どっち?
昨夜はあの後遥主導の元、数人の弟子達の手によってベッドが2つ、2階の部屋に盛大に運び込まれた。
翔太と文也はそこに泊まった。
隣には桜の寝室、風呂、トイレが並んでいる。
「今日は一旦帰って、着替えとか取ってくるよ」
文也が、食後のコーヒーを啜りながら言うと、
「あ、僕も!」
翔太が、最後の一口のトーストを口に押し込み、手を挙げた。
「ああ、わたしも行くわ!」
「桜も?……何処に?」
翔太が不思議そうに桜を見た。
「え?文也さんの家に決まってるでしょ!翔太も行くんでしょ?」
「……いや……翔太君も着替え取りに帰えりたいんじゃないかなぁ……」
文也が翔太のフォローに入る。
「翔太の家は後でいいじゃない!」
桜の一言で話は終わった。
1時間後、3人は文也の家の玄関前に立っていた。
文也は迷う事無く扉を開け、家の中に入って行く。
翔太は何気に、ベランダ辺りに視線を送る。
一瞬、その様子に気を取られる桜、慌てて文也の後を追う。
「翔太!」
その声に、翔太も桜に続いた。
暫し密閉されていた家の中は、ムッとしたサウナの様な息苦しさだ。
廊下に散乱した物を蹴散らし、道を作りながらリビングへ向かう文也。その後ろをゆっくり進む桜と翔太。
リビングに入ると、文也はいきなり四つん這いになり、服や本、電気製品迄散乱している中を、両手で念入りに掻き分け始めた。
荷物の中から掴み出したのはエアコンのリモコン、すかさず冷房のスイッチを入れた。
3人は無言でほっとした。
今度はキッチンで床を這いつくばる文也。服や靴、食器やペットボトルが転がる中を再び掻き分け始めた。
今度は何を探しているのか……
その様子を視界の端に認めながら、翔太は見渡せる範囲を用心深く観察していた。
桜の姿は無い。
闇に棲む輩も、今日はおとなしくしているみたいだ。翔太はホッとした。
「あったあった!」
文也は珍しくはしゃいだ声を上げ、溢れた物の中から鍵の束を取り出した。
「鍵?」
「ああ、見当たらなくてね。ずっと探してたんだ。良かった!これで車に乗れる」
「玄関、鍵掛けて無かったの⁈不用心だなぁ」
「大丈夫だよ。こんな物が飛ぶ家、普通の泥棒なら不気味がって逃げて行くだろう」
「そうは言っても……まー確かに」
そこへ、足場の悪い廊下を必死に、1週間位は旅行に行けそうな大きなスーツケースを抱え、桜がキッチンへ現れた。
「丁度良いのが転がってたわ。文也さん!これに必要な物どんどん詰め込んじゃって。翔太!ちょっと!」
桜はスーツケースをその場に置くと、翔太に向かって『おいでおいで』と手招きをした。
「?……」
手招きに誘われるまま付いて行く。
「ここら辺だと思うんだけど、敏子さんが言ってた例の部屋!」
桜はキッチンを出た廊下に、不自然に競り出てる壁を軽く叩いた。
「へ?ここ⁈って、どうして分かるのさ!」
「2階の開かずの間、丁度この台所の上辺りになるんだけど……なんか、ここら辺、形が変なのよ!」
「2階?1人で見て来たの⁈」
「そうよ!ねぇ翔太!何か感じない?」
「この家の中を1人で行動してたの?」
「どうなの、翔太!」
翔太の的を付かない返事に、桜は焦れた。
「いや、今日は穏やかだよ。何も感じない!でも、この家の中を1人であちこち動き回るのは危険だ!危ないよ!」
桜は『分かった分かった』と言った風に、掌をプラプラさせた。
「やっぱり床下からしか行けない見たいねぇ。キッチンから行けるって言ってたわよね、敏子さん!」
