第10話:襲来 掃除屋たち、命をゴミとして扱う者(前半)
いつも応援ありがとうございます。
最新話を更新しました。 最後までゆっくりとお楽しみください!
扉を蹴り開けた瞬間、世界は赤く染まっていた。
「ゴォォォォォォォォッ!!」
轟音。
それは風の音ではなく、空気が強制的に燃焼させられている悲鳴だった。
熱い。
肌を刺すような熱波が、物理的な圧力を持って押し寄せてくる。
視界の全てが揺らぐほどの高熱。
第0層の湿ったカビ臭い空気は一瞬で蒸発し、代わりに鼻の奥を焦がすような、強烈な異臭が充満していた。
古い木材が炭化する臭い。
プラスチックが溶ける化学的な臭い。
そして、決して嗅いではいけない、タンパク質が焼ける甘く脂っこい臭い。
「きゃぁぁぁぁぁっ!!」
「助けて! ドアが開かないの!」
「熱い、熱いよぉぉぉ!」
阿鼻叫喚。
路地の向こうから、火だるまになった人々が転がり出てくる。
彼らは地面をのたうち回り、必死に火を消そうとしているが、一度ついた魔導の炎は、水ごときでは消えなかった。
俺は、その地獄絵図の中に、ゆっくりと足を踏み入れた。
ジュウッ。
俺のブーツが地面に触れた瞬間、奇妙な音がした。
熱された鉄板に、氷を落としたような音。
俺の足元を中心に、燃え盛る地面が円状に白く染まっていく。
霜だ。
周囲の気温は数百度に達しているはずなのに、俺の周りだけは、真冬のような冷気が漂っていた。
(ぬるい)
俺は、頬を撫でる熱風を感じて思った。
以前の俺なら、この熱だけで皮膚が爛れ、呼吸ができなくなっていただろう。
だが今は、この猛火さえも心地よい「暖房」程度にしか感じない。
俺の身体は、底の抜けた器だ。
熱をいくら注いでも満たされない、氷の虚無。
「さて……」
俺は、背負っていた剣を手に取った。
ズシリと重い手応え。
白い包帯の隙間から、アビス・ワームから奪った緑色の燐光が微かに漏れている。
『……騒がしいな』
剣が、不機嫌そうに脈打った。
いや、不機嫌なのではない。
この溢れかえる熱エネルギーに、食欲を刺激されて苛立っているのだ。
「ああ。バイキングの時間だ」
俺は呟き、燃える路地を歩き出した。
逃げ惑う人々が、俺の姿を見て目を見開く。
ボロボロのコートを纏い、巨大な剣を引きずり、全身から白い冷気を噴き出しながら火の中を歩く男。
彼らは悲鳴を上げて、俺を避けていく。
炎よりも、俺の方が恐ろしいとでも言うように。
路地を抜けると、そこは広場だった。
かつては闇市が開かれ、粗悪な酒やジャンクパーツが売られていた場所。
今は、事務的な処理場と化していた。
「D-3エリア、焼却完了」
「次はD-4だ。急げ、定時までに終わらせるぞ」
無機質な声が響く。
広場の中央に、数人の男たちが立っていた。
全身を灰色の耐熱防護服で覆い、顔には無機質なガスマスク。
背中には巨大な燃料タンクを背負い、手には無骨な火炎放射器を構えている。
第9席配下、「清掃部隊」。
バベルの衛生管理という名目で、増えすぎた下層民を間引き、死体を肥料としてリサイクルする実働部隊。
「チッ、またガキかよ。燃え尽きるのが早すぎて灰の量が増えねぇな」
「文句言うな。ノルマはノルマだ。……おい、そっちのババア、まだ動いてるぞ」
彼らは、淡々と作業をしていた。
足元で炭になっていく人間を、まるで燃えないゴミでも扱うかのように靴先で転がし、焼き加減を確認している。
楽しみもなければ、罪悪感もない。
ただ「汚いものを燃やして綺麗にする」という業務を遂行しているだけ。
その徹底した無関心が、何よりも残酷だった。
(ああ、そうだ)
