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3-1

 現代日本において、刑事事件のほとんどは民間の準警察組織に委託され、もはや警視庁をはじめとする各都道府県警察は警察企業を監督する役目しか担っていない。もはや政府警察組織は、完全に形骸化してしまったと言っても過言ではないぐらいだ。

 しかし、警視庁と警察庁のみは、いまだにその役割を果たしている。特に、警察庁は準警察企業をまとめ上げる総本山である。彼らが現れるのは、国家の危機に関わる重大な事件。あるいは、準警察企業には手に負えない事件を担当する。

 そしてその日、霞ヶ関は警察庁にある事件の緊急捜査本部が発足された。大会議室には各警察企業が名を連ね、警察庁官僚の指揮のもと捜査にあたる。それが、この国が重大事件に遭遇したときの対策例だった。


     *


 ことの発端は、一日前にまで遡る。

 昨日一七三〇時、一之瀬警備保障は警察庁の要請を受けて緊急出動。黄昏時、昼と夜との狭間を駆け抜け、クグツが暴走しているという現場に急いでいた。

 目標は、大田区蒲田に出現。それから多摩川沿いに神奈川方面へと疾駆し、線路に侵入。ケイキュウ・リニアレール・ラインは一時完全に運行を停止していた。一之瀬社に与えられた仕事は、件のクグツの破壊。目標の情報は少なかったが、おそらくムシに侵蝕された機体であろうということでカタがついていた。

 そう、もしそのとおりだったら、いつものムシ狩りだったかもしれない。だが、このときばかりはどうにもならない事件だったのだ……。


 一七四〇時。夕日が徐々に沈み始める時間。

 一之瀬警備保障は、あらゆる兵装――ただし、ART-Xクロガネだけは許可が下りなかった――を配備し、目標のクグツを追っていた。

 エレン・クロガネは、HAL-1250Fを駆り、線路を走っていた。呉石譲二は先回りしてトラップを設置。そして黒田恭介は、擬装バンの中から後方支援という編成である。

 状況は、まったく不明と言ってよかった。ムシが侵蝕したと思しきクグツ。その識別コードは不明。目撃情報はあったものの、どこから現れたどのようなクグツかもさっぱりだった。警察庁も知らんぷりで、ただ出現した暴走クグツを鎮圧せよという指令が下っただけだった。

 恭介もN+システムで監視網を探ってみたが、今のところ該当の機体は発見できていない。ただ、機体がリニア・ライン沿いに神奈川方面へと南下していることだけは確かだった。

 SNSのタイムラインをみれば、一般市民が事件を実況してくれる様子が見れる。そこにはVR映像付きで、リニアレールを走り去っていく巨人の姿が添付されていた。

 クグツは、間違いなく神奈川方面に向かっている。まるで、何かから逃げるために。いったい何から……?


 エレン・クロガネは、恭介から送られてくる情報をもとにリニア・レール・ラインを疾走していた。二足歩行の巨人と、電動二輪車では圧倒的に後者のほうが速い。エレンが目標と接触するのは時間の問題だったが、問題は接触後のことだった。

《エレン、線路上に罠はしかけた》と呉石から通信。

 呉石は、先回りして線路上にEMPトラップを仕込んでいた。電脳を焼き切ってしまう恐れがないよう、出力が弱めに設定された罠だ。もし目標が罠にかかれば、一時的にだが動きを止めることはできる。最悪の場合の保険だ。エレンがクグツを取り逃がしても、罠にかかればもう一度勝機はある。