また、桜が企んでる。
「嫌だよ!」
翔太は慌てて意思表示をした。
「別に!翔太に入れなんて言って無いじゃない!大丈夫、わたしが入るから」
「駄目だよ!今日は荷物を取りに来ただけなんだから!」
一段と、翔太の言葉は強かった。
「はいはい!分かったわ。どんな物か、ちょっと気になっただけよ」
「悪い癖だよ!」
「職業柄、どうも気になっちゃうのよ。悪かったわ、翔太の言う通りね!こっちは後にする」
桜はそう言って、さりげ無く翔太を誘導しながら2階へ向かった。
「こっちは後って……ちょっと!また2階へ上がるの?」
翔太は階段の前で足を止めた。
「ちょっと翔太に確認して欲しい場所があるの!」
「またーっ!だから君と来るのは嫌だったんだよ!目的が違うじゃ無いか!」
桜は思い切り不満を漏らす翔太の腕を掴むと、容赦無く強く引っ張った。
意思とは逆に階段を上る翔太。上りきると、桜の手を大きく振り解いた。
『いい加減にしてくれよ!何でわざわざ相手の手中に踏み込む必要が有るのサ!君の好奇心に僕を巻き込むなって!一体どうしたいの⁈君だって分かってる筈だよ。これはもう、僕達の手に負えるものじゃ無いんだよ!』
そう、翔太は目の前の桜に言ってやりたかった……が、声が出ない。
一瞬、心臓が大きく1回脈打った。翔太はその痛みをはっきり感じた。
「いたっ……」
翔太はやっとの思いで一言だけ、声を発した。
「何よ!痛いのはこっちよ」
「ちがっ!……そこに……居る」
翔太は桜を指差した……いや、桜の後ろを指した。
ベランダへと繋がる廊下に、髪の長い女性が立っていた。女性は俯き、まるで風に揺れているみたいにゆらゆらと儚げに立っていた。
桜はゆっくり振り返る。
「本当に……居るの?どっち?……仁絵さん?亜耶さん?それとも両方⁈」
小声で話していたが、興奮を抑え切れないのか、徐々に声が高くなる。
「しっ!……」
微かな嗚咽の声が翔太の耳に届いた。
「泣いてる?」
女性はこちらを気にする気配は無い。
まるで翔太達に気付いていない様子。
それに気を許した翔太は、女性から目を離さずにいた。
俯いた瞳から、不意に涙が零れ落ちた。
女性は両手で顔を覆った。
「泣いてるの?……って事は……仁絵さんかしら……」
「さぁ?……多分、この間ベランダで見た女の人……」
耳を済まさないと消えそうなその声は、微かに震えていて、重苦しく翔太の胸を詰まらせた。
「あの……」
翔太は思い切って声を掛けてみた。
その女性は驚いて顔を上げ、潤んだ赤い目を翔太に向けた。
ゆらゆらと儚げな姿は、微かな風に吹き消される様にゆっくり消えて行く。
「待って‼仁絵さん!︎」
翔太は慌てて呼び止めた。
それは、消える寸前、ゆらゆらとその形を再び表し始めた。
「ひと…え?……」
問い掛ける様に名前を言うと、翔太を見詰める瞳から、ポロポロと止めどなく涙が溢れ出た。
「仁絵さん!一体どうしてこんな事に……何故泣いてるんです?」
女性はジッと翔太を見詰めている。
その姿は揺らぐ事無く、はっきりとそこに居た。
涙を拭い、ゆっくり話し始めたその声は、柔らかく落ち着きを取り戻していた。
「わたしは、仁絵では無いわ。仁絵の母親の亜耶と言います」
「えっ⁈亜耶さん?」
翔太は思わぬ言葉に、大きな声を出してしまった。
「えっ⁈仁絵さんじゃ無いの?亜耶さんなの?」
桜も思わず声を上げた。
少しの間、2人は凍りついた様に沈黙した。




