3-22
呉石譲二は幻の中にいた。彼自身、電脳が幻覚物質に侵されていることは理解できていたが、しかしもはや不随意になってしまった彼の電脳がそこから脱するのは難しかった。夢から醒めたくても、時が来るまで決して醒めることがないように。
――やめろ、あの時間を再現するな……。
呉石は、いまの自分にできることをした。すなわち、状況と意識の乖離を目指した。今の彼は、オフラインでしかも電子防壁を張っている。ふつうなら侵蝕はほぼ不可能。仮にできたとしても、セキュリティが警報を発するはずだ。しかし、現に相手は呉石の電脳にムシを仕込み、起動させた。そしてそれが現実として、彼の脳内で感覚として動作している。それはほとんど現実の感覚と遜色ない形で、彼の脳に刺激を加える。ヴァーチャル・リアリティの一種だ。
しかし、VRにももちろん離脱法がある。それが、肉体感覚を呼び起こすこと。夢想と意識を乖離させ、強制的に義体へと意識を呼び戻す方法だ。
彼は頭の中で念じ続けた。
――これはもう過ぎたことだ。惑わされるな。俺がやるべきことは、目の前にある爆弾を解除することだ……。
席に座った仙那と高津がのぞき込むように呉石を見ている。
《呉石、やっぱり今日のお前おかしいぞ。もう解除はあきらめろ》
仙那が語り聞かせるように、穏やかな口調で言った。
しかし、呉石はその言葉をまともに取り合ったりしなかった。
「これは、今日のことじゃない……」
実際に口に出して、カラダの感覚を呼び覚ます。
現実を意識する。罠から逃れるために。
もうあのときの自分ではない。無鉄砲さは変わらないし、相も変わらず正義というような曖昧なものを信じているし、市民を守ることこそが警官の勤めだとも願っている。そして、そのための努力は惜しまないと誓っている。
だけど、いまの自分にはそれをやれるだけの自由と、責任がある。もはや警察庁の下請けで、その下請けを脅して回るようなヤクザな仕事は辞めたんだ。
「俺はもう……CITの人間なんかじゃない! 俺は、一之瀬の社員だ!」
ハッとして、息を呑んだ。
現実認識が戻ってくる。世界に色が着くように、先ほどまでの薄暗い過去のイメージから今現在の状況で。彼の眼前にはディスプレイを備えたGPS起爆装置と、それにつなげられた無数のG8爆薬が積まれている。ざっと見積もっても、TNT換算でおよそ二十五キロ近くはある。これが爆発したら、たとえ最新鋭の警察庁庁舎と言えども、鉄骨からなにまで軽く吹き飛ばせる。
早く解除しなければ、捜査員からお偉方までドカン! だ。おそらく避難は始まっているだろうが、それでも被害は相当なものになる。
呉石は一瞬、窓から外を見た。
彼は思わず舌打ちしてしまった。もう霞ヶ関に入ってきていたからだ。
彼は腰に差したナイフを取り出すと、それでケーブルを切り始めた。間に合うかどうかはわからないが、やってみないことには始まらない。まずは起爆装置と爆薬の接続を切る。四年前とは違い、トラップに細心の注意を払いながら。
最悪の事態が起きた。
最後に二本残ったのだ。それも、赤と青の二つ。そのどちらかが起爆装置と爆薬を繋ぐケーブルで、もう一つはダミーケーブル。おそらくそちらを切ると、もれなくトラップが発動。爆発する。
G8プラスティック爆薬は非常に安定した爆薬だ。起爆装置から外れていれば、ハンマーで叩いても爆発しない。炎を付けても燃料として使えるだけで、大爆発を起こすようなことはない。そこまでもっていければ本望なのだが……。
しかし、もう迷っている時間も無かった。もはやバンを止めるものは無く、警察庁に向けて走り続けている。あと三分もしたらドカンだ。
どちらが正しいか、もはや直感に頼るしかなかった。
と、そのときだ。
突然、バンに強い衝撃が加わって、大きく車体が揺れた。自動運転はなおも健気にアクセルを踏み続けているが、しかし車体は巨大な『なにか』にぶつかって車輪を空転させている。
それは、ART-Xクロガネ――黒田恭介だった。
「呉石さん! 僕が止めているうちに、早く!」
恭介がコクピットハッチを開けて大声で叫んできた。
――わかっている。わかっているとも。
このとき、呉石には分かった。四年前の自分と違うもの。それは、自分と同じ考えをしてくれている仲間がいることだ。四年前は、誰も呉石のことを信じてくれなかった。当然と言えば当然だが、みな多少の犠牲などやぶさかではないと言って、警官らしからぬ行動を――いや、お役所仕事らしい主義を貫き通していた。でも、今は違う。
「ふん、なるほど。そういうことか」
呉石は言って、少しだ笑った。
そして彼は、ナイフの切っ先を青いコードの下にいれたのだ。
「あばよ、政府警察。俺はもう企業の人間なんだよ」
刃をクイと上に上げた。青いコードが少し揺らいでから、プツンと切れた。
その瞬間、時が止まったように呉石は思った。だが彼は、不思議な安心感とともにその緊張をやり過ごした。
まもなく、青いコードが切られたのを皮切りにGPS起爆装置のコントロールパネルが停止。送電も中止され、起爆装置の電源ランプから明かりが消えた。
爆弾は、解除されたのだ。