《ありがとう。こっちももうすぐ着くと思う。――恭介、接触エンカウントまでどれぐらい?》

《あと三十秒。そろそろ見えてくるはずだ》と恭介。《でも気をつけろ。このクグツ、妙だ》

《妙って?》

《どうにも軍事用みたいだ》

《このあいだのときも似たようなもんだったじゃない》

 エレンはそう言うと、ブレードの展開をハルに命じた。

 まもなく右格納部から鞘が突出。エレンは柄を握り締めると、その漆黒の刃を水平に構えた。

 直後、彼女の視界上にオリーヴドラブ(OD)一色フラットに塗られた巨人が現れた。それは、潜水服のようなゴテッとした丸みのある体躯に、巨大な一つ眼を備えている。背中には左右一つずつのウェポンラックが見え、クグツ用サブマシンガンと思しきものを二丁懸架している。また銃把グリップ引金トリガーには簡易的なマニピュレータが接続されており、二重関節のロボットアームが今にも動き出すところだった。

 足裏に搭載されたタイヤを高速回転させて線路上を駆けながら、目標は頭だけ後ろを振り向いた。そして昆虫の複眼がごとき巨大な丸い瞳がエレンとハルを捉えた。

《エレン、ロックされた!》

《クソったれえ!》

 ハングオン、一気に車体を傾ける。

 ハルのサスペンションが線路の凹凸一つ一つを踏みしめ、その衝撃を最小限へ。しかし、それでも走行に支障は出る。いま彼女が走っているのは、リニアレールの線路の上だ。道路のように開けているわけではない。全線運休とは言え、敷かれたレールや、そそり立つ電信柱、信号機が邪魔だ。これでは避けきれない。

 そして次の瞬間、クグツの肩に搭載されたサブマシンガン二丁がロボットアームに支えられ、展開。第三、第四の腕によって後方――エレンとハル――めがけて発砲してきた。

《ハル、磁力追加装甲シュルツェン!》

 車体をS字に蛇行運転させながら、ハルは磁性の壁を展開する。その見えない装甲板は、銃撃をすべて弾き返す。鉛球は虚空で不可視の壁にぶつかり、そのそばから線路上に流れ落ちていく。一発足りとも磁性装甲を突き抜け、エレンを傷つけることはない。

 しかし、エレンが防御に気を取られている。そのあいたのことだった。突然、ブレーカーが落ちたようなバチンという音が聞こえたかと思うと、目の前からクグツが消えていたのだ。

電磁迷彩(ECS)……?》

 エレンがアクセルを緩めながら、ハルに問う。

《おかしい。熱源反応はない》

《じゃあ、本当に消えたっていうの……》

 ブレーキをかける。停止。

 視覚的に消えた……。それは、現代では別におかしなことではない。電磁迷彩を使えば、視覚的に消滅することはできる。しかし、存在そのものを抹消できるわけではない。だから本来、熱源も探知できるはずなのだが……。

 心眼で捉える、というわけではないが、エレンは線路を注視しながらゆっくりとアクセルを開けた。テレポートなどというものは存在しない。いまも目標は、この近くにいるはずなのだ。

 コンクリートに穿たれたレール。その灰色の上に刻まれたタイヤ痕は、ハルのものだけではない。確実に目標のものもあるはずなのだ。

《エレン、どうした! 何があった?》呉石の怒号。

目標消失(ターゲット・ロスト)最終確認地点ラスト・ノウン・ポジションを確認してるけど……》

《見失ったってのか?》

《消えたのよ》

《消えただって? ……おい、黒田。何かN+では確認できなかったか?》

《探索範囲外です。N+は、もともと車両の監視システムですから》

《くそ、だめか》

 呉石は吐き捨てるように言い、通信を切る。

 ちょうどそのとき、エレンは最後のタイヤ痕を見つけた。それは線路上に残されたブレーキの痕跡。おそらくエレンに発砲した際、姿勢制御のために減速したためのものと推測される。

 しかし、タイヤ痕はそれ以降はどこにも見あたらなかった。目標は忽然と、亡霊のように消えたのである。


 その後も目標が掴まることは無かった。N+にもそれらしき機影は見あたらず、線路上に仕掛けたEMPトラップも作動せず。エレンが追っていたタイヤ痕と轍もそれ以降発見されることはなかった。

