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3-13

 黒田恭介の失踪から、およそ一時間が経過していた。しかし、それでも一之瀬社が掴めている情報は、彼が北池袋周辺のコンビニエンスストアの防犯カメラに写っていた、という大まかな情報だけ。それも、エレンが作戦行動を開始する以前のものだった。デジタル・アイウェアに呼びかけをしても応じる気配はなく、完全に失踪したものと思われた。理由は不明。とにかく黒田恭介は消えたのだ。

 そのせいで一之瀬のオフィスは、重い空気に包まれていた。エレンは黙ったまま机をトントンと叩き続けているし、坂本はいつになく神妙な面持ちでいる。しかし呉石だけは、訳知り顔をしていた。

 呉石はデスクに腰掛け、冷めたコーヒーを啜りながら、涼し気な顔で言った。

「逃げたんですよ、アイツ。黒田のやつ、どうにもストレス障害を起こしてました。それは二人も分かってたでしょう? 何か耐えきれなくなって、逃げ出したんですよ。拒絶症ハンデを負いながらも必死でやってたんですから」

 一瞬、その言葉に坂本はうなずきかけた。が、すぐに頭を上げた。否定したくも無いが、肯定したくもない。それが彼女の思いだった。

「やつも事情はあるでしょうよ。いちおう電脳障害二級ですし、少しぐらい見逃してやっても――」

「ちがうわ!」顔を伏せていたエレンが、貧乏ゆすりをやめて声を上げた。「キョウスケはそんなことしない。それは、バディのアタシが保証する。ジョウジだって分かるでしょ? アイツは、逃げたりなんか……」

 エレンは怒りに身を任せるように、机上のプリントを鷲掴みにし、くしゃくしゃに潰す。その行動に呉石は呆然とし、また坂本は静かに黙っていた。

 しばし沈黙。エレンは目を伏せ、深いため息をつく。

「……ゴメン。空気悪くした。外の空気吸ってくる」

 それからエレンは、力の抜けたように体をイスにあずけた。そしてひときわ大きなため息をついてから、彼女はオフィスを出て行った。


 エレンが屋上に出ることは少ない。電子タバコを吸いたい時は窓際に行くし、サイボーグである彼女に太陽光を浴びることにはなんの意味はない。生身では、ストレス解消に効果が期待できるというらしいが、エレンは新生児義体化手術を受けた完全義体化者だ。肉体の感覚など覚えがない。

 だからエレンが屋上に出るのは、おもに彼女が悪気を感じたときだ。オフィスの空気が悪いとき、自分のミスが責められそうなとき、彼女はへそ曲がりな少女のように屋上へとあがる。このときもそうだった。

 エレンは欄干に肘をおいて、電子タバコを吸った。エスプレッソ味のカートリッジ、ミルク多め砂糖多め。吸っていると、焦げたような味がしてきた。どうにもコイルの交換どきのようだ。

 彼女はとりあえず一服して、ぼんやりと虚空を見た。正確には、視界上に映るウェブブラウザーだったが。

 ――いまは、いまできることをやるしかない。アイツだって、曲がりなりにも警察官なんだから。

 エレンはそう自信に言い聞かせて、ブラウザーを見やる。彼女が見ていたのは、リアルタイムで更新される捜査資料情報だった。エレンはデータを同期させながら調べ物をしていく。今の彼女の関心事は、消えるクグツと消えた男にあった。

 まずはじめに、エレンは逮捕されたパイロットの調書を開いた。しかし、文頭には、『当該人物は、電脳に指向性プログラムが仕掛けられており、捕縛と同時に起動。記憶情報と言語野に甚大な被害が生じた。そのため、これ以上の調査は不可能と判断する』とあった。つまるところ、ネオ・ラッダイトの電脳にはムシがあり、捕まったら自決した……ということだ。まったく使えそうにない。

 次にタウンゼント社の戦果報告デブリーフィングを開いた。彼らが言うには、やはり目標シオン改は、視覚的にも熱源としても消失しているとある。まるで霧隠れ。はじめからそこには存在していなかった、とでも言うように消えてしまう、と。

 エレンもその意見には賛成だった。しかし、どうにも彼らの見解は腑に落ちない。タウンゼントに言わせれば、もっとも確率の高い擬装カモフラージュ方法は、政府警察見解と同じ熱源擬装外套サーマル・カモ・マント電磁迷彩(ECS)の併用らしい。それだけでもテロリストとは思えぬ莫大な予算がかかるが、しかしこれがもっとも現実的な手だという。エレンは納得できなかったが。

 しかし、その次に「実現可能性に乏しい」と記されている候補があった。正直なところエレンはそちらのほうが気になった。

 それは、超ウィザード級ハッカーによるリアルタイムの映像改竄という説。作戦地域(AO)に展開中のクグツ、電脳化者、その他監視カメラなどすべてにハッキングし、リアルタイムで情報を改竄し続ける……というもの。もちろんそんな芸当は、並の人間にできるはずがない。

 ――だが、できたヤツがいたとしたら……?

 エレンの脳裏にイヤな予感がよぎる。

 そして次の瞬間には、彼女は交戦区域一帯の監視カメラ映像を集めていた。その数、百以上。さらにそれから、クグツを捉えたものだけを抽出。そしてさらに正午ごろ――すなわち、シオン改が姿を消した時間――の映像のみをピックアップ。残ったのは、わずか三つだけになった。

 彼女はまず、クグツを正面から捉えたN+システムの映像を見た。シオン改は、ケイト・キリサキのアーマライトと交戦。そしてアーマライトがEMPグレネードを放った、そのあとのことだ。攪乱材チャフと土埃が晴れ、視界が開けるのと時を同じくして、映像から機影がサッパリ消えたのだ。どこにもオリーヴドラブの巨人はいない。

 次にエレンは、別位置のN+カメラの映像をみた。今度は機体右側面。本来対向車線を監視するためのものだ。そこには、やはり煙が晴れるのと同時、機影を消してしまうシオン改の姿があった。本当に霧隠れだ。

 最後に、近くのコンビニエンスストアの防犯カメラを見た。コンビニから

シオン改までは距離があったが、拡大ズーム鮮明化クリアリング処理をすればどうということはない。エレンは一通りの処理を終えると、指定位置から再生。彼女が見たいのは、消える瞬間だった。

 シオン改が消えたのは、午後十二時三分三十二秒。エレンは、その時点から再生を開始した。だがそのとき、映像は妙なものを映し出したのだ。

 エレンは不自然に思い、消える映像を再び再生する。

 ――やはりそうだ。

 エレンは確信を持った。

 カメラの距離に応じて、シオン改が消えるタイミングに微妙なタイムラグがあるのだ。

「……この距離じゃ光の速度では誤差は出ない。だとしたら……リアルタイムでの映像改善の反映にラグが生じていると言ったほうが……」

 そのほうが、しっくりくる。

 ネオ・ラッダイトはECSや熱迷彩を装備しているのではない。天才的なハッキング技術を持つ何者かが、彼らを支援しているのだ。

 エレンは、そのことをすぐにでも捜査本部に共有しようと思った。だが、この事件には武装企業に捜査権限はない。何を言っても警察庁は取り扱ってくれないかもしれない。

 ――でも……。

 エレンがそう思ったとき、再び脳内に警報音が響いた。それから《緊急通信:ネオ・ラッダイトからコンタクト》と視界上に強制表示された。

 それから、音声のみの通信が彼女の聴覚野に聞こえてきたのだ。


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