小夜子
白い霧の中から、誰かがこちらに向かって歩いて来る。
その姿は近付くにつれ、はっきりと現れる。
相変わらず憮然とした表情で、敏子はそこに立ち止まった。
「母さん!」
思わず文也が声を上げ、桜の肩から手を離してしまった。その瞬間、文也の目の前から敏子が消えた。
「落ち着いて文也さん」
桜はもう一度自分の肩に手を置く様に促した。
「ごめん!」
文也は深呼吸すると、もう一度桜の肩に手を置いた。
「なんなんだい……お前達!」
眉間に皺を寄せ、苛々した敏子の声が響く。
やっぱり死んでも変わらないんだ。
翔太はそう確信した。
「敏子さん、分かります?あなたは亡くなっています」
「亡くなった?あたしが?……」
すると敏子は、何かを思い出したのか考え込み始めた。
「ちくしょう!よくもやってくれたよあの女!」
そう小さく呟く声が、正面の桜の耳に届いた。
「あの女?」
敏子は桜を睨み付けた。
「お前は誰だ?一体何者だ⁉︎誰があたしを呼んだ?あの女か?あの女がいるのか!何処にいるんだ!」
そう言って敏子は、辺りを見回し何かを探している。
やがて、両手で耳を塞ぎ目を閉じると、その場にしゃがみ込んだ。
桜が声を掛けるが、敏子はじっとしたまま。聞こえないふりをしているのか、本当に聞こえないのかなんの反応も無い。
「母さん!あの女って誰⁈」
文也がじれったそうに声を掛けた。
文也の声に敏子は反応し、敏子は顔を上げた。
「文也……お前の仲間か?」
敏子はふん!と鼻で笑った。
「ただの言いなりの人形が!口答えしやがって!誰のおかげで大きくなったと」
「あんたじゃ無い!あんたは俺を産んだだけだ。何もして無いよ!」
文也の言葉が、敏子の言葉を遮った。
「ふん!相変わらず可愛くないねェ、お前は……昔っからそうだったよ。全く懐かないガキで、毎晩毎晩、婆さん婆さんって、煩いったらなかった」
「それで捨てたのか?」
敏子はまた、ふん!と鼻で笑った。
「父親にそっくりだよお前は!顔も!そのオドオドした性格も…見てると苛々する!!」
「近藤さん似てないって言ってたけど……」
「翔太!」
桜が小声で翔太を呼び、軽く脇腹を突っついた。
「悪かったなぁ。捨てた男を思い出させて、さぞムカついてたんだろうよ。打算で子供なんか産むからだ!」
「へー言うじゃないか。お前随分変わったねェ……」
ふん!敏子は鼻で笑ったが、それは、少しほっとした感じに見えた。
「そっか、あたしは死んだんかい。生成したろう?まー死んじまったんならどうでも良いさ!秘密を守る必要も無くなった。で、何が聞きたい。何か聞きたいからあたしを呼んだんだろ。いいさ!何でも話してやる。そうだなぁ、まずはお前の婆さんの話しはどうだい?」
敏子の声は、今迄みたいに虚勢を張った感じは無く、自分の死を受け入れたせいなのか、少し穏やかに聞こえた。そして、眉間に皺を寄せ、不器用な笑顔を見せた。
一同、この人も笑顔作るんだ……下手だけど!
「あたしが、20歳の時だったか、あの爺いの家を初めて訪ねたのは……母親から散々父親の事聞かされてたからね。一回位見てやろうかって」
「父親って……一吾さんですか?」
「人の話のこし折るんじゃ無いよ!……お前、何故それを知ってる?」
「えっ?いえ……あ、すいません」
敏子は桜を睨み付けた。
一瞬優しくなったのかと思ったが、人は早々変われないと、翔太は実感した。
文也は桜に頭を下げた。
「その時、まだ10才の仁絵が、見透かした様な冷めた目でそこに居た。一吾は早々に追い返そうと、分かりやすくいい加減にあたしをあしらった……ところがある話をしたら、急に空気が変わった!婆…いや、小夜子の話をした時急に一吾が態度を変えたんだ」
「小夜子さん?って言うんだ」
翔太は首を傾げながら文也を見た。
文也は首を振った
敏子が翔太を睨み付けた。
翔太は肩を竦め息を止めた。
「へー、お前!婆さんの名前も知らなかったのかい?随分薄情なもんだねェ。そんなに何もかも忘れちまうもんかね。呆れたもんだ!」
文也は悔しそうに敏子を睨んだ。
「あたしが小夜子の話をちょこっとしたら、あの色ボケ爺やたら食い付いてきて、小夜子の事色々聞きたがるんだ。初めは面倒臭そうにしてたのに、急に事細かに財産の話をしだして来て、散々うまい話であたしから小夜子の話を聞き出した。なのに、やがて情報が尽きると、お前にくれてやる財産なんか有る訳無いだろうって、途端に突き放しやがった!」
怒りが復活したのか、眉間の皺を更に深くし、拳を握っている。
「あたしの母親佳代子は、一吾の愛人だったけど、一吾は密かに妹の小夜子を狙ってたんだ……」
敏子は、忌々しげにそう言い放った。
それから、母親に聞いた話、小夜子に聞いた話を交え、ゆっくり思い出しながら話し始めた。
一吾が31、小夜子が16才の時。
小夜子と母親が住む家に、佳代子は一吾を連れて来た。そこで、一吾は初めて小夜子に会い、一目惚れした。
女はいつも思い通り、ましてや小娘、ほんのちょっと欲しい物でも買ってやれば直ぐに懐いて来る。そう高を括る一吾に、小夜子は一切興味を示さなかった。
いくらあの手この手で、小夜子の気を引こうと必死になっても、小夜子は靡かない。
今迄の女と違う小夜子に、一吾は夢中になり、虜になった。
ただ、そんな女としか付き合って来なかっただけで、自分が特別だった訳じゃなかったのにって、小夜子がよく言ってた。
全ては一吾の勘違いだって……。
姉と違って、真面目でお堅い小夜子には、遊び好きで女好きな一吾は、歳もかなり違う事もあって、更々眼中に無かったんだ。
だけどねぇ、それを横で見てた佳代子が、面白い訳無いさ!
狂った様に嫉妬し『色目を使かうな!』て、小夜子を罵り罵倒し、殴ったり蹴ったり暴力迄振るってた。
暴力は、小夜子ばかりか母親に迄およんだ。
やがて小夜子は疲れ果て、佳代子や一吾に知られない様身を隠した。
そんな時、一吾は土地を売った金を持って、小夜子に会いに来た。その金で、小夜子と一緒に逃げるつもりだったらしいが、小夜子の姿は既に無かった。
一吾は必死に小夜子を探し、嫉妬に駆られ見境を無くした佳代子を責め立て暴れた。
そして1年が過ぎたが、以前小夜子の居所は掴めないまま。やがて諦めが付いたのか、一吾はすっかり大人しくなった。
佳代子は、一吾の持っていた金をせびるが、頑として渡さなかった。
そして突然、一吾は佳代子の目の前から姿を消した。
その後、佳代子は身篭った事を知った。
母親は、佳代子の奔放さに振り回され、心労が重なり病に倒れた。
母親の面倒を見させる為、佳代子は小夜子の居所を母親に問い詰めた。
間も無く、小夜子の看病の甲斐なく、母親は亡くなり、その一月後、佳代子は女の子を産んだ。
佳代子は、その赤ん坊をまだ18才の小夜子に預け出て行った。




