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 それからエレンは、アスカからVorの情報を優先して並列化してもらえるよう頼んだ。Vorは匿名性が高いぶん、ムシが仕込まれている可能性も高い。アスカは、ウェブページのコピーではなく、スクリーンショットという形でならメッセージデータを並列化してもいいということで快諾した。

 そうして二人は、アスカのオフィスをあとにして、次の手がかりを探しにいこうとした。だが、そのときだった。

 突然、全捜査員に向けられた捜査本部からの緊急回線が強制接続された。エレンもアスカも、そして恭介のデジタルアイウェアにも、突如として映像が表示された。

 そこには、平面上に『音声限定(Sound Only)』と記されていた。それから上部にテロップが表示される。それはおそらく捜査本部が添付したと思われる追加情報だった。見れば、「ネオ・ラッダイトと思しき人物から通信」と記されている。

 すぐに音声が聞こえてきた。

《もしもし。警察庁の蒲田クグツ・テロ事件捜査本部ですか?》と、ねじ曲げられた合成音声。ネオ・ラッダイトだろう。

《そうだ。私は黒田響也。あなたは?》

 と、今度は低い男の声。恭介の兄、響也の声だ。

《昨日、蒲田にクグツが現れましたよね? あれの仲間です。ネオ・ラッダイトっていえば、公安の人は喜びますか?》

《……どうでしょうかね。あなたのことは何と呼べば?》

《そうだね。仮に「ヨハンナ」としようか》

《わかりました。では、ヨハンナさん。そちらから通話をしてきたということは、何か用件があると考えてよろしいですか?》

《なんで警察は、こうも先を急ぎたがるんですかね? ……まあいいや。あのね、わたしはおしゃべりを楽しみたいだけなんですよ》

《では、何の話題について話しましょうか?》

《そうだね。クグツについてとか、どうかな? あんたら、ウチのクグツについてどれぐらい分かってる?》

《中国製、JB-2シオンの改造型。装甲を強化し、カメラアイを全周囲型に改造。入り組んだ都市部での戦闘に特化させた機体と見える……どうです》

《ご名答。それでは、正解者には次の問題を教えてあげよう。……では問題。我々はそのクグツ、シオン改を何台持っているでしょう? いや、何台を都内に持ち込んだでしょう? 正解はあなたたちの眼で確かめてみてね。さて、次はどこに現れるでしょうか》

《……我々をもてあそんで、捜査を攪乱することが目的か》

《だからなんでそう急ぐかなぁ。わたしたちの目的が何かは、分かってるでしょう? わたしたちの目的は、すべてネオ・ラッダイトの崇高な理念にたどり着く。それこそが、来るべき日(シンギュラリティ)の阻止……。それぐらい知っているでしょう。ねえ? じゃあね、警察庁の黒田さん》

 そして、そこで通話は切れた。音声限定の表示は消えて、捜査本部の会議室を映す監視カメラ映像に切り替わった。

「逆探知は?」と響也が叫ぶ。

「だめです。相手はVor回線を使っているみたいで、探知は不可能。海外の回線を複数経由しています」

 捜査員の一人がそう言って、響也は机を苛立たしげに叩いた。捜査に進展はない。まるでネオ・ラッダイトは、警察をあざ笑っているようだ。

 黒田響也は黒髪をかきあげると、白い肌を赤くさせて言った。

《全捜査員に告げる。早急に目標を発見せよ。おそらく被疑者は、次の攻撃に備えている》


     *


 来るべき日(シンギュラリティ)

 それは、かつて小規模な政治団体にすぎなかったネオ・ラッダイトが、巨大な組織へと変貌した原因だった。しかし、それにより純粋な政治組織ではなく、どちらかといえば宗教色の強い過激派組織へと変貌していった。

 技術的特異点シンギュラリティ――もともと、フィクションで語られるに過ぎなかった事象。科学技術が人類文明に大きな変革を与えるまでに成長し、もはや人間の生活は過去へ戻ることはできなくなる……。元来そう言った意味で使われていた言葉は、電脳・義脳技術の出現によって目前の脅威へと切り替わった。もはやフィクションの存在ではなく、目の前に横たわるリアルになってしまったのだ。

 そして電脳が一般的になりはじめた二十年ほど前から、ある噂がまことしやかにささやかれるようになった。それが、『来るべき日(シンギュラリティ)』という考え。ネオ・ラッダイトの根幹に根ざす、終末思想だ。

 その思想の根幹には、|インテリジェント・デザイン《ID》論などが含まれてくるが、つまるところ彼らが阻止したいのは、人とネットワークの癒着。そして義脳技術の高度発達化だ。

 彼らの思想では、宇宙とはインターネットと近いものだと考えている。我々の肉体の内に小宇宙が存在するのと同じように、常に肥大化を続ける電脳空間もまた、一つの宇宙であると考えているのだ。そして、その宇宙というのは、何らかの意志を持っているというのが、彼らの共通理解である。宇宙が何らかの意志を持って生物を生み出したのと同じように、その世界にとって高次の知性体が、何らかの干渉をもって宇宙を想像する。それが宇宙の意志とも呼べるものだが、問題はその宇宙=ネットワークと、人間の身体の癒着だ。

 前世紀より、人はインターネットを創造してから、手を変え品を変え、その接続方法は変わりながらも、ネットに癒着した生活をしてきた。そして現代、ついにそれは最高潮に達し、人は電脳と肉体をオンラインにつなぐことに成功した。加えて、義脳と呼ばれる人工知能の創造にも成功した。