俺の中で、冷たい何かが確信へと変わった。
こいつらは、ヘリオスと同じだ。
人間を人間だと思っていない。
命を、処理すべきタスクとして見ている。
10年前。
俺の両親を焼いたあの炎と、今ここで人々を焼いている炎は、同じ色をしている。
「……見つけた」
俺の声は、炎の轟音にかき消されるほど小さかった。
けれど、俺の殺意は、この場の誰よりも大きく、鋭く膨れ上がっていた。
「あ? なんだお前」
掃除屋の一人が、俺に気づいた。
彼は手元のリストと俺を見比べ、面倒くさそうに溜息をついた。
「おいおい、避難勧告は無視か? 立入禁止区域だぞ」
ガスマスクの奥から、くぐもった声がする。
まるで、工事現場に迷い込んだ子供を叱るような口調。
「一般人は下がれ。……いや、待てよ」
男が、俺のボロボロの服を見る。
「その恰好、浮浪者だな? 居住権なしか」
カチャリ。
男が、火炎放射器の安全装置を外した。
「なら、ちょうどいい。ついでに処理しとくか」
男がトリガーに指をかける。
殺意すらない。
ただの「ついで」だ。
俺は止まらなかった。
一歩、また一歩と、男との距離を詰めていく。
「聞こえねぇのか? 燃えるゴミはそこに並べって言ってんだよ」
男が苛立ち、銃口を向けた。
ボォォォォォォォォッ!!
銃口から、オレンジ色の閃光がほとばしる。
圧縮された魔導燃料が着火し、数千度の奔流となって俺に襲いかかる。
距離は10メートル。
逃げ場はない。
一瞬で全身が炭化し、灰になる未来が確定している。
常識的に考えれば。
「……吸え」
俺は短く命じた。
剣を、炎の壁に向かって無造作に突き出す。
その瞬間。
シュゴォォォォォッ…………!!
奇妙な音がした。
燃焼音ではない。
巨大な肺が、空気を一気に吸い込むような音。
物理法則が、ねじ曲がった。
俺の顔面を焼くはずだった炎が、直前で生き物のように軌道を変えた。
渦を巻き、細く収束し、剣の切っ先一点へと吸い込まれていく。
まるで、排水口に吸い込まれる泥水のように。
膨大な熱量と光が、白い剣の中に飲み込まれ、消滅した。
「あ……?」
男の声が止まった。
ガスマスクのガラス越しに、男が首を傾げているのが分かる。
トリガーは引かれたままだ。
銃口からは、絶え間なく燃料が噴射されている。
なのに、俺に届かない。
俺の体温を1度たりとも上げることなく、全ての炎が虚空へ消えている。
「おい、どうした? ガス欠か?」
「いや、メーターは正常だ。……なんだこれ?」
男が銃身を叩く。
故障じゃない。
お前の放った「死」は、今、俺の手の中で消化されているんだ。
ドクン、ドクン。
剣が脈打つ。
包帯の下で、赤い光が明滅する。
吸い込んだ熱エネルギーが、剣の内部で循環し、俺の腕へと流れ込んでくる。
熱い。
いや、これは体温じゃない。
力だ。
爆発的な運動エネルギーが、俺の筋肉を内側から張り詰めさせる。
「ごちそうさん」
俺は、白い息を吐きながら言った。
煙を上げる剣を、ゆっくりと肩に乗せる。
「な、なんだお前……」
男が後ずさる。
本能的な恐怖。
マニュアルにない事態に直面し、思考が停止している。
「特異個体か……? おい、本部へ連絡を……」
「連絡?」
俺は笑った。
頬が引きつり、乾いた音が出る。
「不要だ。ここで退職させてやるよ」
俺は、地面を蹴った。
ドォン!!
爆発的な加速。
10メートルの距離が、瞬きする間にゼロになる。
「ひっ……!」
男が悲鳴を上げる間もなかった。
俺は、剣を振りかぶった。
斬るのではない。
この異常な重量を持った鉄塊を、全速力で叩きつける。
「まずは、一人」
ドガァァァァァンッ!!
