3-12
ハルとともに後退したエレンは、擬装バンが待つ高架下へ向けて走っていた。ハイウェイを降りて、下道へ。そのときちょうど彼女の耳にもケイトがクグツを逃がしたという情報が入ってきた。
《それ、よろこぶべき? それともしないほうがいい?》
エレンはハルを走らせながら、彼女の義脳に問うた。
《事件解決が遅れることになるのだから、よろこぶべきではないと思うが。……しかし、目標は前回のように姿を消してしまったようだ。うち一機は確保に成功し、パイロットは警察庁のほうで身柄を保護されるらしい》
《となれば、あとは尋問。それからは時間の問題か》
《だといいが》
ハルはいつになく弱気だった。それもそのはず。彼女も一度シオン改に逃げられ、そして今度は出番を奪われたうえ、タウンゼントのクグツすら逃がしたというのだ。弱腰になるのももっともなことだ。
それからエレンは高架下に着いた。駐車場には営業車が数台停まっており、擬装バンはそこから少し離れたところに駐車されていた。
エレンはバンの後ろにつけると、恭介にダイアル。しかし、恭介から応答はない。しかたなく、彼女は大声を張り上げる。
「ちょっと、何やってんのよキョウスケ! 早くハッチ開けなさいよー!」
だが、やはり応答はない。
しかたなくエレンは、ハルから一度降りて運転席のほうへ回った。そしてそのとき、彼女は気づいたのだ。
運転席に誰もいない。しかも、鍵が開いたままになっている。まさか仕事中に彼がどこかへふらっと出掛けるなんてはずはない。じゃあ、どこへ行ったというのだ……?
すぐにエレンは、坂本にコンタクト。通信回線を開く。
《ねえチーフ、キョウスケがいないんだけど。どこに行ったかしらない?》
《黒田君がいない? ねえエレン、消えるのはクグツだけにしてくれない? まさか彼が蒸発なんて――》
《本当にいないのよ! 何か聞いてないの、チーフ!?》
《……その口振りだと、本当みたいね。ちょっち調べてみる》
《お願い。なんかイヤな予感がする》
通話終了。
それからエレンは一人運転席に乗り込むと、ハッチ開閉スイッチを押して、ハルを格納部へ。念のためエレンは車内に隠れていないか捜してみたが、しかし恭介から返事が返ってくることはなかった。
*
橙色の光が、風に揺れる提灯のように右へ左へ、のらりくらりと光を散乱させている。しかしいま彼が目にしている明かりは、蝋燭の炎のような暖かさや優しさといったものは、いっさい持ち合わせていなかった。それが放つのは、目を焼くような強烈な光線。黒田恭介が目を開け、初めて見たものとは、それだった。
自分がどこにいるかはわからない。しかし、何となくここが倉庫かどこかであるとは分かった。どうやらデジタル・アイウェアも外されているみたいで、視力矯正がうまくいっていない。見えるのは、例の強烈な光だけ。右へ、左へ。行ったりきたり。まるで催眠へと誘うコインのように、恭介の視界をたゆたう。
やがてその光と闇のコントラストに目が慣れてくると、恭介の視界もハッキリしてきた。そして光の下にヒトがいることに気づいた。薄暗い、電灯が一つ点いているだけの空間。そこに立つ黒いインナースーツ姿の男。身体にフィットしたマットブラックのスーツに、その上からミリタリージャケットを羽織っている。顔にはサングラス。そして男は青髭をかきながら、恭介を見つめた。
そこで恭介は、自分が拘束状態にあるのだと気づいた。両手両足ともに結束バンドによって固定されている。イスに縛られた状態で、後ろ手で固定されている。
「目が覚めたか、黒田恭介」
男が言い、見下したような目で恭介を見た。
恭介は、その男の顔に見覚えがあった。しかも、捜査資料の中でだ。
その男は、高杉仁。元陸上自衛隊レンジャー義体化部隊。外装義体の訓練経験を持つ、ネオ・ラッダイト構成員の一人。捜査資料上、要注意人物として指定された者の一人だ。
恭介は黙っていた。というよりも、なんと言葉を発すればいいか分からなかった。
やがて沈黙を守っていると、高杉のほうから勝手に話を始めた。
「そうだ。我々はネオ・ラッダイトだよ、黒田元巡査部長。そして我々は、君のことを知っている。警察庁で唯一の電脳施術拒絶症。……まあ、いまやその下請け企業だがな」
「……何の用だ」
「何の用? そうだな。我々は君に、選択肢を与えようと思うんだ」
「選択肢?」
「そうだ。もうすぐ女教皇が来る。あとは彼女に聞くことだ。しょせん私は、『来るべき日』を止めるための先兵に過ぎんのだからな」
彼はそう言うと、恭介の顔をじっくりと見回してから、去っていった。
彼の陰に隠れていた光が、再び恭介を照らす。そしてそのとき、闇に慣れた瞳が部屋の奥を見通した。
遠く、三十メートルぐらい先に光が見える。人工の光ではなく、太陽の明かりだ。淡い青の輝きが見える。そしてそこに、黒い影が入り込んでくるのが見えた。どうにもトラックの用だ。重たいエンジン音が腹の底にまで響いてくる。
――ここは、ネオ・ラッダイトの隠れ家か……?
だとしたら、何とかしてこの位置をエレンに伝えなくては。
恭介はそう思ったが、今の彼にはどうしようもない。デジタルアイウェアはなく、電脳ももちろんない。外部装置を奪われた彼は、もはや孤立無援の状況にあるのだ。
心の中で舌打ちした。どうして……どうしていつも自分はこうなんだ……。自分への叱咤が、きつく縛られた手足に苦痛となってのし掛かる。締め付けられるような痛み。血の巡りが止まっているからか、指先が痺れてしかたない。
――ダメだ。どうにかして脱出しないと……!
そう思った矢先だ。
HAL-1250Fを思わせるエキゾーストノートが、暗い屋内に響いてきた。恭介は一瞬、それが希望の音色に聞こえて、顔を上げた。しかし――
光が漏れいでる場所。トラックの影が落とされる場所に、一台のバイクがやってきた。だがそれは、ハルでもエレンでもなかった。古めかしいガソリンエンジンのネイキッド・バイクに乗る女性。体にフィットした純白のライダースーツにフルフェイスヘルメット。後頭部からは焦茶色の髪が滝のように流れている。
その女は、エレンと違い、グラマラスな容貌だった。顔を見せずとも分かる。エレンとは大違いの、大人の雰囲気。その女は、ラバースーツのような白のスーツを輝かせながら、恭介の元へと近づいてきていた。
――彼女が女教皇か……?




