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そのときアスカの電脳、恭介のイヤフォンに悲鳴が響いた。エレンの悲鳴だった。
タイヤがアスファルトを切り裂くスキール音に続けて、エレンが叫んだ。
《クッ……チッキショウ……!》
「エレン、どうした」
恭介がすぐに問うた。
《相手が速すぎる。アレ、間違いなく軍用の義体だ。しかも、思考速度が異常に速い。こっちの考えを読むみたいにフェイントを入れてくる》
《それは仕方ないよ》とアスカ。《相手は、二つの意識を持っている。二対一なんだ。かなうはずがない》
《二対一? どういうことよ? こっちだってハルとアタシで二人なんだけど》
《まあ、相手もエレンとハルに近い状況かな。模倣子汚染のせいで、その義体には二つの意識と二つの演算回路があるんだ。二人で一人なんだ》
《模倣子汚染? でも意識が生じるような重度の汚染じゃあ……》
《そう。ふつうの電脳なら、他人の思考システムを受け止め切れず、パンクする。悪くすれば脳死。でも、どうやらそれが成立しているあたり、その義体には外部演算装置が組み込まれている。オンライン接続じゃあ精度は低いだろうから、内部に仕込まれているとみて間違いない》
《じゃあ、本当に二対一じゃない!》
《だからそう言ってるじゃん》
《くそったれ》
エレンは吐き捨てるように言い、それからまたアクセルを開ける音が聞こえた。
GPS信号を見る限り、エレンと涼村の距離は縮まっているようには思えない。
相手が戦うつもりの外装義体ならまだしも、今回の敵は約二倍の思考速度を持つ義体。エレンだけでかなうのだろうか?
恭介は、考えるよりも先にカラダが動いていた。アイウェアを通じて、松本製作所に預けているクグツ――ART-X・クロガネへと自律機動の信号を出したのだ。指定座標は現在、恭介とアスカがいるアパート。動転座標に切り替え、恭介の動きを追うようにして動くように設定。緊急出動モードを命じて、クロガネにはサイレンを鳴らすよう命じた。
まもなく、クロガネの義脳は命令を受諾。自律機動を開始した。エレンの援護へ向かうために。
「アスカ、僕もクロガネで出る」
「クロガネって、アレ戦力になるの?」
「まともな戦力にはならなくても、手助けぐらいはできるだろう」
言って、恭介は大慌てでアパートを出た。駐車場に停めたバンへと急ぐ。犯人を逃がしたくはない。女教皇への手がかりを失いたくはなかった。
「まって恭介! 私も!」
恭介を追いかけるように、アスカもマンションを出た。
時刻は夕方、八時前。涼村と藤咲がかつていた街、新宿はこれから盛りを迎えるところだった。
*
現在、涼村は住宅街を抜けて、高架下の路地を疾走している。エレンも何とか追いついていたが、軍用並のスプリンターと電動バイクでは小回りの効きが違う。直線ではエレンが勝ったが、ひとたび路地裏に回り込まれたら、為すすべは無かった。
エレンには、涼村がどこに向かっているのかおおよそ察しがついていた。エレンの電脳には、アスカから送信された捜査情報がすでに同期されている。アスカの既知情報は、またエレンの既知情報でもある。
涼村と、そのパートナーと思しき女性、藤咲アイは二人とも新宿の繁華街に勤めていた。彼女らにとっては、新宿は庭だろう。そこに逃げ込めば、きっと警察さえも撒けると信じているに違いない。そして実際その考えは正しかった。
東京都内の経済特区・新宿区。移民労働の推奨と新宿区特別警察署を設けられたこの土地は、裏社会と表社会が共存する歪な街だ。古くから警察は暴力団に感情移入しやすいなどと言われるが、実際その通りで、この街では多少の荒事には目を瞑るために、いまだ政府警察が幅を利かせているところがある。民間の組織では、そのような微妙な社会バランスを崩してしまうとが考えられたからだ。
