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4-8

 そのころ二瓶アスカは、一人、助手席座り込んでいた。静かに目を閉じ、カラダを休める彼の姿は、はたから見れば眠っているようにさえ見える。しかしその実、彼の脳は覚醒しており、いま意識は電脳の中で活発に動いていた。

 そのとき彼の意識は、彼の過去の記憶にアクセスしていた。彼自身の、幼き頃の記憶――彼にとってはあまり思い出したくもない、母のカラダを借りていたころの記憶だ。

 あのころからアスカは、自分の精神が徐々に変わっていることに気づき始めていた。

 義体には、その使用者である電脳のクセや性格、趣味といったものの残滓があることがある。それは俗に模倣子ミームとも呼ばれる。

 現代の技術では、いまだ義体に残された模倣子を観測、あるいは取り除くすべは見つかっていない。というよりも、そもそも模倣子がどのようなものであるのか詳しくは分かっていないのだ。ただ、そのような物が存在すると証明できるだけの結果は見つかっている。

 ゆえに、義体相互貸借によって、他者の模倣子が自己に影響を及ぼす場合が存在する。このような現象は、専門用語で模倣子ミーム汚染とも呼ばれているが、実のところ報告例は少ない。アスカは、その数少ないサンプルの一つだった。

 アスカに影響を与えたのは、母胎の安らぎではなく、母の性格そのものだったのだ。元々女性義体への適正はあった彼だが、他人の義体――それも母という女性――を使ったことで、女性としての仕草や思考のクセが電脳にまで染み着いた。汚染はそう簡単に起こることではないが、アスカは繰り返し母親の義体に忍び込んでいたため、結果的、彼の電脳には母の模倣子が伝染うつり込むようになったのだ。

 そしてアスカは、そのときと同じような感覚を、ムシに乗っ取られたときに感じていた。はじめは何かの間違いだと思った。しかし、記憶をよみがえらせ、模倣子がうつってくる感覚を思い出してみると……それは間違いではないと分かった。

 犯人は――涼村リリは、模倣子汚染を起こしている。彼女の人格には、別の人格の模倣子が忍んでいるように感じられる。間違いない。それは多重人格などではなく、涼村とはまったく異なる思考様式をとる、まさしく別人だった。

 アスカは起きあがると、すぐにエレンに電脳通信をかけようとした。しかし、応答がない。

「えー、ようやく犯人の動機が分かってきたってのに……」

 もう一度通話を呼びかけてみる。

 しかし、やはり応答は無い。エレンは黙りを決め込んでいる。呼び出しには応じない。コール音がむなしく響くだけだ。

 そう思っていたとき、どこからともなくエレンの声が聞こえてきた。

「ちょっと出てくるわよ!」

 それは、人工声帯から発せられる声。空気の振動。エレンは、バンのすぐそばにいた。彼女はハッチを強引に開けると、相棒のHAL-1250Fを呼び出す。電動の黒馬は乗り手を認めると、雄叫びをあげてアスファルトを駆けた。


     *


 漆黒の電動バイク、HAL-1250Fを駆って、エレンは逃亡者を追いかけた。ハルは車体前後に備えられた警告灯を瞬かせ、さらにサイレンの轟音を響かせた。人通りの少ない住宅街に、耳をつんざかんばかりの警報が鳴り渡る。

 しかし、それにもましてあの義体だ。

 エレンは部屋に入ったとき、室内からは人気のようなものを全く感じなかった。まるで死んだように静かだった。義体もまた、生きているようには見えなかった。それにあの数からしておそらく、不要になった義体を譲り受けているのではないかと踏んでいた。であるならば、他人の義体に潜るなんてことはあるまい。

 ああして義体を多く持つ人間には、何種類かいる。自分の姿をその日の気分で変えたがる金持ち。あるいは、殺人の趣味を不要になった義体で補填する犯罪者予備軍だ。エレンは、てっきり涼村は後者であるとばかり思っていたが……。

 ――あの義体は何なんだ……?

 追いかけながら、彼女は思った。

 ハルはアクセル全開。電動モーターの静かないななきとともに、大地を咬み、疾駆する。しかしいくらアクセルを開けても、追いつけそうにないのだ。おかしなことだった。相手は全身義体であるとはいえ、クルマでもバイクでもない。なのに、ハルよりも速い速度で走り続けている。そんな芸当が出来るのは軍用や警察用といった高性能義体。あるいは、違法改造の施されたものだ。ブラックマーケットを見てみれば、違法改造を施された義肢は大量に出回っている。もちろん、使用は事故責任の名の下である。万が一であるが、掃除クリーンアップしていなければ、模倣子汚染を引き起こす可能性もあり得るからだ。

 ――じゃあ、あの義体はなんなの?

 住宅街を駆けながら、エレンは思った。

 でも、なんとしてでも追いつかなければ……!


     *


 恭介は腰を抜かした状態で、そのまま唖然として室内にいた。一瞬の間に涼村とおぼしき義体は飛び出していき、またエレンもそれを追って出て行った。残されたのは恭介だけだ。

 彼はこんな醜態は誰にも見せられまいと、何とか腰を起こした。はじめは上手く力が入らなかったが、何度か試しているうちに全身に力が戻ってきた。

 そうして立ち上がったとき、ちょうど誰かがドアを開けた。

 一瞬、恭介の体に再び緊張が走った。

「大丈夫だよ。私だから」

 と、聞き覚えのある声。

 薄暗い影の中から顔を出したのは、二瓶アスカだった。

「うっわぁ……こりゃまたすごい部屋だなぁ……よくもまあこれだけの義体を集めたこと……」

「そのうちの一体が飛び出していった。おそらく、それが涼村だ」

「それでエレンがハルを連れて出てったってわけか。まあ、エレンのことだからすぐ捕まえるでしょ。……でも、問題は……」

 言って、アスカは壁に吊された義体を見上げ、その肌に触れた。

 全裸の義体が並ぶ光景は、恐ろしいものだ。生気のない義体ほど恐ろしいものはない。それはほとんど死体といっても良いぐらいで、その容貌には死への誘惑(タナトス)に満ちあふれているようにさえ思える。

「犯人は、たぶん二人いる」アスカは言った。

「涼村と、それを支援している女……女教皇プリエステスか?」

「違う。支援者じゃなくて、実行犯は二人いる。いや、正確には一人なんだけど」

「どういうことだ?」

「つまりね……私の電脳にムシが走らされたとき……あのとき、二つの意志を感じたような気がしたの。さっき一人のときにじっくり思い出してみたけど……あれはきっと、模倣子汚染によるもの」

「模倣子汚染って……?」

「誰かの文化的な遺伝要素を継承しているってこと。義体の重複使用によって稀に起きる症状だよ。それによって、もう一つの人格を飼う事ができる……非常に稀なケースだけどね。

 でもあれは、意識というよりは、何か意識らしきもの……劣化コピーのように感じた。それらが少女の体を奪っては、二人がかりで何かをしようとしていたんだ。だから犯人は二人。であれば、その模倣子の原因は、涼村と義体の相互貸借をしていた人間だろうね」

「もう一人の容疑者は――ヒトと呼んでいいのかどうかは別として――涼村と親しい人間ってことか」

「そういうことになるだろうね。それも、ああいうことをしているところからして、おそらく彼女のパートナーだった女性が一番その可能性が高い」

「調べてみよう」

 恭介はそう言うと、直ちにデジタル・アイウェアからデータベースを呼び出す。涼村の情報を探した。


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