 周辺の封鎖と検問は、ほかの企業がやっている。もはや、目標が検問に引っかかることを祈るしか無かった。


 エレンはハルに乗って、擬装バンまで戻ってきた。車内では、デジタルアイウェアを操作する恭介がうんうん唸っている。彼はN+とSNSでそれらしき情報を探していたのだが、やはり線路上で忽然と消えて以降、何の情報も見あたらなかった。

「やっぱり見つからない?」

 と、ハルを格納部に固定してから、エレンが言った。

 エレンは助手席へと移動し、それから窓を開けて電子タバコのスイッチを入れた。

「ダメだ。エレンが見失って以降、どこにも情報は転がってない。……本当に消えたのか?」

「なに、アタシのこと疑ってんの? 本当に消えたわよ。忽然と、急にね。まるで光学迷彩……いや、テレポートみたいにね。熱源さえなかった」

「じゃあ、どこに消えたって言うんだ」

「知らないわよ。消えちゃったんだもん」

 彼女はぶっきらぼうにそういうと、エスプレッソ・リキッドの入ったタバコをふかした。ほのかに甘いコーヒーの香りが漂う。

 ――本当に消えたのだろうか……?

 恭介は疑問に思いながら調べを続けたが、しかしエレンの言うことももっともだった。いくら捜しても、それらしい目撃情報はない。監視カメラにも映らない。全長七メートル以上もあるクグツがだ。それも軍事用であるから、さらに大きいはずだ。背部ウェポンラックも含めれば全長九メートル弱はあるだろう。

 目の前で起きていることが信じられない。エレンも恭介も、そんなモヤモヤを抱えながら、バンを発進させようとした。

 するとそのとき、坂本部長から全体連絡がかかってきたのだ。

 恭介は大慌てで自動運転に一時停止を命じると、通信を受諾。デジタルアイウェアはVR表示モードに切り替わり、全員をカンファレンスルームに誘った。


 赤いソファーとダークブラウンの壁紙に囲われたシックな会議室。その中央で、坂本部長は先に待っていた。部長は、彼女らしからぬ暗い顔色をしていた。

「あー、みんな集まったわね」といつになく沈んだ口調で、部長は言った。

「なにがあったんです?」と呉石の声が先にして、後から体が映像になって現れた。

「それがね……まあ、多少は察しがつくかもしれないけど、ちょっちヤバい事態になったのよ」

「それって……まさか捜査権委譲とか?」

 エレンがおもむろにタバコを口から離し、冗談混じりといった風に言った。

 しかし、坂本は冗談ではないという雰囲気だった。いつも物腰柔らかな、軽い調子の彼女はいない。

「そうよ、エレンその通り。今回私たちが追っていたクグツ。その出所が判明したの。反政府組織、ネオ・ラッダイトよ。つまり、あのクグツはテロリストの所有物で、今回たまたま機体が世間様に露呈して、緊急通報。ウチに仕事が回ってきた。だけど、よくよく調べてみたらテロリストの所有物だったってワケ。……捜査権限は警察庁に全面的に委任されます。我々は今後、お偉方の足を引っ張らないよう、下働きをすることになります。というわけで、これからオフィスではなく、警察庁のほうに顔を出してください。本部は本日発足。全体の捜査会議ミーティングは明日の朝からあるそうです。以上、解散!」

 まくし立てるような喋りののち、会議室は緊急解散。VR表示は終了し、恭介の視界にはバンの運転席が戻ってきた。

「あーあ、メンドーなことになった」

 横でエレンがタバコを蒸かす。

 面倒なこと……。準警察企業は、一般的に政府からの拘束を受けることなく仕事をする。だが、その例外の一つが警察庁への捜査権強制委譲。重大なテロ事件や、国益に害を及ぼすような大事件が起きた場合、直ちに警察新法二十一条にもとづいて施行される。

 彼女たち準警察組織にとっては、政府役人に指図されるのは邪魔なことなのだろう。しかし、恭介にとってはそれだけではなかった。

 彼は、自分を追い出した古巣に戻らなくてはならないのだ。


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