鈍い破壊音が響いた。
金属バットでスイカを叩き潰したような、湿った音。
剣が、男の頭部に直撃した。
強化プラスチック製のヘルメットが粉砕され、ガスマスクが破片となって飛び散る。
その下にある頭蓋骨が砕け、首が不自然な方向に折れ曲がる。
男の身体が、地面にめり込んだ。
ピクリとも動かない。
即死だ。
「……ッ」
周囲の空気が凍りついた。
炎の音だけが響く中、他の掃除屋たちが動きを止める。
彼らは見たのだ。
自分たちの同僚が、魔法も使わない「ただの打撃」で、業務中の事故のようにあっけなく潰された瞬間を。
「おい……1班がやられたぞ」
「なんだあの武器は? 魔力反応がない」
「危険因子だ。焼却レベルを最大にしろ」
誰かの指示で、残りの掃除屋たちが動き出した。
事務的だ。
怒りも動揺も見せず、ただ「障害物を排除する」ために、5人、いや6人が一斉に俺を取り囲む。
全方位からの包囲。
全員が、タンクのバルブを最大まで開いている。
「総員、斉射」
6本の火柱が、同時に放たれた。
中心にいる俺を目指して、四方八方から灼熱の壁が迫ってくる。
熱い。
さすがに、これだけの量を一度には吸いきれないかもしれない。
視界が赤く染まり、酸素が燃え尽きて息苦しくなる。
けれど。
俺の心臓は、不思議なほど静かだった。
恐怖はない。
あるのは、冷え切った思考と、剣から伝わってくる「歓喜」だけ。
『熱い……熱いぞ……!』
『吐き出せ……ぶっ放せ!』
剣の意思が、俺の脳内に直接響いてくる。
さっき吸い込んだ熱が、刀身の中で圧縮され、臨界点に達しようとしている。
(そうか、出したいのか)
俺は理解した。
この剣は、一方通行の掃除機じゃない。
吸い込んだエネルギーを、指向性を持って解放することができる。
「ああ、いいぜ」
俺は、剣を横に薙ぎ払うように構えた。
包帯の隙間から、赤い蒸気がシュウウウッと噴き出す。
「お前らがくれた熱だ。……倍にして返してやるよ」
俺は、足に力を込めた。
腰を落とし、回転の予備動作に入る。
迫り来る炎の壁。
それが俺の身体に触れる、コンマ1秒前。
「吹き飛べッ!!」
俺は、渾身の力で剣を振り抜いた。
ブォンッ!!!!
剣先から、衝撃波が発生した。
それは、ただの風圧ではない。
剣内部に蓄積された熱エネルギーが一気に解放され、高密度の「熱の刃」となって周囲に拡散したのだ。
ドガガガガガガッ!!
炎の壁が、内側から弾け飛んだ。
俺を中心とした半径5メートルの空間が、爆心地のように吹き飛ばされる。
「う、わぁぁぁぁぁっ!?」
「ぐぁっ!?」
取り囲んでいた掃除屋たちが、自分の放った炎と衝撃波に巻き込まれ、枯れ葉のように宙を舞う。
防護服が裂け、タンクが誘爆し、彼ら自身が火だるまになって地面に叩きつけられる。
一瞬の静寂。
そして、遅れてやってくる轟音。
俺は、爆心地の中央に立っていた。
周囲の地面は赤熱し、溶けたアスファルトがドロドロと流れている。
だが、俺だけは無傷だった。
剣が放出した冷気が、俺の周囲に不可視の断熱層を作っていたからだ。
「……ふぅ」
俺は白い息を吐いた。
剣を見る。
赤かった光が消え、再び冷たい白に戻っている。
腹ごなしは済んだ、という顔だ。
「そ、そんな……馬鹿な……」
生き残った掃除屋の一人が、地面を這いずりながら呟いた。
片腕が不自然に曲がり、自慢の火炎放射器はひしゃげている。
「物理攻撃……だと……? 魔法障壁が、反応しなかった……」
「魔法?」
俺は男に歩み寄った。
ブーツの裏で、溶けた地面がジュッと音を立てる。
「そんな上等なもんは使えねぇよ」
俺は男を見下ろした。
ガスマスクが外れ、素顔が露わになっている。
困惑に歪んだ、どこにでもいる中年の男の顔。
おそらく、家に帰れば平凡な父親なのだろう。
