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「咲さんは、ちょうど事故で失った両足を義足にするため、電脳義体化手術を受けていた。そのとき、ディスオーダーも投与されていた可能性もあった……そうでしたよね」
病床に横たわる桜井咲を見ながら、坂本は確かめるように言った。
「はい。そうです。でも、ワクチンのおかげでディスオーダーは止まったはずなんです。なのに……」
「ディスオーダーに近い症状が、いまこうして起きている、か」
春香は、少しだけ俯いて、それから小さくうなずいた。
彼女としても認めたくないのだろう。ディスオーダーの一件で、彩山堂病院はすっかり名を下げた。十年経った今ではだいぶ回復したが、それでも汚点は汚点だ。特に電脳科の医師である桜井瞭吾氏は、あのあと院内でも風評被害にあった。それでなお、娘までとなれば――認めたくないはずだ。
「政府警察にこの話は?」
「していません。ディスオーダーの件については、政府警察は敏感ですから」
「ごもっとも。下手に政府警察に動かれると、逆効果かもしれませんしねぇ。今のあそこには、私みたいな人材はいないんで」
坂本はそういってニッと笑ったが、もちろんそんな状況では無かった。
「いいでしょう。私のほうでいろいろ調べてみます。ですけど、民間企業にも限界はありますんで。そのへんはご了承ください」
「わかっています。……よろしくお願いします。もう、あなたしか頼れるヒトがいなくて……」
「だいじょーぶ、大丈夫ですよ」
言って、彼女は桜井夫人の肩を叩いた。だが、春香の顔は俯いたままだった。
*
一方で、一之瀬警備保障のオフィスでは、残された三人が慌てたり悶えたりしていた。部長の単独捜査ほど恐ろしいものは、ほかに無いからだ。
とりあえず通常業務ということで、先日の報告書をまとめながら、三人は坂本についてわかっていることを情報交換するということになった。特に、まだ入って一年も経っていない恭介は、坂本のバックグラウンドなど知るはずもない。
「かつて、あの人が今回みたく単独で捜査する時があったんだ。ただ『ちょっち私用で頼まれごとされたから、そっちの捜査をするわ。みんなは通常業務でお願い』って言い残してな」
「それで、どうしたんですか?」
恭介が書類をまとめながら問うと、呉石に変わってエレンが答えた。
「二、三日の間はなにもなかったわ。だから、きっと仕事のフリして休んでるんじゃないかって話になったのよ。でもそのあとで、部長から出動要請があって、急行したの。警察庁からの依頼が入る前にね。そしたら、着いたとたんに依頼が入って、そして現場には――」
「現場には?」
「暴走したクグツが一体いたの。パイロットは台湾ヤクザの流れ者で、向こうの警察から逃れて、日本のヤクザを頼って渡ってきたって話だった。手土産のクグツを持って、ヤクザに話をつけに行くとこだったらしいわ」
「どうして部長はそんな事件に? しかも、なんで事前にわかっていたんだ?」
「さあ。それがわかってたら、いまこんな風に焦ってないわよ。でもまあ、前の時と同じだって言うんなら、それこそアタシたちに出来ることはなにもないけどね」
エレンはそういうと、天井の見上げて電子タバコを吹かした。いつもは窓際まで行くが、今日は部長がいないからか、その場で盛大に紫煙を吐いた。
「ともかく、部長が動いてるってことは、ヤバい事件の前兆かもしれんってことだ」と呉石。「だから、例のクロガネの新装備の話、早くカタをつけてきたほうがいいかもな。もしかしたら、また必要になるかもな」
「それもそうですね。……エレン、松本製作所に戻るか?」
恭介の問いに、エレンは小さく首を横に振った。
「じゃあ、僕一人で戻ってきます。装備のほう、早くするようにお願いしてみます」
「そのほうがいい」
それから恭介は上着を羽織ってから、オフィスを出た。
二度手間と言えば二度手間。しかし、二人が焦る理由も何となくわかった気がする。
――しかし、部長は本当に公安警察だったのか……?
恭介は疑問に思いながらも、バンの待つ地下へ急いだ。
*
坂本は待たせておいたタクシーに乗って、それから霞ヶ関に戻った。
彼女の目的地は、警視庁庁舎内にある科学捜査研究所、通称『科捜研』である。現在は半官半民の運営になっており、民間の調査機関・シンクタンクと警察企業とをつなぎ止めるパイプ的な役割を果たしている。いまの科捜研には、かつてのような調査能力はない。
しかし、何十年以上前の調査情報となれば、保存されているのは科捜研ぐらいなものだ。坂本の目的はそこだった。科捜研が持つ、過去一世紀以上に渡る調査データ。そのデータベースは、機密保持の為に完全に孤立した状態で保存されている。一部の許された者にしかアクセスを認めていない。
坂本を乗せたタクシーは、警視庁庁舎前に停車。それからすぐ回送運転になって、車庫へと戻っていった。充電スタンドにでも戻るのだろう。
警視庁庁舎には、難なく入ることが出来た。警視庁と書かれたステンカラーコートを着た守衛が、坂本の身分証明書を見てすぐさま敬礼した。武装企業の幹部ともなれば、制服巡査よりも格段に上級だ。
坂本は彼らに軽い会釈をしてから、地上八階にある科捜研のオフィスを目指した。