 ここでネオ・ラッダイトが警鐘を鳴らすのが、やがてネットが人の意思を超えた存在になるということだ。かつて宇宙の意志が氷河期を起こし、恐竜を絶滅させたように。ネットワークに内在する巨大な意識の流れが、ネットと癒着した人間を終末へと導く。その鍵こそ、電脳と義体。そして、義脳だ。ネオ・ラッダイトは、やがて義脳はヒトを介することなく自己増殖を始めるようになり、彼らが第二の知性体としてネットの中に住まうようになると言っている。そして彼らの意志の総体がネットの支配をヒトから奪い去り、来るべき日(シンギュラリティ)を起こす……と。

 そのような考えが、彼らネオ・ラッダイトの根幹にはある。ゆえに彼らは、政府が推進する電脳義体化政策に反抗しているのだ。発達しすぎた義脳技術は、ネットを食らいつくし、ヒトもろとも殺す……。それが来るべき日。

 しかし皮肉なのは、彼らも政府に反抗するために電脳と外装義体クグツを用いてる点だ。クグツを扱うには、もちろん電脳化が必要不可欠だ。彼らは、魔を断つために、自らを魔に染めたというのだ。彼らは、自分たちこそが来るべき日(シンギュラリティ)を止めるために選ばれた使徒であると信じ切っている。つまるところ、命を殺めることもやぶさかではない狂信者の集まり。だから公安にマークされ、事件は警察庁に委譲までされた……。


     *


 恭介は、捜査資料を読みふけりながらクルマを走らせていた。

 ネオ・ラッダイト。その原初は、大昔のアメリカに現れた連続爆弾魔セオドア・カジンスキーまで遡ることができる。そのころはまだ、技術の発達が下層階級の人間を家畜同然にしてしまう……という政治的な思想が背景にあった。いま日本にいる狂信者たちとは違う。彼らが厄介なのは、教祖のようなものは持たず、ただ己が信念を達成しようとするために、横並びのネットワークを形成することだ。それは、現在の電脳化によるネットの普及も去ることながら、人々の高度電脳化社会に対する根源的忌避感が引き起こした集団ヒステリーなのかもしれない。そしていま、そのヒステリーが最悪の形で現れた。すなわち、テロリズムという形で。

 続報は無かった。警察庁捜査本部からも、アスカからも。ただ、敵が次の攻撃の用意をしているという事実だけが、すべての捜査員に緊張を与えている。……ただ一人を除いて。

 エレン・クロガネは、ハイウェイを走るバンの助手席で、苛立たしげに電子タバコを吸っていた。彼女は右手にタバコを携えながら、左手で貧乏揺すりを続けている。エレンの眼は、どこか遠くを見つめているみたいだった。

「仕方ないだろう」沈黙を先に破ったのは恭介だった。「情報はまだ出てないが、おそらく相手はもうすぐ現れる。それまで僕らはいつでも戦えるように用意しておくしかない」

「分かってるわよ、それぐらい。……それよりアンタ、クロガネはどうしたの? 修理って終わったの?」

「ああ、クロガネか。一通り修理はしてもらって、そのあと武装を追加してもらって……たぶん、今はまだ澪さんに預かってもらってると思うんだけど。ほら、一之瀬の地下格納庫じゃホコリっぽくてダメだから。向こうで預かってくれるって。……そのかわり、いろいろ改造させてくれって言われたけど」

「それでいざって時に動かないと困るんだけど」

 エレンはそう言って、コーヒーのにおいのする水蒸気を吐いた。

「正直、ウチとタウンゼントの装備の差は歴然。連中を出し抜くたって、すぐに警察庁からお達しがくるわ。『あとはタウンゼントにやらせるから、お前らは引け』ってさ。だけどクグツがあれば、ウチでも連中を出し抜けるかもしれない」

「妙にタウンゼントに対抗意識燃やしてるけど、そんなにあのキリサキってパイロットが嫌いなのか?」

「だいっきらいよ。アイツは、自分より上のパイロットがいないからって、好き放題やってる阿婆擦れ女よ。だから、アイツに一矢報いてやるためにも、アンタも頑張るのよ、キョウスケ」

「はいはい……」

 ――頑張る、か。

 恭介の脳裏に、一瞬だけ兄の言葉がよぎった。CBDDの人間など、存在している価値もない。きっと兄は、未だにそう思っている。自分のことを無視し続けているのが、その証拠だ。その兄に、自分の姿を見せつけてやれば。そうすれば、彼の考えだって少しぐらい変わるはずだ。

 ――わかったよ、エレン。

 恭介はそう彼女に応えようとした。

 そのときだった。突然、爆音がしたかと思えば、十時の方向、ビルの谷間から煙が上がっているではないか。

 それからすぐに警察庁からの緊急通信があった。

《クグツの出現を確認。付近の捜査員は直ちに近隣住民の避難誘導、目標の殲滅にあたれ》


 その報せを聞いた途端、エレンは急に笑顔になった。それも、不適な笑みだ。

「聞いたわね。ここからなら、ハル飛ばせば一〇分弱ってとこでしょ。アタシ、行くから」

 エレンはそう言って、シートベルトを外して助手席を這い出る。格納部へと入って、彼女は漆黒のバイクHAL-1250Fに飛び乗った。

 恭介もすぐにハッチを解放。また、偽装カモフラージュを解除し、サイレンを鳴らした。

 警察車両へと変貌した擬装バン。その後ろから、一台のバイクが飛び出す。エレン・クロガネは人馬一体。ハルを我が身のごとく乗りこなすと、ハイウェイを横に突っ切って、高架橋から下道へと飛び降りた。

 サイレンをかき鳴らし、疾走していく一台のバイク。その行く手には、黒煙を上げるコンクリートジャングルがあった。


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