3-15
黒田恭介の視界は、依然として暗い闇の中にあった。光は目の前で揺れる切れかけの電球と、奥から差し込む太陽の光だけ。薄暗闇に彼の目も慣れてきたが、しかしそれでも意識は朦朧としていた。
縛られた手足は、どうにも動きそうにない。脱出するなど非力な彼には無理そうだ。
そんな絶体絶命の状況の彼を、見下ろす女がいた。
女教皇。彼女は、ラバースーツのような白のライダースーツにパール・ホワイトのフルフェイスヘルメットを被っていた。ヘルメットはどうやらデジタル・アイウェアも兼ねているらしく、シールドの部分だけが妖しく光っている。
「……黒田恭介、で合ってるかしら」
女は静かに言った。
恭介は初め黙っていたが、女の気迫に負けて小さくうなずいた。
「そう。じゃあ噂どおりあなたも拒絶症なのね」
「……あなたも……?」
「そう。わたしもあなたと同じ、先天性電脳施術拒絶症。電脳化のできない、この社会からつまはじきにされた人間。どうお仲間に会った気持ちは?」
恭介は黙っていた。というよりも、理解が及ばなかった。ネオ・ラッダイトは電脳化の普及に反対する立場だ。たしかに、拒絶症に寛容なのはわかる。しかし、この女は何者なのだ……?
しばらく黙っていると、女教皇のほうから口を開いた。彼女は大きなため息をついてから、
「教えてあげる。わたしの目的はね、そんなわたしたちを差別する社会への報復。そのためにネオ・ラッダイトと協力させてもらってるの」
「……報復……? 一連の事件は、社会への報復が目的なのか?」
「そうよ。そしてわたしは、世界を破壊し、世界を救うために戦っている……。来るべき日を止めるためにね。いずれ世界中の人間は『彼女』に支配される運命にある。わたしは、それを止める」
「……彼女? それはなんだ」
「さあ。それを調べるのは、本来あなたたちの仕事じゃないの? 警察さん?」
彼女があざ笑うように言うと、高杉が戻ってきた。
高杉は何かを女教皇に耳打ちした。恭介は必死に耳をそばだてたが、何も聞こえてこなかった。
それから彼女は高杉より耳を離し、何度かうなずいてみせた。
「そう、わかった」と女教皇「すでに捜査本部にゲームの概要は伝えてある。あとは君たちが動くだけよ」
「わかりました。それで、この男はどうしますか」
「君の部下を一人残して。殺しができるヤツをね。そいつに審判をやらせるわ」
「分かりました。では、我々は先に出発しています。トラックのほうも霞ヶ関へ。女教皇、あなたは……」
「わかってるわ。契約通り、あなたたちの支援はする。でも、所詮これは計画の一端にすぎないのだと分かってね」
「了解です。ともに来るべき日を止めるために」
言って、高杉は部下たちを連れ、光のほうへ消えていく。
彼らはトレーラーに乗り込み、まもなくそれは出発した。荷台の大きさからして、外装義体の運搬車両だろう。トレーラーは二台。最低でも二機のシオン改がこれから作戦行動に展開される。
しかし、恭介はもう一つ気になることがあった。トレーラーに引き続いて、小型のバンが発車していったのだ。その車両には、どうやってもクグツは乗せられない。では、サイボーグの襲撃部隊だろうか?
恭介はそう思ったが、考えをはじき出す前に、女教皇が話し始めた。
「黒田恭介、君に選択権をあげるわ。同じ拒絶症の仲間として、わたしとともに来るか。それともここで死ぬか」
「警官殺しは重罪だ。警察は、血眼になって君らを捜すぞ」
「つまり殺されたい、と? そう、じゃあ好きにすれば。でも、あなたのお仲間は来ないわ。だってわたしたちは、これからその『警察』をつぶしに行くんだから」
「……どういうことだ」
「そうね。わたしの提案に乗らないということは、君には死しか残されていないわけだから……。いいわ、教えてあげる。
わたしは先ほど、君の兄君に連絡した。ゲームをしようってね。これから都内に現れるクグツをすべて取り押さえられれば、君たち警察側の勝ち。我々は敗北を認め、人質を解放する。だが、もしクグツを取り押さえられなければ、人質は殺す。そして、犯行はこれからも続く……。
しかし、これはフェイク。君も言ったとおり、警察は身内が傷つけられることに対して非常に敏感。君の兄君は『弟などいない』と言ったけれど、しかし警官を傷つけることは許さないと言ってきた。奴らは血眼になってクグツを追うだろうね。だけど、我々の目的はそれではない。その間に、警察庁へ爆薬を積んだ擬装バンを届ける。配達業者に擬装したバンに、大量のG8爆薬が積んである。車両は自動運転で警察庁に届けられる。そして、捜査本部に集結した捜査員は官民問わずボンッ! だ。このテロは、法の守り人までも電脳の盲信させようとする社会を崩壊させる、その第一歩だ」
「……それが目的か」
「そう。クグツは、あくまでも爆破のための余興。君もその余興のための一材料に過ぎない。もっとも、元警察庁の拒絶症というから、わたしも少し気になっていたのだけど。……でも、飛んだ見当違いだったわ。まあそういうわけで、君はどちらにしろ殺される。わかったかな?」
女教皇は、ヘルメットの下で妖しく嗤い、吐息を漏らした。
それから彼女は、アジトに残った一人の部下――拳銃を携えた、身長一九〇センチはあろう大男だった。おそらくサイボーグだろう――に「頼んだ」と一言残すと、戸外に停めておいたバイクへと向かっていった。
そして女教皇は、古めかしいガソリンエンジンに火をつけた。ぶるんと大きな音を立てて、バイクは始動する。
するとそのとき、思い出したように女教皇は叫んだ。エンジン音に掻き消されてしまいそうだったが、恭介はなんとかそのすべてを理解した。
「最期に良いことを教えておこう。シオン改は、自らの姿を消しているんじゃない。わたしが消してるんだ」
直後、けたたましいエキゾーストノートと共にバイクは光の中へと消えていった。
そうして薄暗い廃屋に残されたのは、ついに恭介と執行官の二人だけになった。




