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3-6

 カフェインが効いてきたのだろうか。喉の気持ち悪さは未だ晴れていないが、震えは完全に収まった。

 ――しかし、兄さんは変わっていなかったな……。

 恭介は紙コップを手でいじりながら、ぼんやりと思う。あの清々しいまでの無視のしようは、完全に少年時代の兄と同じだ。あれ以来、響也は一言も恭介と言葉を交わしていない。それはもはや少年時代の喧嘩別れというよりも、血縁に深く根ざした怨恨とも言えた。

 薄いコーヒーを飲む。いまは捜査に集中すべきだ。私情を挟んではならない。

 そう思っていると、屋上に新たな訪問者があらわれた。

「ここにいるって、エレンに聞いてな」

 と、軽い口調で。呉石だった。

 彼は片手に自前のタンブラーを持って、中にはブラックコーヒーが注がれていた。恭介と同じ、給湯室で淹れてきたのだろう。

「震えは収まったか?」と呉石。

「ええ、まあ……」

 恭介は少し弱々しい口調で答えた。

 というのも、呉石が心配してくるのに違和感を覚えたからだ。呉石は、恭介が出向してきた時からずっと、拒絶症の人間であるからと偏見を抱いていた。クロガネを動かしてから多少は見る目が変わったように思えたが、それでも彼は偏見を持っているように見えた。……それこそ、兄のように。

「その症状、ストレス障害だろう?」

 呉石は欄干に背を預け、空を見上げた。

「……バレてましたか」

「俺だってこういう仕事を初めて十年ぐらいだ。ビョーキになるやつはいくらだって見てきたさ。……原因は兄貴か?」

「はい。……呉石さんは、兄さん……黒田警視とお知り合いなんです?」

「かしこまらんでいい。俺たちは一緒に戦う仲間だろ? エレンに話しかけるみたいな調子でいいよ。

 そうさな。この話をするのは、俺も気後れするんだが……お前さんには言うべきか。俺が一之瀬に入社したのは五年前のことだ。それ以前は、違う組織でいまの仕事に近いことをしていた。いわゆる、同業他社ってやつだな」

「他の武装企業ってことです? それこそ、今朝つっかかってきたタウンゼント社とか」

「タウンゼントの連中は元軍人しか採用しない企業だ。俺は警官一筋だから、受けることもできないよ。……俺がいたのは、警視庁新宿特別署。そこの刑事部捜査第一課、電脳犯罪捜査係にいた。通称CITと言われる組織だ」

「CITって……」

 恭介は、思わず言葉が詰まった。

 電脳犯罪捜査係――CIT。それは、政府警察内部に設けられた電脳犯罪への実働部隊。国家の危急存亡に関わるようなテロ事件、なかでも電脳犯罪を専門にあつかう部署だ。しかも新宿特別署のCITとなれば、ヤクザをはじめ、中国や台湾、ロシア・マフィアなどを相手にする場合もある。それゆえ、新宿署のCITについた二つ名は『もっとも凶暴な政府警察機関』である。

「俺はそこに、五年近く勤めていた。仕事は大したこと無かったさ。俺みたいな実働部隊は、政府警察ではもはや形骸化していた。だから、実際に出動命令が出るのは一年にほんの数回。主な任務は、新宿特別署管轄の民間警察企業の脅威査定スレット・アサスメントだった。武装企業という牧羊犬シープドッグを野に放った以上、それを監視する狼が必要だからな。当時の俺の任務は、一之瀬みたいな会社を脅すことだった。俺はそんな仕事に嫌気がさしてたのかもしれないな。それがあるとき明確になった」

「あるとき、というと?」

「お前の兄貴さ」

 呉石は言って、空を仰ぎ見ながらコーヒーを飲んだ。今日はあいにくの曇り空だ。今にも雨が降り出しそうだが、しかし雨雲は水を吐き出すのをためらっているようにも見える。

 呉石はコーヒーを飲み、ため息ひとつついてから、再び話し始めた。

「五年前、お前の兄貴が警視庁に出向されてやってきた。キャリアお得意の二、三年ばかしの現場体験ってやつだ。そして、黒田響也のやつの出向先が、不運にも俺がいたCITだったんだ。

 別に、CITにキャリアがやってきたのは、そのときが初めてじゃなかった。俺もそのまえに一度、島本ってキャリア官僚が来たのを見ていた。だが、多くのキャリア連中は出向先に来ても何もしないもんなんだ。俺たちの仕事に口出しできるわけでもないし、一緒になって第一線で銃を抜いたりできるわけでもない。ああいう手合いが現場研修に出るってのは、ハッキリ言って自習時間みたいなもんなんだ。暇な時間にどうぞ昇格のための試験勉強でもしてくださいってことさ。キャリア組はエリートコースに乗っかるに大変だからな。