ゆえに、新宿区内での捜査・作戦行動にはいくらかの制限がかけられる。もし勝手にドンパチをやれば、始末書は免れないだろう。
――できれば、新宿に入る前にしとめたいけど……ムリそうね。
エレンは心の中で毒づきながら、涼村を追った。
相手は、二人分の演算能力を持つ。こちらもエレンとハルで二人分だ。どうということはない。
しかし、相手は軍用並の義体を使っている。いったいどこから流れたシロモノかはわからないが、これを野放しにするわけにはいかない。
エレンはアクセルを開けると、ブレードを抜いた。
《もう終わらせよう、ハル》
《そうしたいところだが、新宿区特別署がうるさいぞ》
《始末書ぐらいいくらでも書くわよ》
ブレードを水平に構え、アクセル全開。
絶対に追いつく。追いついて見せる。
エレンは、獲物をねらう獣のように視線を涼村たちの義体に合わせた。
*
そのころ、丸の内にあるトーキョー・シティ・ホテル一階のラウンジで立食パーティが催されていた。主催者は投資家の男性で、招かれたのは彼が開発した投資用義脳のユーザーたち。義脳のはじき出した計算のもと、盲目にも金銭を投じる浪費家たちである。彼らは自分たちこそ経済を回していると自負しているが、その実、義脳に従うだけの傀儡にすぎなかった。
そんなパーティの中に、招かれざる客が二人混じっていた。いや、正確には彼らこそが真の招待客なのやもしれない。
一人は、純白のドレスを身にまとった女性だ。彼女は足先まである長いスカートをたなびかせながら、マスクの下でほほえんでいる。拡張現実表示されるマスクは、白い蝶の形をしており、まるで仮面舞踏会である。パーティの出席者は、彼女を除いてすべて電脳化者。誰の目にも彼女の素顔は見破れない。
また彼女のようにマスクを着けている者は、ほかの招待客にもちらほら見てとれた。投資家の中にも、何か後ろ暗い事情から顔を見せたがらない者は多い。ゆえにこのパーティでは、ARによって素性を隠すことを良しとしている。
そんなマスクの女性の隣には、背広姿の男がいた。細いカラダの彼は、筋肉質ではないものの、高い背とスラリとした体躯が黒のスーツに映える。男は、黒とグレーのストライプシャツに、ダークシルバーのグラデーションをしたネクタイをしていた。さらには、彼もまた顔を隠すようにAR上にマスクを投影していた。正確にはサングラスの形状だが、顔を隠すには差し支えない。モデルは、リーコン社のデジタル・アイウェアだ。
「進捗はどうだ、女教皇」
と、男が片手にシャンパンを取りながら言った。
「さあ。世界が出て行ったらしいけど、彼が何を考えているのか私にはわからないわ。彼としては、義体のほうを早いところ実証したいみたいね。私としては、どうでもいいことなんだけど」
「君は拒絶症だったものね」
「その言いかた、キライなの。このチカラは神から授かったものなのよ」
「チカラ、ね。……世界の目的は?」
「言ったとおり。試験型義体の実証実験。死心による模倣子汚染を受けたレズビアンカップルに、彼女の能力とカラダを与えたらしいわ。おかげで死んだはずの人間は、一生ヒトの心の中で生き続けるようになったとか。魂としてね」
「そいつは、ただのデータだ」
「そう、ただのデータ。だけどそれは、一つの意識体のように振る舞っている。そして生物のように――もっとも同性愛だけれども――互いをむさぼるように求め合っている……。ま、問題は、警察が出てきたことかしらん」
「捕まるのは時間の問題か」
「でしょうね」
言って、女教皇は右手に持ったロゼを一口、口へ運んだ。
「世界の計画がどうなろうと知ったことではないわ。彼は、彼が思うほど『彼女』を理解できていない。真に理解できているのは私だけよ……。ゆくゆくは、彼にも退場してもらうつもりだから」
「狡猾な女だ。私も消されるかもしれない」
「かもね」
女教皇は口元をゆがませ、静かにほほえんだ。