「今日は残業で遅くなる」と家族に伝えて、ここに来たのかもしれない。
だが、こいつは「仕事」として人を焼いた。
俺の大事な日常を、ノルマの一部として処理した。
「業務終了だ」
俺は剣を振り上げた。
「お前らが焼いた連中も、そう叫んでたはずだ」
「ま、待て……俺は命令されただけで……!」
ドスッ。
俺は剣を突き下ろした。
心臓を一突き。
男の身体がビクリと跳ね、そして動かなくなった。
俺は剣を引き抜き、血を振るった。
緑色のワームの血と、赤い人間の血が混ざり合い、黒いシミとなって地面に落ちる。
終わった。
広場にいた掃除屋は、全員動かなくなった。
生き残った住民たちが、建物の影からこちらを覗いている。
「…………」
彼らの目に、感謝の色はなかった。
恐怖。
畏怖。
そして、絶望。
「あいつ、ニルスじゃないか?」
「白化して逃げたんじゃなかったのか?」
「なんだあの姿……魔族か?」
ヒソヒソという声が聞こえる。
俺に向けられた視線は、さっき掃除屋に向けられていたものと同じだった。
「災害」を見る目だ。
(これでいい)
俺は、胸の奥で呟いた。
ヒーローごっこをしに戻ってきたわけじゃない。
俺は復讐者だ。
人殺しの怪物だ。
恐れられるくらいが、ちょうどいい。
「……行くぞ」
俺は誰にともなく言い、背を向けた。
まだ街のあちこちで火の手が上がっている。
掃除屋はまだいるはずだ。
全員、駆除してやる。
その時だった。
ヒュオオオオオオオ…………!!
頭上から、鋭い風切り音が聞こえた。
瓦礫が崩れる音でも、炎の音でもない。
もっと硬質で、人工的な、何かが高速で落下してくる音。
(来る……!)
俺は反射的に上を見上げ、バックステップで後方に跳んだ。
ズドォォォォォンッ!!
俺がさっきまで立っていた場所に、流星が落ちたような衝撃が走った。
地面がクレーター状に陥没し、凄まじい土煙が舞い上がる。
その衝撃波だけで、周囲の炎が一瞬で吹き消された。
「……なんだ?」
俺は剣を構え、土煙の向こうを睨みつけた。
掃除屋じゃない。
あんな鈍重な連中とは、落ちてくる「音」の質が違う。
もっと重く、もっと鋭く、そして洗練された気配。
煙が、風に流されて薄れていく。
その中心に、影が立っていた。
「……汚いな」
煙の中から、涼やかな声が響いた。
男の声だ。
戦場の喧騒には不釣り合いなほど、落ち着き払った、冷徹な声。
「下層の空気は、いつ来ても腐敗臭がする。……これだから、掃除が必要なんだ」
姿が現れる。
全身を包む、白銀の全身鎧。
関節部分からは青白い魔光が漏れ出し、背中には魔力で形成された「光の翼」が揺らめいている。
手には、身の丈ほどもある長大な槍。
その鎧には、泥汚れ一つ、傷一つついていなかった。
鏡のように磨き上げられた表面が、燃え盛る下層の炎を映し込んでいる。
「…………!」
俺は息を呑んだ。
知っている。
この姿を、モニター越しに何度も見たことがある。
バベル正規軍・白銀騎士団。
第7席クロード直属の、エリート処刑部隊。
「掃除屋ごときが手こずっていると思えば……」
騎士が、兜の奥から俺を見据えた。
その視線だけで、肌が粟立つような圧力を感じる。
「ネズミが、妙な玩具を拾ったようだな」
騎士が、槍の穂先を俺に向けた。
カチリ、と音がして、槍の先端に高密度の魔力が収束していく。
空気が変わった。
さっきまでの作業員との喧嘩とは違う。
ここから先は、「殺し合い」だ。
「名乗る必要はないな。どうせ死ぬ」
騎士の姿が、ブレた。
(速いッ!!)
俺が反応するよりも早く、白銀の閃光が目の前に迫っていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、 下の【☆☆☆☆☆】評価や、ブックマークをいただけると執筆の励みになります!




