の舌打ちが聞こえる。
遠ざかる地面。
小さくなっていく白銀の影。
俺は、訳も分からぬまま、謎の少女に抱えられて空を飛んでいた。
(助かった……のか?)
意識が遠のく。
限界だった。
緊張の糸が切れ、俺の視界は暗転した。
最後に見たのは、少女の汚れた、でも誇らしげな笑顔と。
彼女の義手から立ち昇る、温かい蒸気の白さだった。
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