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しばらくエレンは、ムシの言うとおりに動き続けた。
悪意あるムシの多くは、義体または電脳をクラッシュさせる恐れがあるが、どうにもこのムシは、あくまでも体の自由を奪うだけのようだった。エレンはエラーログを見たが、確認できたのは身体操作系のエラーのみ。精神汚染のたぐいは発見されなかった。
――じゃあ、このムシの目的はなんなの?
そう考えながら、彼女はムシの動きに身を任せる。巻き付いた大蛇によって、四肢の筋肉を無理矢理動かされているような感じがした。
警察庁の言うところには、このムシの侵入経路がこのあいだのネオ・ラッダイト騒動と酷似しているらしい。だから一之瀬を派遣したという。
しかし、ネオ・ラッダイトに協力するようなハッカーが、どうしてこのような陳腐な事件を起こしている? あるいは、そんな犯人の陰で暗躍しているとでもいうのだろうか。何のために?
考えれば考えるほど謎は深まった。これだけ高度なムシを組み上げていながら、犯人はただ少女をオブジェとして見立てるだけにしか使っていないのだ。しかも、殺人を犯すわけでもなければ、金目のものが盗まれたわけでもない。ただ単に女子高生が誘拐され、裸の状況でオブジェとして見つかった。ただ、それだけなのだ。
エレンはムシに身を委ねても、そのムシの真意は何一つ分からなかった。
どれぐらい歩いただろう。少なくとも感覚では駅から二キロぐらいは歩いた気がしていた。そしてそこまで来たところで、ようやくムシは二人の足を止めさせた。
足を止めた先にあったのは、公園だった。自然公園だ。入り口には知性素材のゲートが立ち並び、その向こうでは滑り台と歪な形をした銅のオブジェがあった。さらに奥に行くと、そこはもはや林だった。電灯の近くには羽虫とコウモリが舞っている。バサバサと、傘を開け閉めするような鋭い羽音が虚空に響く。
二人は公園の中へ入っていった。もちろん、ムシの意志で、だ。
ムシは遊具や公園内の案内表示、史跡跡は気にする様子もなく、一目散に奥の林へと向かっていった。そして、そこで二人は再び歩を止めた。
陽は完全に沈み切っていた。そのうえ高くそびえる木々が、電灯の明かりをふさいでしまっている。そこには微かな木漏れ日が差し込むだけで、ほぼ暗闇と言ってよかった。
暗闇。
忍び寄る音。
エレンの手から、アスカの指が離れる。
と思えば、今度は手のひらを合わせて、また指を絡ませてきた。それも両手で。
それから両手の指を絡ませて、アスカは強引にエレンを押し倒した。暗くてよく見えなかったが、アスカの顔はいつもの気怠そうな様子ではなく、不敵に笑み、恍惚の表情を浮かべていた。
そして、彼女はつぶやいたのだ。
「アイ……」と。
*
「たいへん申し訳ございませんでした!」
謝罪の言葉を述べながら、深々と頭を下げる制服警官三人。
外注の警備企業三ツ和警備の社員三人は、交番に着いたところでようやく事態に気が付いた。しかし、そのときにはもうとっくに手遅れだった。
駅に併設された交番。エレンたちが歩いていった方向とは反対側の出口にあるそこに、恭介は半ば強引に連れてこられていた。
「いや、まあ、こっちもIDタグを出していなかったので、勘違いされても仕方ないかと……」
「しかし、元警視庁、現武装企業のかたを連行するなど、面目次第もございません」
と、警官三人はまた頭を下げる。その角度およそ九十度。清々しいまでの腰の低さだ。
急いでいた恭介は、それからすぐに誤解を解き終わると、大急ぎで交番を出た。そしてデジタル・アイウェアのマップ表示を開き、エレンの現在位置を問うた。
エレンたちは移動中だった。駅からはもうずいぶん離れてしまっていた。二人は、東口から二十分以上歩いた先にある国道沿いの自然公園、その遊歩道を歩いていた。
これでは、歩きでは到底間に合いそうにない。
恭介は駅前に出ると、タクシーを呼び止めた。
*
押し倒された体は、アスカの腕を受け入れるように草原を這い始めた。ゆっくりと、抵抗しているように見せかけつつ、赤ん坊を抱くような優しい手つきで腕を広げていく。
仰向けになったエレンに、アスカは指先を這わせていく。赤い毛先がくすぐるようにエレンの頬に触れた。
「……アイ……」
アスカの口から微かに漏れる声。
誰かの名を呼んでいるようだった。犯人の関係者であることは間違いない。
それからアスカは、左手でエレンの二の腕をさすり、右手でブレザーのボタンをはずしていった。ブレザーがはだけて裾が地面に触れると、今度は下のワイシャツに移る。
エレンは少しだけ抵抗した――これはエレンの意志ではなく、ムシの指示だった――が、アスカがそれを押さえた。アスカのか細い指が、エレンの脇から二の腕、それから指先へと這っていく。五匹の蛇がのたうちまわりながら進み、やがてその先端で番いの五匹たちと出会う。蛇たちは求めるように身を寄せ合い、絡ませ合い、そして甘い吐息を漏らした。
エレンの口から、エスプレッソの香りが漏れる。そして吐き出されたその二酸化炭素を、アスカの微香が密やかに吸い上げた。
唇と唇の距離が近づいていく。アスカの吐息がエレンへ、エレンの吐息がアスカへ。自分の鼻息が荒くなっていくのがエレンには分かった。
――アスカ、早くしなさいよ!
逆探知が終われば、すぐにでもムシを駆除すればいい。しかし、アスカはまだおかしなままだ。
――はやく! 早くしなさいよ!
呼吸が速くなる。心拍数が上がる。精神状態がおかしい。ムシのせい? いや、それだけじゃない。状況に飲まれている。カラダが熱い。服が邪魔くさい。アスカの指が冷たくて気持ちいい……。
そうして精神がぶっ飛びそうになったときだ。
目の前にあったアスカの顔が、突然離れた。アスカは急に起きあがると、目を丸くしてから何度もまぶたを瞬いた。
アスカは、エレンに馬乗りになったまま叫ぶ。
「見つけた!」




