別れ
敏子の亡骸は、昨夜のうちに病院からこの葬儀場の小さな一室に移送されて来た。
それからずっと、文也は母の亡骸と共にここに居る。
外は40度近い炎天下だが、遺体が痛むのを防ぐ為、部屋の中は寒いくらい涼しかった。
身内だけの……と言っても、自分の他に思いあたる人間関係は浮かばない。
親戚とか聞かれても分からないし、友人とか聞いた事が無い。
実の母親だって、多分もう亡くなっているのだろう。
余りに母の事を知らな過ぎた。
あやふやな返答に担当が何度も確認しに来るが、まともに答える事が出来ない。
気を遣って、パイプ椅子を5つ程並べて行ったが、誰にも連絡していないし、他に家族もいない。強いて言えば、佐登美と重蔵だが……2人共あんな事になって、出席する筈が無い。
結局、見送るのは自分1人だけ……
この人がどんな人生を歩んで来たのか、最近になって他所からの情報で知った事は有るが、詳しくは分からないまま、こんなに急に別れが来てしまった。
小さな祭壇に飾られた遺影、真っ直ぐこっちを見て薄っすら笑っているが、多分修正された物だろう。いつも不機嫌な顔をして、実際この人の笑顔など、自分に向けられ事は勿論、楽しそうにしているところを見た記憶が無い。
あれから、祖母との記憶を一つ一つ思い出す事が増えた。しかし、肝心な祖母の死の真相には、残念ながらまだ辿り着いていない。
その代わりというか、全てだった母の記憶が一つ一つ剥がれ落ち、母とのしあわせな思い出が、何も無かった事に思い知らされた。
あるとすれば、ヒステリックな叫び声と絶望感だけ。
すっかり愛情も忠誠心も無くした文也には、母の死への悲しみは……全く無い。
背中で静かに扉が開き、誰かが入って来た気配を感じた。
10分程前に『そろそろ住職がいらっしゃいます』と担当が言っていた。
文也は立ち上がり振り返った。
そこには、思も寄らない人物……
桜と翔太が立っていた。
「お前等……」
「この度は、ご愁傷様です」
そう言って、桜は丁寧に頭を下げた。
その後ろで翔太も頭を下げる。
「よく分かったな……」
「この人、色んな伝手有るから」
翔太が、桜に視線を向けながら言った。
「ああ……」
文也は桜を見て、翔太の言葉に納得した。
「態々悪かったな。ありがとうな」
2人の顔を見て、文也は不思議とほっとした。
炎天下の中、3人が見上げる先に聳え立つ煙突。
そこから不意に、白い煙が空に向かって登り出した。
『ふーっ』と、文也が溜息をついた。
「こんな所迄付き合わせちまって……」
桜は無言で首を振った。
「話しを知ってる人間がいなくなっちまったな……」
ポツリと文也が、申し訳無さそうに呟く。
「そこは大丈夫よ!」
「大丈夫って?どうすんのさ!無理でしょう?だって敏子さん……殺されてるんだよ!素直に成仏してるとは……」
「行って見ないと分からないけど、翔太も居るし!」
その言葉に、佐登美の病院での事を思い出した文也。
「お前達、不思議な奴等だな」
「心外だな!達は辞めてよ。不思議なのはこの人だけだよ」
翔太は不満気に桜を指差した。
「何言ってんのよ!あんたも充分不思議ちゃんよ!」
「不思議ちゃん!って、なんか意味変わってない?」
文也の顔が、初めてほころんだ。
その姿を見て、翔太は少し安心した。
「明日にでも、家の方に来てくれるか」
「大丈夫ですか?もう少し落ち着いてからでも……」
桜は心配そうに文也を伺った。
「お前等と居た方が元気が出るよ」
そう言った文也の笑顔に、桜と翔太も笑顔で応えた。
「出来れば、一応敏子さんの遺骨をお借りしたいんですけど」
「あれ?遺骨が無くても出来る様になったんじゃなかったの?」
「それは、霊として存在してればの話よ。翔太を通して見てるんだから、翔太が見えなきゃ無理よ」
「あー……そう言う事!」
「急だったから、墓はこれからなんだ。早目に探すつもりだが、当分は家に置いておくしかないから遺骨は有るよ」
「分かりました。じゃ明日伺います」
「ただ、話してくれるのかなぁ……病院で会っただけだけど、すっごく衝撃的だったから……性格って、死んだからって変わる訳じゃないでしょ?」
「…………」
「失礼よ!翔太!!」
「ああ、いや!確かに、一筋縄では行かない人ではあるかな……」
「取り敢えず行って見ましょ……仁絵さんはまだ居るかしら……」
「仁絵かどうかは分からないが……何かは居るんだと思う。あの時重蔵が『早くしないと奴が目ェ覚ます』って言ってたし」
「奴?……」
「刺したのは自分じゃない!自分の中に奴が入って来て母を刺したんだ!って訴えてるらしい」
「ありそうだわ……それが本当なら、重蔵さんも気の毒ね。だからって、わたし達がどんなに説明したところで、警察に相手にされないだろうし……」
「警察も言ってたよ。霊や呪いの類じゃ納得出来ないって……
確かにあの日、母はやけに怯えてたんだ。
必死になって重蔵をせっついてた」
「敏子さんには何か見えてたのかしら?
一吾さんの事と言い……沢山秘密が有りそうよね、あの家!」
桜は堪えきれず笑みが零れた。
「何か嬉しそうだね!不謹慎じゃないの!嫌な予感しかしないんだけど……その奴って言うのが、以前感じたあの邪悪な奴なのかなぁ?……あの……何か忘れて無い?」
「何よ翔太!何忘れてるの?」
「これって悪霊退治!……じゃない?」
「悪霊退治⁈……あー、そうね。そうなるわね!……で?」
「で?って、んな事出来る訳無いじゃん!がんこつ先生の時と訳が違うよ!無理無理無理無理!僕は降りるよ!」
「何急に怖気付いてるのよ」
「ああ、確かにあの家は呪われてるんだろな。俺には何も見え無いし、何も感じ無いけど……って言うか、そう言う恐怖の感情が分からないんだ。多分、子供の頃の事が影響してるんだと思う……だけどこう色々有ると……実際殺人も起きてるし、お前達を巻き込む訳には行かないよな」
「そうだよ!いつもみたいに思い残した事を叶えてってレベルじゃ無いよ。怨霊、魍魎の類だよ。僕等の力じゃかないっこ無いって!僕にはそんな力は無いっ!!」
翔太は心の中で『神様一生のお願い!桜を止めて下さい』と必死に願った。
「分かってるわよ。話しを聞くだけよ翔太。
心配しないで」
桜は優しくそう言うと、にっこり微笑んだ。
翔太の一生のお願いは、神様には届かなかった事を翔太は悟った。
「嘘だね!嘘だね!嘘だ嘘だ嘘だ!」
翔太は身の危険を感じ、最後の抵抗を試みた……
「煩いっ!!」
桜は一喝した。
文也はどうしたら良いのか、オロオロしていた。