 だからてっきり、黒田響也もその手合いだと思った。CITに配属なんてのは上っ面だけ。その実、捜査にはなんら荷担しないって。だけどあいつは違ったんだ。初日に言ってきたよ。『僭越ながら、このCITを私にとっての予行演習にさせてもらう』と言ってきた。つまるとこやっこさん――まあ、いまとなっちゃ立派に管理官だが――その予行演習をCITでやらせてもらうって言い出したんだ。係長は『あんな若造にCITチームリーダーが務まるか』って渋い顔をしたが、階級はあいつのが上。もう警部オブケサマだったからな。逆らえなかった。

 そしてやつがCITを仕切り始めたある日のこと、やっかいな事件が起きたんだ。新宿リニア・レール・ステーションに神経毒をまき散らす爆弾をしかけたって、通報があったのさ。犯人は他人の電脳をハックい、通りすがりのサラリーマンを伝達人メッセンジャーとして新宿署に送りつけてきた。そのリーマンは、爆弾を仕掛けたとメッセージを残すや、電脳に高負荷がかかったらしく、気絶した。

 それから、すぐに捜査本部が立てられた。爆弾はまもなく、俺たちCITが駅のコインロッカーで発見した。だがしかし、問題はそこから先だった。相手は人の電脳をハックできるようなウィザード級。とんでもなく頭がキレる野郎のはずだ。爆弾だけではなく、何かを隠しているはずだった。

 爆弾は時限式だった。処理班は待機していたんだが、間に合いそうになかった。だから黒田響也のやつはある判断を下したんだ。駅から、すぐに南西にある工事現場に向かえってな。そこはビルの建設現場で、まだ盛り土をしている最中。完全に更地だった。広い空間で起爆させれば、被害は最小限にとどめられると考えたんだ。あとは神経ガスさえなんとかすれば大丈夫だってな。

 だが、被害は最小限になるはずだが、ゼロじゃない。現場は新宿だ。流れてった神経ガスが、どれだけの人を蝕むと思う?

 だから俺は、黒田響也の命令を無視して、爆弾を解体し始めたんだ。俺は警察学校で爆発物処理も履修していたからな。心得はあったんだ。

 CITの仲間は、このときばかりは黒田響也の命令を聞いていた。だから俺を無理矢理クルマに乗せて、爆弾ともども工事現場に届けようとした。だけど、俺はあきらめなかった。解除できるはずだと思って、解体を続けた。……だが、それが間違いだったんだな。相手は頭のキレる知能犯だ。罠が仕掛けられてんだ。爆弾が解除されると、内部に仕掛けられた閃光爆弾フラッシュバンが弾けるようにな。……俺は解体に成功したが、その代わりに両目に強烈な光を浴びて、視力を失った。おかげで顔面を義体化しなきゃならなくなった」

 呉石は空を見上げていた顔を、恭介のほうに向けた。そして、自身の両目を指さした。

 彼の両目は、軍用のマルチ・ビジョン・アイが搭載されている。真紅の瞳。それは、暗視装置ナイトビジョン赤外線装置サーマル望遠機能ズームオプティクスが備えられたものだった。

「それで……その瞳に……?」

「そういうことだ。そのあと、黒田響也は俺に説教をしてくれたよ。年下の若造に言われるのは癪に触ったが、奴はもっともなことを言っていた。つまり、俺という警官が作られるためにどれだけの費用がかかってるか、それを知れってな。義務教育から警察学校まで換算すれば、数千万。税金だけでもそれぐらいかかっているって。だから、危険を冒すような行為はするなってさ。まあ実際、あのときの俺は視神経まで閃光の影響が到達し、電脳までおかしくなる寸前だったんだ。奴が言ってたことはもっともだったさ。だけどやっこさん、最後に俺の逆鱗に触れるような、アホなことを言ったんだ」

「アホなこと……?」

「ああ。『俺という単位と、市民という単位を秤にかけたら、どっちが大事なんだ?』って。俺は聞いたんだ。したらアイツは、『片手で数えられるほどの市民が多少の被害を被るぐらいだったら、それもやぶさかではない。君という単位が今後社会に貢献できる要素を鑑みたら、君がハンディキャップを負うよりは、市民がハンデを負ったほうが効率的だ』とさ。俺はそれでブチギレたんだ。警官ってのは、市民を守るのが仕事なんじゃないのかって?

 そうしたら奴はこう答えた。『そんな理想論を語りたいなら、民間にでも行け。我々は国の業務を遂行しているだけだ』

 だから俺は奴の言うとおりにしてやった。民間に――一之瀬に拾われたわけさ」

「それで、新天地がどうとか」

「そういうわけだ。でも、俺は後悔してないぞ。確かにCITのが給料は良かったし、閑職で楽だったさ。だけど、あんなクソみたいな仕事をしてるなら、ここで戦っているほうがよほど充実してる」

 呉石はそう言うと、静かにほほえんだ。

「お前が過去に何があったかは詮索しない。でもいまは、いま出来ることをすべきだ」


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